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読書感想文「リーン・イン 女性、仕事、リーダーへの意欲」

読書の秋。図書館にはいつもお世話になっている。

せっかく読んでも、時間が経過すると内容も忘れてしまう。少しでも記録化し、その時自分がどう思ったのかをnoteにも駄文ながらつづってみる。個人の備忘録的なものとして。

1.きっかけ

地元でパワフルに活動されている方に出会った。その方が影響を受けた本だと紹介いただいた事だ。その方は、海外でキャリアを積み、MBAを取得されているが、地元にUターンし、地域活性のために動いていたのだ。その方が影響を受けた本のうちの1つとおっしゃっていた。

とても気になっていたので、ふと図書館のサイトで検索してみると、いつも通っている図書館で貸出可となっていた。ちょうど出かける前に立ち寄れる!このタイミングで分かったのは、きっと今読みなさいという事だと思い、急いで向かった。

2.概要

フェイスブックの最高執行責任者(COO)であり、活動家、作家であるシェリル・サンドバーグによって2013年に出版された本である。
本書は、著者が2010年12月にTED講演会にて行った「何故女性のリーダーは少ないのか」というタイトルの講演の反響により、どうしたら女性が仕事で成功できるかという問題について声を上げつづけるために書かれた本である。女性一人ひとりが一歩踏み出せというメッセージである。

3.印象に残った箇所

読んでいて、気になったところをピックアップして記録する。

3-1 怖がらなければ何が出来る?

大学の卒業式でのスピーチ

どうぞ人生の意味を見つけ、ほんとうの満足を得られること、 情熱を捧げられることを発見してください。
広い視野をもち、一人ひとりにちょうど良いバランスを見つけてください。

大学卒業時に私はこのメッセージを聞いたとしても、真正面に受け止められる自分だったのだろうか。だけど、彼女のような方から発せられたもの、響くにちがいない。

大学の基調講演

女性特有の詐欺師感覚。
自分の業績を誉められると、詐欺行為を働いたような気分になるという。自分は評価に値する人間だとは思わずに、対した能力もないのに誉められてしまったと罪悪感を覚え、まるで誉められたことが何かのまちがいのように感じる。

激しく共感。何だか痒くなる。もっと出来る人が居るのに。。。恥ずかしくなるのだ。


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3-2 同じテーブルに着く

批判されたり、過ちを指摘されたりすると、女性の方が男性より大幅に自信を喪失し、自己評価を一段と下げる傾向がある。「自分は最高だ」と信じさせるにはどうすべきか分からないが、とりあえず自信があるふりをする。

ふむ。ここって女性にある傾向なんだ。私はまさしく該当する。いっちょ前に高いプライドなのか、繊細なのか。口では「ご指摘ありがとうございます。」といいながらも、心の中では「自分はやっぱりできないのかな。恥ずかしいな。人にこんなこと言わせて。」と思ってしまう。

自信があるふりか。それはできる。
なぜなら傷付いてる自分を出すのが恥ずかしいから。弱いなんて思われたくない。ちっぽけなプライドだ。

現代の世界がめまぐるしく変化していることを考えれば、チャンスを逃さず掴むことは、以前にも増して需要である。自分はこれがやりたいとか、あれができるとか言う。するとそれが、その人の仕事になるのである。

チャンスをつかむには、感度を上げる事と同時に前向きに発信していく必要がある。正直今の私には「これがやりたい」と説得力を持って発信できることは無い。まとまっていない。何より人一倍自己開示に臆病なんだ。「人にどう見られるか」それがこびりついて離れない。怖い。でも自分の仕事を作り出すためには必要なこと。私の課題。

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3-3 出来る女は嫌われる

頭がいい、仕事が出来る女はモテない。やっぱり嫌煙される。はっきり知り合いの男性に言われたことがある。「やっぱりそういった女性が目の前に現れると、プライドが傷つくし、パートナーとしては受け入れられないな。」と。

グローバルに考え、ローカルに行動せよ。とよく言うが、交渉のテーブルに着くときは「自分のために考え、全員のために行動せよ」がよい。自分一人の利益ではなく、女性のために交渉するのだ

女性への期待と認知バイアス。それに苦しめられてきた。それは無意識に言動や行動に出ていると思う。もちろん私自身も。


3-4 梯子ではなくジャングルジム

この章は現在の私にとって一番響いた。梯子&ジャングルジム。そう私が目指しているのはジャングルジムなのだ。これって今までのキャリアもそうだけど、この人がどういう人間なのかを見てくれている気がする。

