朱位昌併エッセイ連載「霜柱を踏みしめて アイスランド、土地と言葉と物語」#4
アイスランド在住の詩人・翻訳家・研究者の朱位昌併さんが、言葉や文化の切り口からアイスランドを紹介する連載、「霜柱を踏みしめて アイスランド、土地と言葉と物語」。第4回のテーマは「雪」です。ヴァイキングが流氷まみれのフィヨルドを見て名付けたという「氷の国」アイスランドは、雪とともに暮らしてきた人々の国。アイスランド語には、「雪」を表す単語がとても多いそうです。
#4 濃厚な風雪
「忘れられない風景はありますか?」
ハッピーアワーで2倍に増えたペールエールを啜っているあいだ、アイスランドを初めて訪れた観光客に話しかけられた。不意に投げかけられた質問を反芻して浮かんできたのは、地表に出たばかりの赫々たる溶岩の川でも、新月の夜空を横断して揺らめくオーロラでもない。アイスランドで目にして今でも脳裏に焼き付いているのは、ただの雪景色だ。
無風の空は牡丹雪で埋め尽くされ、山麓を歩く一行の周囲に見えるのは玄武岩の岸壁ばかり。どれだけ目を凝らしても、黒と白のほかに色がない。耳に届くのは、雪を踏んで圧す音と呼吸以外は何もない。長く歩けば歩くほど、その場に体を投げ出して、ここで動くのを止めたくなる。高所にいるときの浮遊感に似ているけれど、なにかが決定的に違う。そんな震えが体の内側から絶えず走っていた。
2015年12月、滅多にない冬の快晴のもと、現地発着ツアーの補助員として氷の洞窟に向かっていた。首都レイキャヴィークを出発し、1号線に沿って南東部にあるアイスランド最大の氷河まで車に揺られるのが主な仕事だ。ほかにも、道中で滝に寄るたびに水しぶきで眼鏡を洗ったり、強風で唸る波が押し寄せる黒い砂浜で、海に引きずり込まれないよう同行者たちをけん制しなければならないが、車の中にいる時間の方が長いのだ。
ぎりぎり窮屈さを感じさせないスケジュールで無事に極夜間近の南部を観光し、観光初日の行程はほぼ終了というところで、いくつかの幸運が重なり、地平線いっぱいに広がる苔むした溶岩地帯「火の溶岩」(Eldhraun)を訪れることができた。200年以上前に地表にあふれ、565平方キロメートルもの地をのみこんだ溶岩は、今では大部分が苔で覆いつくされている。見晴らし台に立って辺りを見渡すと、濃緑色の無数の半球が一帯を飾っていた。
「3日前に雨が降ったんですよ。それで辺りを覆っていた雪が融けましてね。この時期には珍しいんですよ、こうして苔が見えるのは。ラッキーでしたね」
そう熱心に語るガイドは、軽アイゼンで凍結した地面を蹴って鳴らしはじめる。彼が快活に氷を削る音は、すぐ隣に立っていれば耳に届くが、すこし離れるとぼやけて聞こえた。苔が音を吸収しているのかもしれない。苔のなかをもさりもさりと歩く真っ白な冬毛のライチョウでさえ、彼の奇行を気にしていなかった。
再出発後、日が沈みきった道を東に1時間ほど走って、ホテルに着いた。ロビーで部屋の鍵を受け取り、荷物を部屋に置く。手早く楽な恰好に着替えて、ひと息ついてから、食堂に集合する。グループ用の長机に用意された夕食は、全3コースのアイスランドらしい品々だった。
前菜は、温室で育てられたアイスランド産マッシュルームのクリームスープ。切り分けれられたパンと国内産で癖のない有塩バターも一緒に配膳された。「パンとバターはおかわり自由!」と言われたが、注意しないと後の料理が出てくるまでに満腹になってしまう。濃厚なスープを飲み干し、一滴も皿に残すまいとパンをちぎってスープ皿をさらいおえた後に給仕されたメインディッシュは、ホテル近辺の農家で育てられたラムのステーキだった。夏場は放し飼いで内陸高地を満喫していた仔羊たちの肉は、ミディアム・レアかレアで食べるのが料理長のおすすめらしい。頬張れば、獣臭さのない甘い肉汁と香りが口内から鼻に抜けていく。