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【vol.1】100回リピってもまた聴きたくなるスルメイ曲(名曲)を紹介【King Gnu】


0.自己紹介

どうも、社会不適合者の30歳です。

性格のヤバさが理由で、今までに追い出された村の数は数知れず。

当時は卑屈にもなったけれど、今は開き直って社会不適合者人生をエンジョイし始めました。

そんなぼくも5年前くらいに、ADHDとASDの併発した自閉症スペクトラム障害だと診断されました。

気持ちが楽になって、就職とかやめてフリーランスで専念したらなんとかなりました。

「そのヤバイ性格直す気ないならペンを持て」と恩師に言われ、そっかーやるかと決意してnoteで記事を書いています。


以前、初めて1ヶ月で1万PVを獲得とか言ってはしゃいでいたのですが、書くのがなんか億劫になってnoteを放置しておりました。
でも、なんかやんなきゃみたいな逸る気持ちがあるわけで。
というわけで、またしばらく書きます。よろしゅう。

ADHDというのは不思議なもので、興味・関心が万華鏡のように強弱する。マンガに情熱を燃やしていたかと思えば、文学に情熱を燃やして、音楽に情熱を燃やして、ロックやインストゥルメンタル、JロックやUKロックなどなど、遊牧民のように移ろう。
定住すると排除の対象になる異物である自覚があるからだ。だから、さまざまな興味範囲の引き出しを無責任に開く。
開けっ放しの引き出しを見つめながら、次の興味へ移っていく。
ドハマリして急接近したこと思えば、急にそっけない態度を取って消えていく猫のように、けれどぼくは、そんな接着面積のたしかな広がりを楽しんでもいるのだ。

ひとつ試みとしてやってみたいことがあります。

ぼくはこれまでnote記事を書く時、ADHDのこの癖をできるかぎり殺していました。

書いていると勝手に次のテーマに連想ゲームして、転がっていくあれです。

それがnoteを書くという行為のつらくも苦しいことでもありました。

ぼくはつけたタイトルと書く内容が変わって、遡ってタイトルを修正し直すこともありました。

しかし、今回は思い切ってADHDのこの癖を斜線を入れることで、言葉のかたまりをカットせずに残す試みをやってみようと思います。

もちろん本題とは関係ないため、カットの対象なのですが、noteユーザーのペルソナを考えてみました。


ひょっとすると想定読者は、
・余談が好きなのではないか
・情報よりも読むという行為が好きなのではないか
・ノイズを味だと受け取ってくれる心が豊かな人が多いのではないか
そう思いました。


サブテーマとしてADHDの人の気持ちの移ろいの勉強だと思ってみても面白いかもしれません。

ADHDについて何かしら理解したいと思っていた人にとっては、もしかしたら価値を提供できるかもしれません。

そして、なぜこんなことをしたいのかというと、発達障害であり人格破綻しててもちゃんと生きていけることを証明したいという意図も少なからずあります。

ところで、ぼくはこの性質が大嫌いでした。

でも同時に、ぼくのアイデンティティでもあるわけです。

ぼくらしさ、ぼくを構成するなにか。

これらを切り取ることで、社会に適合するための擬態の努力するのではなく、自分らしくいながらお金も稼げる方がよっぽど、ぼくにとって幸せなのではないかと思ったのです。

ですので、夏の夜の忌々しいセミの鳴き声だと思ってお楽しみください。基本ノイズだけどたまに風流をというコンセプトです。

したがって、ぼくの書いたこの記事は読み飛ばしたいと思ったら読み飛ばしてください。

目次機能を活用することで読めるようにしておきます。

でも、読みたいと思ったら付き合ってください。後者の方には素敵なセレンディピティをご用意できればと思います。

セレンディピティとは、「思いもよらなかった偶然がもたらす幸運」を意味する言葉です。

ネット検索のコピペ

ところで、ぼくは、時間的にもメンタル的に、ほとんどニートと変わりない生活をしています。

そのため時間があり余って1曲を100回聴くという贅沢な娯楽をついついエンジョイしまいます。

Spotifyのアルゴリズムが届ける音楽は、たしかにぼくらの好みとフィットしています。

新しい音楽をdigることの楽しみがあるのでいいことなのですが、AIがセレクトした音楽を聴いているこの時間は人間的な思考があるのだろうか。
このような面倒くさいことを考えてしまうわけです。

自分の好きなものくらいはせめて言語化できたほうがよいと思うわけです。



King Gnu。

常田大希率いるミクスチャー・ロック・バンド。

ぼくはこのバンドが大好きだ。

常田大希の創りだす世界観には、浸りたく魅力がぎっしりと詰まっているのだ。

ぼくは以前、常田VS米津というコンセプトの記事でも紹介したので、常田大希の人物像の紹介は、以下の記事も読んでもらいたい。

あるいは、常田大希については、今後もこの時代を動かすキーマンのひとりであるため今後も記事の題材として登場することは、まず間違いない。


まず、はっきり断言したい。

1.King Gnuを聴かない奴は人生損してる。



ぼくがこのように断言できるのには、理由がある。

ぼくのこれまでの人生で音楽が嫌いという人間に出会った試しがない。

音楽はすごい。

たとえば、サザンオールスターズには、桑田佳祐の世界観がある。

スピッツには、草野マサムネがつくりだす、あの美しくて優しい気持ちで溢れている世界観がある。

RADWIMPSやBUMP OF CHICKENやSEKAI NO OWARIのような、絵本や童話のような世界観。

どのアーティストも音楽で独自の世界観をつくり出して、それを聴かせることをカネに変えて、生活している連中だ。

創造的で我の強い主観は、いくとこまでいくとカネになるというわけだ。世の中が平和でないと成り立たない生き方をするただのボンクラとの差ははっきり言ってない。アーティストというのは、往々にしてそういうものだ。世の中が不寛容になれば、芸術も収縮していくに違いない。(ぼくのADHDスイッチが作動してはついつい余談を入れてしまうのだが、あえて今回は残す)