スキル・経験を超えた人となりを見てくださるようでありがたい。

一つの企業なり組織なりに就職し、そこで一本の梯子を上っていく時代はとうに過ぎ去ったのである。

おっしゃる通りである。私自身もそう思った。だから飛び出した。以上!笑

梯子には広がりがない、上るか下りるか、とどまるか出ていくか、どちらかしかない。ジャングルジムはもっと自由な回り道の余地がある。梯子の場合、上るのは一本道だが、ジャングルジムならてっぺんまで行く道筋はいくつもある。

ジャングルジムだとは到底思えない世の中な気がする。まだまだ梯子。

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仕事の基準を決める基準は一つしかない、それは成長。それも急成長だ、と断言した。会社がハイペースで成長していれば、いまいる人間がこなせる以上の仕事がどんどん湧いてくる。反対に会社が伸び悩んだり横ばいになっていたりしたら、仕事は減り、仕事より人間の方が多くなる。そうなると社内の空気は淀み、ごますりや駆け引きが横行し、社内の士気は低下する。

条件って色々あるよね。収入、仕事内容、規模etc上げたらきりがない。でもバサッと1つ。成長できる所。とてもシンプルだし理解出来る。ほんと無駄な人間関係は、正直ヒマだから出ると思っている。目的を見失ったりしているから。

二つの目標を立てること

1つは遠い夢、もう1つは18ケ月プランである。2つは同じ方向を目指している事が大切だ。

サンドバーグは世界を変えたいと思っていた。これが遠い夢。 

遠い目標は現実的でなくてもかまわないし、具体的でなくてもいい。ただ漠然とした目標であっても、方向性は決まる。

18か月プランは、仕事上の達成目標と、自分のことの2つの面から設定する。
仕事の目標を立てつつ、それが結果的に18か月きっちりである必要はない。メルクマールを置く事が大事だ。サンドバーグは結局6年半になったという。

自分の事は、新しいスキルの習得。今足りないのは何か?おっくうになっているものは、足りていないものを自覚し取り組むこと。

地位や肩書に固執するあまりみすみすビッグチャンスを逃してしまう人が多いように思う。同じ所に長くとどまっていると、ときに惰性や硬直性に繋がり、飛躍のチャンスを逃してしまうように思う。

これこれ。慣れや、新陳代謝が出来ていなかった組織の恐ろしさを身に染みて感じてきた。新しいものへのアレルギー反応、無駄な対人関係の揉め事など。エネルギーが有り余っているのか、本来の目的外に使われている感じ。

地位も、やりがいがある仕事も、待っているだけではやってこない、ちょうどティアラが天から舞い降りて来ないように。もっともジャングルジムをよじのぼっている時はティアラなんて邪魔なだけだが。

よい仕事をしていれば誰かがティアラをかぶせてくれると期待する。そんな気持ちはわからなくもないが、そもそも私はティアラは似合わないタイプだわ。あんまり上品ではないので、よりよじ登りやすく、マメ防止のための滑り止め付きの軍手の方がよっぽど欲しいなぁ。だからティアラは邪魔。自分に合う装備を自分で探して身に着ける方が私には合っている模様。

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3-5 メンターになってくれませんか

メンターについて正直深く考えてこなかった。
自分がした重要な決断は結局自分で決めているが、相談相手や参考にさせてもらった意見はある程度。もし私がメンターと出会えたら大きく変わるのだろうか。

メンターが師匠だとすれば、さしずめ弟子にあたるのはメンティーである。さまざまな研究で、メンターは実績と将来性でメンティーを、選ぶと指摘されている。

これって採用面接と同じ。「この子なら投資できる!この子なら時間をかけて成長の後押しをしたい」そう思わせる人を弟子とする。

「群れから抜け出せばメンターが得られる」

群れから抜け出すためにメンターを得るのではない。群れから抜け出し、団体からとびぬけている所が、光って見える。そうやって見つけ出してもらいやすいポジションにいる事が大切なのだ。

職探しをするときは、準備がとりわけ重要になる。まず自分がいったい何をしたいのか、はっきり理解をしておかなければいけない。

ううー痛い言葉。自分がいったい何をしたいのか、これが理解できていない。

同僚がメンターやスポンサーになることも十分に可能である。どの助言にもその人の背景が反映される。キャリアの同じステージにいる友人なら、より時代に即した有用なアドバイスをしてくれるだろう。

