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東京からの地方移住でわかる、都会と田舎の文化の違い

田舎の人は「都会は冷たい」と言い、都会の人は「田舎はコミュニティが狭すぎる」と言う。誰もが一度は耳にしたことがあるはず。

適度な距離感だからこそ、きっと都会の生活は成立するのだろうし、培われてきた濃ゆい関わり合いがあるからこそ、きっと田舎の生活は回っているのかもしれない。東京で生まれ育った私だが、地方に住み始め、地元のみなさんとの関わらせていただく中で感じるのは、個人的にはどちらの言い分もよくわかる気がする、ということ。たぶんホントのところは、全てにおいてどちらかが優れているとか良いとか、そういうことではないのかも。

都会から田舎、田舎から都会に生活基盤をどちらかへ移す時、新たな土地で生活を始めることに不安を抱える人は多い。島暮らしを始める前の私、それこそ地域おこし協力隊の採用が決まった着任直前の頃も、そんな不安を抱えた時期があったな、なんて、いま振り返ってみて思う。

今回は、この夏から移住した瀬戸内海に浮かぶ小豆島しょうどしまの小さな町、土庄町とのしょうちょうでのここ数ヶ月の生活から感じた、都会と田舎の文化や慣習、5の違いに焦点を当てる。

島で生活して3ヶ月。地元の方と交流を重ねる中で見えてきたことで特に印象的な部分や、私だけでなく移住者、島民から聞く「あるある」も含めてまとめてみた。これから生活していく上で、他にも発見できることが出てくるかもしれない。

なお、地元の人々や移住者、各個人の性格にもよるので、ここに書いていること全てが同じようにあなたの身にも100%起こるわけではないということは先に断っておく。

この記事をおすすめしたいひと

下記のような方に、ひとつの情報としてお役立ていただけるものになればと思い、今回の記事を発信していきたい。移住者予備軍、移住者だけでなく、移住者の多いエリアの地元の方に移住者が感じたカルチャーショック(カルチャーディファレンス)をちょっぴり知っていただけるようにまとめていこうと思う。
・将来的に地方移住を考えるひと
・移住者として生活しているものの、慣れない文化の違いにちょっぴり疲れてしまったひと
・移住者が増加する地域で生活されている地元のひと
・これから都会や田舎での生活を控えているひと

▼私の移住の理由は本当に様々なので、気になる方はこちらを。


1. 島の人同士は、名字よりも名前で呼び合う

小豆島しょうどしまでは、島の人同士を下の名前で呼び合う習慣がある。

日本でも海外でも、仕事もプライベートも共に、私個人の経験としては、名字ではなく名前、または、名字か名前のあだ名で呼ばれることが多かった。そのせいか、移住当初、私自身は特に違和感を感じていなかったが、数名の移住者さんと島生活で受けたカルチャーショックについて尋ねたところ、100%口々に出てくるのが「島の人同士ってだいたい下の名前で呼んでますよね。」という話。多くの移住者は、島暮らしを初めたての頃、この文化にとても驚いたと話す。

島の人同士が下の名前で呼び合う文化を目の当たりにして、私なりに分析してみた理由はこうである。

【島の人同士が名字でなく名前で呼び合う理由(予想)
・島内では親子、兄弟、親戚が同じ勤務先や団体に所属していることも珍しくない。そのため、名字だとややこしいので名前で呼ぶ。

・地元や学校が一緒、など小さい頃から共に遊び育ってきた間柄なので、小さい頃から下の名前で呼び合い、大人になっても変わらずそのまま呼ぶ。

・前述の状況から、いまさら名字で呼び合うような関係性でもない。


ここまで書いて思ったのは「これはもしかすると、瀬戸内海周辺の島々特有のカルチャーかもしれない」ということ。この記事をご覧になられている瀬戸内海周辺エリアではどうだろうか。記事のコメントであなたがお住まいの地域のこともぜひ教えてほしい。

また、対照的に、島の人と移住者との間では名字で呼び合うことが多いように感じる。この理由についても考えてみた。

【島の人と移住者との間では名字で呼び合う理由(予想)
・島の人にとっては、島の人同士と比べ、悲しいけれど移住者との関係性や歴史はまだまだ浅い。そのため、なんとなく名字呼び。