本当にすごい。
今の音楽シーンは、サウンドで世界観を構築する名手たちの戦場なのだ。
それがこれだけの熱狂を生んでいる。
マンガとJ-ROCKは今、世界に誇るべき日本の新たなカルチャーだ。
そして、King Gnuが創り出す世界観は、もし一言で言い表すなら混沌だろう。


ところで、マンガを必修科目にするという小学校がなぜ現れないのだろうか。コマ割りやセリフ回しやキャラ構築、ストーリーテリングなど、マンガから得られる学びは多くあるのに。
でも、マンガが必修科目になったifの世界では、受験屋がエラそうな顔で攻略法とか含蓄垂れて、「東大に何人合格させた」みたいな指標が生まれてすっかり陳腐化しちゃうんだろうなぁ。そういう陳腐化した世界から、独創的なアートは生まれるのだろうか。であるなら、今の「カウンターカルチャー」的なポジションに無理やりにでもいてもらった方がいいのかもしれない。つまり、マンガもロックも「お母さんがあまりいい顔しない」くらいの方が楽しいのかもしれない。そう考えると音楽は本当に有能なガス抜きだよなぁ。

混沌とした世界観
である。

「King Gnuってどんなバンドなの?」たまに困る厄介な質問だ。

ただ、「混沌だよ」なんて答えたって聴きたいという気持ちは質問者に実らないだろう。

どうしたら今すぐ聴きたい!という行動を惹起できるのか。

そんな思いから、ぼくはKing Gnu聴かない奴は人生損してるというタイトルを考えた。

King Gnuのすごさは、その器の大きさだろう。

自分のために書いてくれたんじゃないか、と思えてしまうくらい自分にフィットする曲が見つかってしまう。

自分だけの曲が誰にでも見つかってしまうのだ。

だから、いますぐ4枚のアルバムを聴いてほしい。

曲紹介(1):Tokyo Rendz-Vous

この曲をKing Gnuの入り口として紹介したのは、混沌を楽しむ準備をしてもらうためだ。

たしかNetflixで観た常田大希特集のナレーターも言ってたことだが、
常田大希のKing Gnuでつくりだす世界観は、東京を象徴している。

まさに、混沌的東京だ。

それは、「Tokyo Rendz-Vous」を聴けばわかるに違いない。

そんな常田が考える東京を表現するのがこの曲だ。

本作は、2013年に始動した常田大希を中心とするバンド"Srv.Vinci"が、現在のメンバー編成となり、King Gnuへと改名して以来初めてのリリースとなる。
2017年4月27日に「Tokyo Rendez-vous」のミュージックビデオを発表した。2017年にアメリカの大型フェス「SXSW」に出演し、全米ツアーを行った後に「King Gnu」に改名する。

wikipedia

つまり、この曲がKing Gnuのデビューソングと言い換えても過言ではない。
原点にしてなんとやら。




曲紹介(2):壇上

「壇上」は、常田大希がKing Gnuの解散を考えるほど、追い詰められた時に書いた曲なのだという。

最終列車はもう行ってしまったけれど
この真夜中を一緒に歩いてくれるかい?
何時間かかってもいいんだ
ゆっくりでいい
この足跡を辿って
確かな足取りで帰ろうよ

何も知らなかった自分を
羨ましく思うかい?
君を失望させてまで
欲しがったのは何故
何もかもを手に入れた
つもりでいたけど
もう十分でしょう
もう終わりにしようか

壇上 歌詞

この曲を最後に持ってくる常田大希の選曲のチョイス。

King Gnuは、タイアップ曲が多い。

そのため、活動のほとんどが表現であるもののタイアップという制約と成約の中で生まれた曲だ。

もちろん完璧な仕事だ。しかし、仕事なのだ。

タイアップ曲を束ねたアルバムを常田は、「軽い感じのアルバム」だと評価して、「こんなアルバム出したくねぇ」と吐露する。

そんなイメージを見事に払拭してくれるのがこの曲だ。

この曲から閉会式へとスライドするこの流れは、アルバムを聴くという体験の楽しさを加速させる。

「白日」だけ聴きに来るファンをどうやって、他の曲も聴かせるか。そこに統一感をもたらすのがこの曲なのだ。


曲紹介(3):雨燦々

最後に、この曲を紹介するのは、ただただ癒やされてほしいからだ。
すべてから赦され、のんびりという贅沢を堪能する曲。

真っ逆さまに浄化されてほしい。

多分、雨の中で聴くこの曲は、ヘッドスパ並みの快感のはず。

雨に当たりながら聴きたいと思ったのはこの曲が初めてだ。

怒鳴りつける夏の陽にうんざりして、プールに入るような爽快感と開放感。

ちなみに、紹介している曲名が違うタイトルなのは、あえてです。
「SUNNY SIDE UP」と「雨燦々」は、4thアルバム「THE GREATEST UNKOWN」で連曲になっている。

「SUNNY SIDE UP」という「雨燦々」へつづく階段である。

ぜひ、2曲続けて楽しんでほしい。


2.次回予告

次回予告です。
ADHDの社会不適合者が紹介するアーティストは、集団行動です。

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