同じ経験をしているから助言に説得力があるのだ。だからそういった方に相談したくなるし、引き寄せられていく。

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3-6 本音のコミュニケーション

本音のコミュニケーションは必ずしも容易ではないが、家庭でよい関係を築くには欠かせないし、仕事の真の成果を挙げるにも必要なものである。

本音を言えばチームの和を乱す女だとみなされるのではないか。

そう。厳しい言葉を言ったり反対意見を言うことで流れを壊さないか。やたら空気を読んでしまう自分。

適切に言葉を選んで真実を伝えるとき、コミュニケーションはとっとも実り多いものとなる。不躾なほど剥き出しではなく、こまやかに気を配りながらも正直であるような、そういうスイートスポットを見つけることが大切だ。

スイートスポット!なんてしっくりする言葉なんだろう。本音のコミュニケーションだから、耳の痛いことも言う。ところが、ストレートに言いすぎたり、遠回しに言いすぎて意図が伝わらなかったりするのは勿体ない。このスイートスポットを見つけるスキルはとても重要だと思う。

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よいリーダーシップとは「気づき」のリーダーシップである

先日読んだ本と繋がってるな。。。

私の見方があれば、相手の見方がある。これを理解することこそが円滑なコミュニケーションの第一歩だということである。唯一絶対の真実などまず存在しないのだから、
自分は自分の視点からだけものごとを見ているのだと気づけば、自分の見方を相手に無理強いすることはなくなるだろう。

昔の自分に言ってやりたい言葉。「絶対正しい」、「一般的に正しい」、「普通は」を振りかざしてきた方だと思う。本当に恥ずかしい。だけど、色々経験して、その人にはその人なりの背景、経験があっての見方。それは否定されるものではない。という事が身に染みてわかった。

リーダーに盲従する危険

率直にほんとうのことを言ってもらったら、みんなの前で感謝することが大事だ。

ここって、度量だよね。言ってくれてありがとうを心から喜べる人間か。そしてそれを惜しげもなくみんなの前で口に出せるか。

言いにくいことを言うときには、ユーモアがすばらしい効果を発揮する。

正しいことを言うときは優しく。正しいというだけで強くなってしまうから。というアドバイスが胸に刻まれている。それに似ていると思った。ストライクゾーンに球が来るにしても、ストレート球が来たら何とか受け止めることが出来ても痛みに気がいってしまうが、ふわっと浮かせた球が来たらしっかり受け止められる。
せっかく伝えたいことがあるのだ、本質を届けるためには、届く投球をしよう。

戦略的、分析的、実力主義といったさまざまな観点からリーダーの資質を決めるやり方はもう古い、むしろ真のリーダーシップは個性や人格に由来する、と主張する。

これはとってもありがたい。正直私は特筆したスキルは無いと思っているただ、色々あって過去の恥ずかしい失敗や今思えば反省し、このキャラクターや人柄で売っていきたいなって本当に思うわ。

3-7 辞めなければならないときまで辞めないで

仕事を始めるときから出口を探さないでほしい。ブレーキに足をのせてはいけない、アクセルを踏もう。どうしても決断しなければならないときまで、アクセルをふみつづけよう。

はい、私です。「結婚しても、子供を産んでも同じ会社で働き続けたい。」なんていっちょ前なこと言っていました。だから福利厚生がしっかり整った会社に入りましたよ。でも使わずやめましたよ(笑)

