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赤いサイコロというチーズケーキ

saytou 作曲:saytou
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会社の同僚の方が、とあるデパートの北海道物産店にて購入されたものを、北海道育ち北見市にもいたんでしたよねと渡された。ありがとうございますと同時に、全く知らなかった。
現状でカーリング女子チームの活躍効果もあり、北見市の有名な土産となっているらしいのだが、ボクが小学校の5年間を過ごした、北見市の街で有名だった土産は、ハッカの菓子とオニオンスープ、北見市とはちょっと違うかもだが、ぽん鱈という魚の珍味的なものであった記憶がある。

何年前ですかね?カーリング女子チームの活躍で、北見市のことを思い出した。

ボクら家族は、札幌市から、北見市に、ボクが小学1年の秋に引っ越し、ボクが小学校6年の夏の時に、また、札幌市に引越した。
ボクは、札幌の新しく住んだ街に馴染めなかった。ボクは、人付き合いが今でも下手くそだが、当時は、もっと下手くそ過ぎて、小学校に馴染めなかった。
教師とも、同級生とも合わず不登校になった。
教師は、学校に来させようと、今考えると、いかにも正義感のある言葉だけを言い、ボクに対しては、どうでもいい感じだったように思い返せる。こいつ面倒臭いなみたいな。

そもそも、今、普通に考えると、授業中の、幼かった自分に対する貴方の言動で、いじめの対象になったと言っても過言でなかった。今、考え直せばと。もちろん、彼は、そんなことを、全く、感じても、思ってもいなかっただろう。

もう少し、北見市で過ごせる時間があったら、どうだったんだろう?
北見市でも、仲のよい友達ができるのも、学校に馴染むのも、かなりの時間がかかった。

最後に担任だった女性の教師は、厳しい方だったが、好きだった。
札幌市の男性教師より、生徒のことを確実に思ってくれていたと思う。
少なくとも、授業中に、厳しいことは言っても、前向きになれる言葉で、他のクラスメイトが、同級生をバカにするようなことは言わなかった。札幌市の教師は、その差ではクソだったと思う。
あの頃は、教師の言うことは正しいと思うこと当たり前と思っていたけど、北見市の教師にはない、生徒への侮辱が札幌市の教師には確実にあったと思い返せる。

北見市の女性教師と、札幌市の男性教師と、どちらと、自分が学べたら幸せだったんだろう、それだけである。
今の自身であれば、札幌市の男性教師にいろいろと、言えたと思うが、当時は幼すぎて何一つ言えなかった。

ただ、引っ越しに対し両親を否定することは、もちろんできない。姉が高校受験も控えていたし、このタイミングと思ったのだろう。

あの当時のボクは、本当に弱かった。

死ぬまでに、もう一度、北見市の街を見たい。ボクが過ごした、本当は引っ越したくはなかったかもしれない北見市三輪の街を。

ボクがいた街。https://note.com/saytou

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