・島の人たちの間で移住者の話題があがるとき「●
から来た○○の△△さん」でだいたい通じてしまう。そのため、呼び方自体を下の名前に切り替える必要やタイミングがない。
 例)私の場合は「東京から来た地域おこしの吉田さん」である。

・外から来た人なので、最初はもちろん丁寧に名字に「さん」付け。その後、年数が経過しても単純に名字呼びから名前呼びに切り替えるタイミングを失い、何年経ってもそのまま名字呼び。

・逆に、移住者側で島の人同士のように名前で呼び合いたい憧れがある人もいるけれど、ちょっと遠慮してしまったり照れ臭かったりで、結果、名前呼びデビューまで至らない。

個々に尋ねていないので、ホントのところはわからない。
けれど、理由としてはおそらくこんなところかなと個人的には思う。
しかし、何年も島で生活していると、みんなが下の名前で呼び合う中で、自分だけ何年経っても「○○さん」という名字呼びであることに、距離感や不安を感じてしまう人もいるかもしれない。

ただ、私が感じたのは「島の人じゃないから」とか「島の人と認めてないから」、だから名字で呼ぶ、といった理由では決してないんだろうな、と。
名前で呼ぶ習慣が自然と浸透してきた島の人たち自身は、この島に根付いた”名前呼び文化”をそこまで意識されていないのかもしれない。

2. おすそわけから見える、島の文化とご近所付き合い

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島に来てから、特に私が嬉しいなぁと感じたのが、この「おすそわけ」の慣習である。都会でも、地域や隣近所との関係性によっては今でもちょこちょこあるかもしれないが、小豆島しょうどしま、特に私の住む土庄町とのしょうちょうのおすそわけはすごい。
いただくものから、島の生活や文化がちょっぴり覗けるからだ。

土庄町とのしょうちょうは、この小豆島しょうどしまの中でも、農業、漁業、畜産業などの第一次産業が盛んなエリアである。小豆島しょうどしまの隣に位置する離島、豊島てしま小豊島おでしまも同じ町内に含まれるのだが、この2つの島でもいちごやみかん、オリーブなどをはじめとする農業や、小豆島オリーブ牛などの畜産、第一次産業が盛んに行われている。そうした土地柄から、現在は第一次産業を家業とされていなくても、自宅の畑で農作物を育てられているご家庭が多いそう。

夏から秋にかけては、オクラ、トマト、なす、ピーマン、スイカ、ゴーヤ、万願寺とうがらし、さつまいも。
「うちの畑で獲れたよ!」「お隣さんの畑で獲れたの、たくさんいただいたからどう?」といった、いわゆる”土地のもの”を、たくさんたくさんいただいた。
島の自然の恵みをたっぷり受けた獲れたての食材は素材そのものが新鮮なので、シンプルに調理しても野菜の味が活きてとってもおいしい。

瀬戸内海では、様々な海産物が獲れるという。
聞くところによれば、タコ、イカ、鯛、鯵、運が良ければ60cmくらいのスズキもそこそこ釣れるという。そんな環境もあってか、島には元々の島の人だけでなく、移住者の中にも釣り好きが多い。
私が島へ来て2ヶ月目に住んでいた家のお隣さんは釣り好きで、釣ってきた鯛を昆布締めにし、おすそわけしてくれた。

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どさくさに紛れてお魚のあらもいただいたので、生姜とねぎ、酒を加え、塩こしょうで味を整えた、台湾風のあっさりスープに。
この辺の魚はおいしいし、何より新鮮なので、いいダシが出る。

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この島での「おすそわけ」からは、自然の素材のおいしさだけでなく、島ならではの醍醐味や文化も味わうことができる