付け合わせのニンジンのソテーは、小ぶりながらも味がはっきりしていて、これもアイスランド産とのことだった。腹を十分に満たし、コーヒーかお茶を選んだあとに運ばれてきたのは、ブルーベリーソースのかかったスキール・ケーキだった。似たものであれば家庭でも作れるし、スーパーマーケットではホールサイズで売られている類のものだが、それらと比べて段違いに滑らかできめ細かい舌触りは、きっと余念なくスキールをかき混ぜて出来たものなのだろう。ブルーベリーソースは、野性味が少なかったから、おそらく輸入物なのだろうが、不要な甘みのないスキールの持ち味を見事に引き立てていた。
すべてを平らげたあと、ガイドを含めた同行者全員で翌日の予定を確認する。氷の洞窟に行く際の諸注意は、とりわけ詳しく説明された。
「後悔したくないなら、 しっかり防寒・防水の恰好をし、登山靴のような丈夫な靴を履いて、それから、荷物はなるべくすべてリュックに収めて背負ってください。写真や動画を大量に撮りたいのであれば、カメラやスマートフォンの予備バッテリーを持っていくこともおすすめします。それから現地では、氷河ガイドの言うことを必ず聞くようにお願いします。とくに、綺麗だからといって勝手に氷河の上を散策しようとしないでください」
全員の顔を見回してから、よい夜を、とガイドが締めくくると、一同は三々五々に解散した。深夜までオーロラを待つ人も、すぐに寝に就く人も、まずはそれぞれの自室に引き寄せられていく。夜空を見上げる気のなかった私は、翌日用の荷物をまとめるや否やベッドに潜りこんだ。
翌日、朝食ビュッフェの会場は、前夜に出たらしいオーロラの話題でもちきりだった。自分の撮った写真を誇らしく見せ合う人を中心にいくつかの輪ができている。同行者が嬉々として話す様子を前に、もし氷の洞窟に入れなくても、これでまあ最悪ではないだろう、と安堵した。
氷の洞窟は、氷河の中にできた水路の排出口だ。すこし前までは、現地に足を踏み入れる前日や前々日に雨が降ると、その雨水が氷河の内部を通って洞窟から流れ出ていくため、中に入ることができなかった。2022年現在では氷河の先端最下部よりも100mは上方――氷河がひび割れて洞窟らしくなったところ――を訪れることも多いため、あまり天気の心配はしなくてよくなった。けれども、そうなるまでは、どうやらオーロラよりも諦めがたいものだったようで、何とかして入れないか、と食い下がる人が少なくなかった。そんなときは、氷河から排出され続ける濁流を指さすしかない。私たちが入ろうとしていたのは、あの激流が流れ出しているところです、と。決死の覚悟で飛び込んでも、待っているのは正に死だけだ。
実は、今回のツアーが始まる前日まで、南東部では雨が降っていた。そのおかげで溶岩地帯の苔を見ることができたのだが、氷の洞窟に入るのは難しいだろう。空には鈍色の雲が広がっている。数日前と比べると気温がずいぶん低く、予報によれば、もし降るなら雨でなく雪だろうとのことだ。「雨天決行にならずに氷の洞窟に行けそうですね!」と同行者は言っていたが、氷の洞窟のことを考えると、気がかりなのは当日よりも前日までの天気の方だから、曖昧に肯定するのが精一杯だった。出発前、もしかしたら同じことを考えていたのかもしれないガイドが、「実際に入れるかは氷河の状態によるので、現地ガイドに訊くまでは何ともわかりませんが、とても楽しみですね」と車載マイクでやんわりと予防線を張ったものの、車内の温かな空気を変えるには及ばなかった。
氷河湖ヨークルスアウルロウン(Jökulsárlón)は、せっかくアイスランドに来たのであれば、ぜひとも足を運んでほしい場所である。そこでは氷河の末端から崩れ落ち、徐々に大洋へ流れ出る氷塊を目にすることができるだろう。刻一刻と溶けてゆき、ときたま、パキリパキリと氷が割れる音が耳に届く。一瞬として同じ景色のないそこで丸一日過ごすのもまったく苦ではないけれど、今回の目的は氷河湖観光ではない。氷の洞窟に行くため、ここで現地ガイドと落ち合う予定になっている。
