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いまの自分が本当にやりたいこととは?

 コロナ禍で毎日変な夢を見る。この前見た夢は、なかなかインパクトとメッセージ性が強かった。

 男性と女性(両者とも夢のなかではわたしの友人という設定だったが知らない人だった)とわたしでバスに乗っていた。走るのは森の中。静岡県にある冷川峠とよく似た景色だった。昼下がりのやわらかい太陽の光がバスのなかにも差し込み、心地のいい揺れも相まってとても穏やかな道のりだ。

 だが一転、バスは木々が生い茂るものすごい傾斜の道に差し掛かった。「こんな崖のような急勾配登れるわけがない。引き返すしかないがどうやって?」と動揺していると、そのバスはものともせずその45度近い傾斜を、木々を蹴散らしながらぐんぐん登っていった。ネコバスが走っていく姿を想像していただくとわかりやすいかもしれない。呆気に取られているわたしをよそに、行動を共にしていた男女はその様子をまったく気にもとめず、穏やかな表情で車窓を眺めていた。

 坂を登りきると、その先には独自の文明を築く街があった。風景のイメージとしては韮山町や中伊豆町といった山の中の集落で、バスの終着点は自分が入学したかった(という設定の)高校だった。

 ラチッタデラを巨大化させたような、イタリアのヒルタウン的な建物。そこにインディー・ジョーンズの世界観やインドの建築物にも通ずる、オリエンタルな要素も織り交ぜられていた。存在感の強いその建物を前に言葉を失っていると、行動を共にしていた男女から「今度はここで高校生活を送ろう。本当に学びたいことに尽力しようよ。あなたはもっと日本語の勉強をしたいんでしょう」と告げられたあたりで目が覚めた。

 記憶に強烈に残っているのは坂道のシーンだ。「絶対無理じゃん」と思う坂道を物ともせずに高速で突き抜けていく爽快感と、果敢に攻めるからこそ起こる荒々しい車体の揺れは、くよくよしながらも牛歩で進み続けてきたわたしが味わうすべもなかったものだった。

 今年に入ってから「小さい頃から日本語が好きなんだから、10代の頃から文学部目指してれば良かったな〜」という後悔ばかりが生まれる。なぜ21歳まで外国語を学ぼうとしていたのかというと「これからの時代は英語だけでなくほかの言葉も話せるほうが出世に役立つ」という理由だけだった。

 もちろん今の時代トリリンガルが重宝されるのは紛れもない事実なのだが、本当にやりたいことだったのかと問われれば首を縦には振れない。打算的になりすぎるとまじでいろんなこと見失ってなんも手元に残らないんだなと20年以上経ってしみじみ感じる。

 この夢に出てきた景色は、ライターを志す前の自分に縁のあるものから引用されていた。本当にやりたいことではないことをやろうとしていたときの記憶の景色が融合した世界が、「本当にやりたいことをやろうよ」と呼びかけてきた。

 14年前にライターになりたいと思い、お金を貯めて専門学校に通い、1年間アシスタントをし、10年前からライターの仕事をするようになって、これしかやってこない間に気付けば人生折り返し地点だ。そしてコロナ禍に巻き込まれ、ライターとしての仕事をいただける機会が激減している今、なんだか生きる意味を見失っているのが正直な話である。

 どう生きていきましょうかね。あのバスみたいに、独自の文明を築くあの街に行くための、ものすごい傾斜を走り抜けられる力が、わたしにもあればいいのに。

最後までお読みいただきありがとうございます。