9月。オリーブの島に収穫の時期が到来すると、オリーブの新漬け(塩漬け)を作られるご家庭も。
写真は、うちの大家さんの手作り、オリーブの塩漬。

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今年の十五夜は、島から月が綺麗に見えたので、大家さんのお宅の玄関先でお月見をしようと声をかけてくださった。
お団子、おはぎ、甘くて新鮮なぶどうと、近くの山で獲ってきたというすすき。
大家さんと近所のおばちゃんと私、3人でお月見をしながら味わう「まあるいもの」たち。さらに、お月見しながらお二人が懐かしそうにお話される昔の島の様子もなんだか素敵で、ゆったりとした時間がとても愛おしく感じる夜だった。

10月。本来であれば毎年この時期は、毎日のように島の各エリアでお祭りが催される。ここ2年ほどは残念ながら中止になっているというが、うちの大家さんのご家庭のようにお祭りに合わせて田舎寿司をこしらえるところもあるという。

お料理上手な大家さんの作る田舎寿司は、感動のおいしさ。
こんな風に島では季節の移ろいを愉しんでいるのだと思うと、なんだかちょっと嬉しい。お祭りのない町は静かでちょっと残念だけれど、来年に期待。

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令和の今日にも、この島にはそんなご近所付き合いがあちこちに残っているようだ。
きっと昔々の東京にもそうした文化はもっと色濃く残っていたのだろう。

こうした田舎ならではのコミュニケーションから新たに知れる生活や文化があることものも、発見があっていいなと感じた。

3. 車は、車種よりナンバーで暗記

週末に仕事で町内で撮影していた、翌月曜のこと。

島の人「よしださん、土曜の6時頃に○○○にいませんでした?」
わたし「△△の撮影で行ってたんですよー。」
島の人「やっぱりあれ、そうですよね。」
わたし「あの車ちょっと目立つし、初心者マークだからすぐわかっちゃいますよねー。」
島の人「いや、確かナンバーが●-だったなーと思って。」
わたし「(そっち!?!?笑)」

どうやらこの島には「誰の車か、ナンバーをなんとなく覚える慣習」があるらしい。
車種とか車の色、よりも「ナンバー」らしい・・・不思議。(笑)

正直、これは都会から来た人は最初、それなりに戸惑うかもしれない。
都会でも「街でバッタリ」はゼロではないけれど、それでも田舎の遭遇頻度とは格段に違うし、また、車移動がメインな人たちも田舎ほど多くはないだろうから(駐車場代が高い東京の場合は特に、電車や地下鉄での移動が多い)、都会と比べて小さいコミュニティゆえ、発見される頻度の高さに驚いたり、慣れない人はときにそれが嫌になってしまうこともあるのかも。

そこで、移住後に「田舎、プライバシーないわー!」なんて身構えてしまいそうなあなたにお伝えしておきたい。

島でよく耳にする「昨日、どこそこにおった(=いた)よね?」の声かけ。
これは「誰がどこにいたとか、いちいちチェックしている」わけではなく、「昨日どこそこにおったよね?」という日常会話のコミュニケーションのひとつ、というか、挨拶のようなものらしい。

「無意識に車のナンバーを覚える」という習慣がない人は、最初驚くかもしれないが、これもこの島特有(田舎特有?)の文化らしい。

4. 島の情報網は、光よりも速い

まずはここまでで、田舎のコミュニティは都会に比べて狭く、小さい頃から大人になるまで家族ぐるみの顔見知りも多い、ということはご理解いただけただろうか。

そんな密な交流が当たり前なこの島では、都会のご近所付き合いと比べると圧倒的に日常的なコミュニケーションの機会が多い。
ゆえに、とにかく情報のネットワークがすごい。

私が島で2軒目に住んだ一軒家へ引っ越して間もない時のこと。
初めて「こんにちは」とご挨拶したその方は、私の名前も地域おこし協力隊として来たことも既にご存知だったし、さらに、シロアリが出てそこから急遽お引っ越ししなければならなくなった時も「シロアリ出たんでしょ?大変だったねー!」と、これまた私が直接お伝えするよりも先にご存知だった。

そんな島の情報網の速さについて、島の人たちと話したとき、とある島の人が残した名言。
「島の情報網は、光よりも速い」。

どこにどんな人が引っ越してきた、誰が誰と結婚した(もちろん”離婚した”も即広まるらしい。苦笑)、あそこの家に子供が生まれた、あの人のじいちゃん・ばあちゃんが入院した、など、とにかく情報が速い。冠婚葬祭の正式なお知らせが来る前に既に情報が回っている、ということも稀ではないらしい。