青い氷塊が間近に見える駐車場の一角、その砂利を均しただけの場所で、岩場や雪原を走行できるようにチューニングされた大型クロスカントリー車が停まっていた。1メートルはあろうかというタイヤに背中を預け、件の氷河ガイドは、湯気立つスープにパンを浸して食べていた。挨拶を済ませてから、氷の洞窟に行けるかを確認すると、彼は「うん、行けるよ」と事もなげに言った。ただ、「その辺りでは今朝から雪が降っていたから、ほとんど洞窟の青は見えないかもしれない」とのことだ。何はともあれ、簡単に昼食を済ませ、4時間はトイレに行けない覚悟を済ませたあと、一行は車に乗り込んだ。
氷河湖から1時間ほど移動した先にある氷河の先端までの途上、後部座席でどうやらうたた寝をしていたらしい。窓ガラスにもたせかける側頭部を守っていたニット帽がずり落ちて瞼をくすぐり、むずかゆい。あまり心地よいものではないけれど、わざわざ払いのける気力はなかった。そのまま眠ろうと努めたが、まったくの徒労だった。急勾配を下ってからだが20度も傾けば、瞬間的に覚醒せざるをえない。それに、4つあるタイヤのうちのひとつが、道にある大きな窪みに落ちようものなら、車体にあわせて人間も前後左右に揺さぶられる。これがアイスランド式マッサージだと上機嫌に言うガイドの表情とは反対に、最後部に座る女性の顔はどんどん白くなっていた。
氷河の先端に近づくにつれ、ときおり車載マイクで客に話しかけていた氷河ガイドは、もう話題が尽きたのか、不意に飛んでくる無線通信に応える以外は口を開かなくなった。やがて派手に揺れていた車は停止し、そして、エンジンが切られる。運転席から振り向いたガイドは、「ここからは30分程度歩かないといけないので、いまドアを開けに行きますね」と案内してから車を降りた。スライド式のドアが開かれると、冷気が車内に滑り込んでくる。微睡みから覚めて、輪郭がはっきりした。車を降りた人々の小気味よい足音に合わせて瞼を開け、かるく頭を振ってから外に出た。
目をこすり、腕を伸ばす。段々と目を開いていく。しかし、何かがおかしかった。色が見えない。白と黒しかない。眼鏡を取っても、二色しか見えない。いや、正確には、自分や周囲の人が着ている服に色が付いているのはわかる。自分で脈を図ったかぎりでは正常だし、呼吸にも問題はない。でも、普段は見える色彩が欠落した風景の中に立っている。氷河湖を出発するときにはあった灰色の雲も見えず、降りしきる牡丹雪のために、空にはただただ白一色が広がっている。もちろん周囲を歩いてみても変わらない。新しくできるのは、白い足跡ばかりだ。空を舞う白い雪のあいだには、黒い玄武岩の絶壁がわずかに見える。目を閉じて歩いてみると、自分の足音や呼吸音が妙に反響しているようにも聞こえるし、反対に自分だけに聞こえているかのようにくぐもっているようでもある。
白と黒だけの世界に足を踏み入れて言葉を失った人々は、氷河ガイドの指示に従ってヘルメットをかぶり、アイゼンを装着する。黙って手は動かしている最中、「雪原にみえるところのどこに窪みや穴があるか私たちでも分かりません。前の人について、一列で進んでください。決してはぐれないように」と指示を受け、やがて一行は氷の洞窟を目指して歩きはじめた。洞窟に入ったあとは勝手に外に出ないこと、といった決まり事が話される間に脈と呼吸を再度測ったけれど、やはり正常だった。
