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いい意味で、あきらめる

私が世間に姿を見せなくなってもそんなに困られるようなことはないと思うので、いつでもひきこもっていいという意味で、あんまり思い悩まなくてもいいのかもしれないな。

とある所

社会的にどう、ということを気にしなければ、あとはひっそり生きていけばいい。

とある所

二つとも私の書き込みである。「そんなことないよ!」と言ってほしいわけではないので気にしないでいただきたい。そしてこれから引きこもるわけでもない。承認欲求に囚われて思い悩むくらいならば、こういう方向に思考を傾けたほうがいくらか健康的なのではないか、と、ポジティブに思ったので、とある所に書き留めた。

「ポジティブに」というのが重要な点である。上記の文章は悲観しているように読めるし、実際、いくらかはあきらめも交じっているとは思うが、それは私にとって「いい意味で」なのだ。特に「社会的にどう」ということを気にしない辺りが。

評価を欲しがってはもらえず、評価されている他者に嫉妬する、という心の動きに疲れてきた

とある所

そもそもなにがどう評価されれば満足なのか自分でもわかっていないのではないか。だからやたらに嫉妬ばかりしているのだ

とある所

以上も私の書き込みである。何が欲しいかもわかっていないのに、何でも欲しがっては何も手に入らないと嘆いている。そんな状況よりは、何が欲しいのかわからない自分を認めて、わからないなとぼんやり過ごしたほうがいくらか良いのではないか、と思ったのだ。

もちろん、自分の欲しいものが何かを突き止めてもいいと思う。私がそうしたくなったらそうするかもしれない。しようとしなくても急に気付くかもしれないし、そうなったらそれはそれでいい。ただ、今はおとなしくしていてもいいのではないか、ということだ。この先、自分も状況もどう動くのかは誰にもわからないことで、ここで書いたこととは真逆の方向に動く可能性もある。だが、こう思っていたことがある、ということを書き残してもいいのではないかと思ったので、そうしたまでだ。

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大場さやか
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