まだ見ぬ未来、わからないんだから、その時に心動いたことで決断して、アクセル踏んでいこうぜ。これからはさ。

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3-9 スーパーママ神話

「完璧をめざすより、まず終わらせろ」
完璧を目指すのはやめ、持続可能で実現可能な目標を立てよう。

私に言えるのかもしれない。
いや、甘いんじゃないか
プロじゃない
ずっと自分に葛藤していた。

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3-10 声を上げよう

力をもつ者が名詞を獲得し、それが標準となる。力の無い者には形容詞が付く

すごくしっくりきた。女性ナンとかって言われるよね。それはまだまだ珍しいからだと思う。そして世間はその珍しさに引き付けられるから、より使われるといったことだ。

ナッジとは、「そっと肩を押す」といった意味合いで大事な瞬間のわずかな介入によって人々の行動を好ましい方向に促すテクニックを指す。

これこれ!あからさまなものではなく、あくまでそっと。だけど、これがとてつもないパワーを発揮するのだ。

気配りの基準

ハーバードビジネススクールでの取り組みだ。
男子学生と女子学生、留学生の学業成績の差を埋めるべく、問題を徹底的に調査した結果定めたもの。

たとえば、教室での言葉遣いにもっと注意を払う、などである。こんな具合に大々的な改革はせず、学生が誰でもすぐできるようなソフト面にさまざまな小さな工夫を導入した。

些細なことかもしれない。だけど、ハード面や強制力が働くものは、取り組むのに大きなエネルギーが必要だし、軋轢を生む。まさに心がけひとつで始められること。

学内でのリーダーシップの定義

リーダーシップとは、あなたの存在によって他の人の満足感を高め、あなたがいなくてもそれが維持されるようにすること

リーダーが居ないとうまく回らないといった話しはよく聞くが、初期はやむを得ない。自分が居なくても回る仕組みを作ることがリーダーの一番大切な仕事だと思う。

社会的な利得は、配られるものではない。勝ち取らなければならない。私たちがいまあたりまえのようにさまざまな権利を手にしているのは、女性運動のリーダーたちが勇気をもって声をあげたからである。

男であること、女であることが与える影響について発言する意志をもつことである。

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3-11 ともに力を

女性の社会進出の確保に目がむきすぎ、リーダーを目指すよう励ましてこなかった。

本人にとっていちばんいい方法を選択したのだ、それが誰にでも当てはまる方法ではない。誰しもその事情は尊重され、理解されるべきだ。

無意識の一般化

女性リーダーに何か落ち度があれば、それが女性代表のようにみなされがちだ。女性リーダーが過小評価され嫌われやすいことを考えれば、こうした一般化は致命的である。

何かがあると、だから女は~などあるんだよね。みんながそうなわけじゃないのに。私もその傾向はあると思う。無意識に自分もある。銀行員だから◯◯できるよね。それにどれだけ苦しめられてきたか。私は少し変わったキャリアを進んだため、やむを得ないのだが、その度の説明は正直気持ちいいものではなかった。銀行で何やってたの?が良いと思う。

女性の椅子は1つしかない

同じ部屋にいる女性の同僚を競争相手とみなしがちだった。野心が敵意に火をつけ、上をめざそうとする女性は同性から無視されたり、足を引っ張られたり、妨害されたりした。

女の敵は女。女性のパイを増やすことが目的なはずなのに、パイが1つしかないという状況に陥ったことで発した問題。ナンセンス。

女性に対する過度な期待、女は気にかけてくれる、優しいという期待。それは女だからではない。男性でもそういった人は居る。

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4 全体的に

サンドバーグの実体験を、絡ませた考え方はとても説得力があるものだった。

自分を過小評価してしまったり、無意識のバイアスに適応してしまうこの世の中。諦めてしまったり、そういうものだという思い込んでいるように思う。視点を変え、そもそも論をぶち破っていく必要があるんだな。

いま作られているルールはあくまで男が作ったもの。だから女性目線で変えていく。それがお前たちだって。ボスが言ってくれた。

ただ一方で、本書を読むと変革やぶち破るのって、大企業のCOOのような人でないとやはり成し遂げられないのかと感じてしまう。書いてある家庭環境、学歴、キャリアは個人的には到底手に入らないものだと思っている。そして本人の体を張れる体力、バイタリティー。

もちろんこういった女性が声を上げる事は影響力という意味では重要な役割。ただ、そうではない女性を置いていくことにならないかと懸念している。


そこまでしたいと思う女性が果たしてどれだけ居るのだろうか。それが出来ないのは、それも女性側の問題なのか。
ピラミッドの中に女性割合を増やすことを目的とするだけではなく、ピラミッドに入ることを望まず、組織に入らず進みたい女性もいる。

所々「てっぺん」って言葉が出てくるが、「てっぺん」てなんだ?本書の文脈から考えると組織の中のてっぺんの事を言っていると思っている。社会は組織というピラミッドの中に女性が入ることだけどを求めるのか。そうじゃない女性はだめなのか?

ここの違和感がぬぐえない。私はてっぺんって、ピラミッドじゃなくて、個々人の絶対評価の中で定めたもので、それが認められる世の中であってほしいと願う。

怠けているわけでもなく、過小評価してるわけでもなく、自分の良い塩梅を見つけた女性も手を差しのべられ、理解される世の中であってほしいと思う。


#読書の秋202それ1


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