誰もはぐれることがないように時おり立ち止まりながら、岸壁に沿って北に向かって歩く。周囲を見回しても、相変わらず白と黒だけ。段々と色とりどりのジャケットの方が異常なのではないかと思えてくる。それまで頼りきっていた感覚のもろさに目玉がゆっくり飛び出るかと錯覚し、肌は脱皮しそうな程には泡立った。「火と氷の国」と呼ばれるアイスランドだが、そういえば、今の国名が定着する前には「雪の国」と呼ばれていたこともあったのではないか。史実を伝える資料としての信憑性は疑問視されているが、それに関する記述が、アイスランドへの植民について書かれた『植民の書』(Landnámabók)にある。
カタカナで音写される外国の地名をできるかぎり日本語に直してみたが、不確かな部分があるので、上述の地名の意味を鵜呑みにしないようにしてほしい。ともあれ、アイスランドの雪やら氷やらのすべてが土地の名前になるほど大仰というわけではない。日本でも時季や地域によって異なるように、アイスランドの雪にも地域毎に違いがある。たとえば、南部よりも北部での方が、雪は足裏と潔い別れ方をする。そもそも、町から離れるにしたがって、雪が張り付いてこない。靴底の溝に雪が入り込んでしまっても、そのまま延々と雪道を歩くのでなければ、爪先や内側面で何度か壁でも軽く蹴れば、干菓子のように靴底の型がぽたりと剥がれて落ちるだろう。
激しい人の往来で圧し潰されることなく降り積もった新雪は、ゆっくり変質していく。人知れずざらめ雪になることもあれば、内陸地に積もって万年雪となり、そこから毎年降り積もる雪によって圧縮され、やがては氷河になることもあるだろう。観光で行くことのできる氷の洞窟は、だいたい800年前はただの雪だったのだ。ただ、しばらくは氷河が縮小することはあっても拡大することはないらしい。レイキャヴィークの北東にあるエーシヤ山(Esja)には、初夏になっても山頂付近によく残雪があるが、氷期にでもならなければ氷河が形成されることはないだろう。
不用意に郊外に行かなければ冬の間でも大きな危険なく暮らせるようになった アイスランドだが、その公用語──アイスランド語──における雪や氷を表す言葉が様々あることから、これまでいかに雪に注意が向けられていたかを推し量れる。
以前ざっと調べたかぎりでは、「雪」を表すアイスランド語は少なくとも121語 あった。もちろんそれで全部なはずがない。詩や複合語でのみ使う語も数えれば、200は超えるはずだ。ただ、時代や地域によって使われる言葉は異なるので、街角のアイスランド人を掴まえて訊ねても、100語以上の同義語を知ることはできないだろう。
雪全般を指すならsnjórを使うのが最適だ。地吹雪でも水雪でも、雪ならばすべてsnjórと言ったところで、日常会話には差し支えない。けれども、自分の語彙の少なさゆえ、どんな雪についての話か分からずに地団駄を踏むことにはなるかもしれない。それに、大まかな分類を知っていれば、特定の地域でのみ使われるような言葉や初めて見聞きする複合語であっても、具体的な雪を想像しやすくなるかもしれない。たとえば、主に北西部で使われる言葉で、突然降ってきて日の光を遮り、辺り一帯を暗くする雪をmoldélと言うことを知らずとも、この語がmold(土・壌土)とél(驟雪)から成る複合語であることがわかれば、とりあえず驟雪の類であることは検討がつく。余談だが、「土砂驟雪」のような造語を急ぎ作る必要はないとはいえ、どうにか日本語に埋め込みたい欲求に駆られる。
アイスランド語の雪に関する語彙についての話がされるとき、きまって挙げられるのがskafrenningur だ。ほとんどの外国語でこれに充当する語がない、と誇らしげに語るアイスランド人には申し訳ないが、日本語でなら「地吹雪」という語を充てれば、おおかた支障はない。もし望むのであれば、人の背を越える高るものをháarenningur(高い地吹雪)、人の背に満たないものはlágarenningur(低い地吹雪)と区別することができ、また、風の強さを基準に別様に呼び換えることもできる。15語はくだらないその類語をここで挙げるつもりはない。かわりに、skafrenningurという語の指す現象について、すこし詳しく取り上げよう。