島の人たちにとっては、隣近所と顔を合わせる度にコミュニケーションをとることがとても普通で、それが日常の中では自然なことであるように私には見える。そんな環境で培われてきた人と人とのネットワークのあるこの島では「光よりも速い情報網」が確立しているようだ。これだけのネットワークの濃さと速度なので、おそらく何かあった時には、良くも悪くも評判が広まりやすいこともあるのだろうけど、この情報網がこの島で良い効果を発揮している場面も多々あるように見える。

「○○さんのところの畑の収穫、人が足りないらしいよ。」そんな情報も日常的に交わされているようで、農業の収穫時期には、お互いに人手が足りないところへ手伝いに行ったり来たりすることも。
こうして互いに助け合いが生まれやすいのも、「光より速い島の情報網のすごさ」のおかげなのかもしれない。

そういえば、私の島内の引っ越しの時も、何か他のことがある時もそうなのだが、島へ来てからよく耳にするのは「もし人足りんかったら、手伝いに行けるで。」という一言。

反対に、こうした環境で生まれ育った人たちには、都会のコミュニケーションは距離感が遠く、また、冷たいように感じてしまうのかもしれない。都会で暮らす人の中には「適度な距離を保ちたい、干渉しすぎもされすぎも苦手」と好んで都会に暮らす人も少なくはないだろう。しかし、東京に住んでいた頃の私や、私の周りの友人たちがそうであったように、隣近所や大家さんと頻繁にやりとりし合うような都会在住者も中にはいる。都会にもいろんな側面があり、都会だからそうしたコミュニケーションが皆無だとは限らない、ということは、将来的に都会で暮らす可能性がある方にも伝わったらいいなと思う。

5. 動物相手のトラブル多発

都会と比べて、田舎はゆったりのんびり。
しかし、都会では考えられないようなことも、田舎では日常茶飯事。

イノシシ、鹿、猿、たぬき、リス。
たぬきやリスはさておき、イノシシ、鹿、猿は田畑をがっつり荒らすそうで、こうした鳥獣被害は農家さんにとって非常に深刻であるという。

また、この島ではあちこちに「動物注意系の標識」が掲げられている。
島で運転する際には、人、車だけでなく、動物、特に大型なイノシシや鹿には注意してね、と言われる。そのクラスの動物が車に体当たりしてくると、シャレにならないくらいレベルで車体が打撃を受けるらしい。

島では、イノシシの子ども(通称:ウリ坊)もあちこちでひょっこり姿を見せる。ウリ坊はまだまだちっちゃいので、お尻を振って無邪気に歩く姿はとてもキュートである。近づきたくなるし、写真だって撮りたくなるほどかわいい。しかし、ウリ坊を見たら決して近づいてはいけないのが島の掟。必ずと言っていいほどウリ坊の近くにや親イノシシがいるらしい。「猪突猛進」の言葉からもわかるように、イノシシには突進してくる性質がある。車だろうが人だろうが、突進してくる時は突進してくるらしい。どつかれたら痛い、で済むレベルではないそうだ。できるなら車にも自分にもどつかれず一生を終えたいと私は切に願っている。

いろんな動物と出会える機会が多いのも島の魅力だが、同時に「鳥獣被害により仕事(農業)に影響が出る」「動物との交通事故」など、都会ではなかなか無い動物相手のトラブルがあるのも都会と田舎の文化の違いである。

都会と田舎、どちらも違って、どちらもいい

こうして、日本の中でも「都会と田舎」という、私が海外へ出た時に衝撃を受けたようなカルチャーショック、カルチャーディファレンスみたいなものはあちこちに転がっている。どちらにも一長一短な面があり、それに合う合わない、は個人によりけりなのだと思う。

これまでとは真逆の環境に生活を移すと、そのギャップに戸惑うこともあるけれど、白黒つけすぎず、その違いを上手に楽しんでいけたら、都会からの田舎暮らし、または、田舎からの都会暮らしも楽しめるのかもしれない。

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