数か月間、服屋に通いつめて気づいたこと
週に何度か、気分転換の散歩ついでに目についた店に入って、服をたくさん見るようになってから数か月経った。
以前はシーズン毎に気まぐれに買いに行く位だったので、店員さんに話しかけられたり試着するのに緊張してしまっていたけど、その頃に比べるとかなり慣れてきたと思う。
色、形、重さ、手触り、値段、バックストーリー。本当に色んな服があって。
今日も半日寄ってきて、ふと気づいたことがあった。
値段や周りにどう見えるかを度外視して、全身のコーデを自由に想像してみた時に、それを着ている自分が一番邪魔なような感じがして、結構おどろいた。
そんな風に思っていることに気づいていなかったのにも。
自分のために服を買うはずなのに、それはどうだろう?
どんな組み合わせでいい感じの服を着ても、私自身が自分に「うーん」と思っている限りそれ以上はないんだな、と思った。
雑誌なども男性のファッション誌を見るのはいいのに、女性誌はなんとなく気が進まなくてあまりたくさん読んで来なかった。
それは「自分を磨こう」「モテるにはこうする」「流行はこの服」という雰囲気がページをめくる度に目に飛び込んでギラギラして見えて、得意ではなかったのだ。
気持ちがついていっていないのに自分ごとに強制的に置き換えられるような感じがして気が引けてしまっていた。
という気づき。
今からそれに乗って過剰にお金をかけたり、良く見せたくてあくせく頑張るんじゃなくて、「自分自身を雑に扱う癖がついていること」を見直す、いいタイミングだなと嬉しくなった。
たくさん先延ばしにして来たけど、ついに向き合う時なのか。
私はちゃんと自分を大切にして自信があって、そのひとらしく堂々としている人が大好きなのだ。
その人を真似するのも違う。手探りでみつけていく度に自由になれる伸びしろがいくらでもあるんだ。
数か月うろうろした成果がこんなにささやかで大きなものだなんて、考えてもいなかった。
これからもっと自分らしく、今より楽しくなりそうな予感で目が冴えてしまったのでこの記事を書きました。
今度は好きなかばんを探す旅に出よう。
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