「滑る、流れる」などの意味を持つ動詞rennaから派生したと思しき名詞renningurは、リボンや絨毯といった薄く細長い物を意味することがある。この語に、車のフロントガラスに張り付いた霜を小さなスコップで削り落とすような動作、より一般的に言えば、道具を使って表層を削り取る行為を表す動詞skafaを組み合わせた語をもって、アイスランド語では「地吹雪」という。50cm以下の高さを這う規模であれば、地面の雪を削り取っていると言うよりも、舞い滑る雪たちが白いレースの帯をたなびかせながら走り去っていくように見える。
skafrenningurに遭遇するとき、たいてい地面は真っ白だ。車が通れば白く浅い轍が出来るだろう。きっと新雪ことmjöllのうちでも、湿り気がなく踏めばサクサクと痛快な音を立てるlausamjöllがふわりと地面を覆っているに違いない。そこに長く風が吹く。すると、向こう側が見えるほど薄い鉋屑のような雪片が、足元を絶えず弾んで流れていく様を目にすることができるだろう。風に乗って駆けまわる雪に精霊を見出す人がいてもなんら不思議ではないその光景を、単に「地吹雪」と呼ぶのは味気ない。目の前の雪を追いかけていけば、そのまま宙を滑走できる気さえするのだから。冬の田舎道でスタックしている車のいくつかは、単にスリップしたのでなく、つい雪に誘われて道の外へ流れていってしまったのかもしれない。地吹雪よりも魔的なこの現象は、より強い風が吹けば視界を遮るkófとなって、さらに強まればホワイトアウトを引き起こすかもしれない。冬の荒野で遭遇しようものなら死を覚悟する人もいるだろう。たいそうな強風に伴う地吹雪であれば、skafbylur(地吹雪嵐)やskafmold(地吹雪の土砂)と言われることもあるが、これらは地吹雪を伴う強風そのものを指すこともある。
アイスランド語で「吹雪」はhríðと言う。湿気の多い雪であれば、単に吹雪と称するのでなく、bleytuhríð(濡れ吹雪)やblotahríð(雪融け吹雪)と言い分けることもでき、slydda(霙)が混じっているようならslydduhríð(霙吹雪)と言うこともできる。もし牡丹雪が穏やかな風のなかを降っているなら、lenjuhríð(怠い吹雪)という言葉を使えるが、あまり一般的ではない。地吹雪を伴わない吹雪については、ofanhríð(上吹雪)と天気予報士が口にするのを聞くかもしれない。hríðの同義語としてbylurという語がつかわれることもあるが、轟く風の方を強調するか、もしくはより規模の大きな吹雪を指すために用いられることもある。bylurをあえて日本語にするなら「雪嵐」だろうか。moldbylur (土砂雪嵐)であれば、風が強く、降雪と地吹雪もあって一寸先すら見通せない。これらはしばらく雪が降っている状態を指すが、もし強風のなかを吹き荒れるものの短時間で止む雪か雨か霙であれば、hryðjaと言うのが適切か。
雪が降るアイスランドで風が止んでから外に出れば、塀などにfönn(雪の吹き溜まり)を見つける。ただ、冬の一日のうちに、晴れ、曇り、雨、雪が猫の目のように変わることのあるこの国では、風が止んで晴れ上がったと思っても、またすぐに雪が降ってくるかもしれない。無風のなかを降るのであればmuggaだが、そこで牡丹雪が降るのであれば、それは、hundslappadrífa(犬の足の雪)である。微風が出てきたなかでの小雪はdrífaで、それが大雪となったらkafaldだ。
