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私はヴィーガンじゃない




昔はお肉が大好きで大好きで肉食系だった。


だけど昔からお肉を食べられない時期が時たまあった


小学生のころから
マック食べてて突然オエってなって


その後数ヶ月お肉受け付けないとか…


でも家は残したらゲンコツだから無理矢理食べてたけど極力大皿から取らないとかしてた


(普段は野菜残して肉を選ぶ!ってくらいの肉食)



思い出すと
なんの影響か分からないけど

幼少期
頂きます、と言う言葉を
結構深く考えて使ってた

お肉も野菜も、命を頂き
私たちは生かしてもらえてる

そう深く感謝して
頂きますと
10代の頃は言葉にしてた



お肉ってのは、
家族のように過ごした動物が
もう生涯を終える時

最後の最後に食べれる形のお肉になり

家族が最後に感謝し涙しながら
栄養として体内に取り入れる
そんなイメージだった

人間=家族
とその周りの仲間が
生きるために頂く

そんな感覚だった

(去年なんかで見たけど
そんな風にヤギさん飼育している民族もいるよね)

んでお肉の売買ってのは
たくさん飼育していて
家族じゃ食べきれない分を
分ける、そんな感じで思ってた




いつだか
殺される動物を見た

それが私たちの食の為に
涙流しながら残酷な殺し方をされている

今まで食べてきたお肉は

私のイメージなんか馬鹿らしいってくらい

残虐で非道だった



私が10代後半で子どもを産み
自分が子育てしている時は
そんな事考える余裕なんてなく

頂きますって言葉もどんどん軽くなり

しまいにゃ
言わないで食べる事も多くなってた


必死に生きてて安いもの安いもの買って
もちろんお肉も常備して食べまくっていた
感謝して食べるってより
時間内に掻き込む、そんな雑な食べ方になってた


子どもが大きくなって
生き方が少し変動して
力が少し抜けた頃から


気付けばお肉が減っていて
自ら選ばなくなって
最低限家族が欲しがるもののみ


自分だけのご飯の時はお野菜のみ

気付けば家族にも
野菜のみの料理出して批判されて気付く

ハッ!
とするものの、

でも美味しいじゃん、同じ命じゃん、
そこまで批判しなくてもいいじゃん!と
思ってしまい、たまにぶつかるようになった


今作る人がいなくなって
たまに作る時には色々考える




ある知人から

"ヴィーガンて辛そう、可哀想"って言葉が出た

"食べるものないじゃん"ってね、

うーん、、あるけど、、

あるとか無いとか

そうじゃなくて


ヴィーガンの人って…

人によると思うけどさ


"食べる方が苦しくなるんだよね?"って言った


ホルモン剤とか…
地球とか…
命とかの膨大で大事なお話に繋がる…

なので…続きはまた今度…

まとまるかな、この感覚。




私は今現在ヴィーガンでは無い。

でも、感覚は近い物があると思う、近いと言うか、賛同出来るし尊敬してる。

でも肉を扱う人達を批判しない。

生ぬるい事って怒る人もいるかもだけど

人にはそれぞれ役割があって

人生って

どんな状況へもなり得るので

批判なんて出来やしない

批判の気持ちが出た時って

自分の成長の全てが止まってしまった時

矢印は常に自分に向けていたい、それが理想


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