そういえば、アイスランドに来た当初、「冬を越さないとアイスランドで暮らしたうちには入らない」と言われたことがある。それだけ極夜や雪風に苦労する人が多いのだろう。気づけばもう約10年を過ごし、環境には馴染んだように思う。日の出が遅くなって、そのうち路面凍結が起これば、冬が来たとしみじみ感じ入り、外出するときに気を引き締めるようになった。現代のアイスランドにおける風雪の苦労は、路面凍結が大部分を占めている、と主張すれば、私が自家用車を所持していないことがバレるだろうか。
アイスランド語は、「氷」を表す語彙も豊かな言語だ。凍結した氷の種類を思い浮かべるだけでも、áfreðiという地面で固まって氷の層になった雪や、踏み抜きかねない薄い氷や雪の層であるbroti、もしくはこのふたつの別称としても使われるísskel(氷の殻)などが思いつく。ただ、冬の町でよくよく気をつけるべきは、hálkaという表面が融けた氷であり、それによってツルツル滑る──hállという形容詞が指す状態の──道だ。もちろん、グリーラ──アイスランド民話にも登場する女トロル──の蝋燭の下を歩かないように注意しなければならない。一般名詞でgrýlukerti(グリーラの蝋燭) とは、氷柱のことだ。現存する資料におけるこの語の初出は、ソルヴァルドゥル・トーロッドセン(Þorvaldur Thoroddsen)が1888年に内陸部の地熱地帯クヴェーラヴェトリル(Hveravellir。「熱水泉の平地」の意)を訪れた際の日誌である。
19世紀末のアイスランドでは、石灰華らしきものの形状が氷柱に喩えられている。この約100年前に同じ場所を訪れたアイスランド人──エッゲルト・オウラブソン(Eggert Ólafsson)とビャルトニ・パウルソン(Bjarni Pálsson)──は、1772年に刊行された紀行『アイスランド旅行』(Rejse igennem Island)において、同じ場所を形容するのに(白)磁器を指す「Porcellain」や、単に氷を表す「Jis」という語を選んだ。雪や氷柱でなく白磁と形容をした理由はわからない。もしかすると、この書物がデンマーク王立科学文学アカデミーのためにデンマーク語で書かれたからかもしれない。ただ、当時のアイスランド人にとって舶来の陶磁器よりも新雪の方が馴染みある白色だったことは、きっと確かだろう。
雪にまつわる多様な語は、「グリーラの蝋燭」などの一部の語を除き、どんどん死語になっている。寂しいことではあるが、死語や元の意味とは別の意味を担わされた語に注目することには、アイスランド語話者の生活の変化を読み取る面白さがある。たとえば、krapという語は、半分融けて氷と水が混ざった状態のものを指すだけでなく、今では「氷フロート」や単に「フロート」と日本語で言うらしい飲み物のことを指す。これからのアイスランド人にとって、krapが第一に意味するものは、春に見るような白か透明の氷や雪でなく、緑色でメロン味の飲料かもしれない。
火と氷の国、と呼ばれることのあるアイスランド。そこで私が目にした「忘れられない風景」は、雪の白で埋め尽くされた、とある冬の山裾だ。これが雪の国と呼ばれるきっかけの光景に近いものだったのかはわからない。古い書物を紐解き、古くからの地名に目を向けると、見知った光景を知りなおすことができるだけでなく、現在のアイスランドでは巡り合えないものについて知ることもできる。『植民の書』に出てくる地名から挙げられるセイウチはよく知られた例だが、もちろん他にもある。アイスランドという国名の由来が述べられたあと、『植民の書』は以下のように続く。
温暖化の影響もあってか、アイスランドでは以前はできなかった小麦等の栽培をはじめる農家が増えてきている。まだその麦穂から――もちろん他の種類の穂からも――バターが滴る様子は見たことがない。しかし、夕食時にはパンにふんだんに塗って、スーパーマーケットではお土産用に買い込む日本人観光客を見ていると、確かにここはバターの国でもあるのかもしれない、と言いたくなるのだ。