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子どもの心

カウンセラーとしての
私の専門は児童心理であり

親子でのカウンセリング、
親御さん自身のカウンセリング、
子どもたちと向かい合う時間を通して
心理カウンセラーとして 日々、向かい合っている。

その関わりの中で私が大切にしていることがある。

学校の先生のご紹介や、
親御さん自身が私の講演会を聴いたり
周りの方からのご紹介で、
カウンセリングのご予約をされる際に

「子どもにカウンセリングしてほしい」という依頼

確かに、私のカウンセリングルームには
たくさんの子どもたちが来ているし

児童心理専門なのだから
子どものカウンセリングをしてくれると思い
カウンセリングの希望を伝えられる。

当たり前のことのように聞こえるが
その時に、必ず親御さんにお聴きする。

「本人はカウンセリングを受けたいと言ってますか?」

お子さんが就学前でも、小学生であっても
必ず聴く。

もし、そうでなかった場合は
最初の段階で私はカウンセリングをすることは
ほとんどない。

子どもにも意思がある。

カウンセリングを受けたいか?
受けたくないか?は
本人が決めることだと私は思う。

子どもは、カウンセリングがどんなものか
わからないのにそんな風に断って

いつ、カウンセリングルームに来るのか?

カウンセラーとして大切にしたいことがある。

子どもに何か問題があったり
学校のトラブルで不登校になっていたり
子どもが立ち止まらなくてはならないことが
起こったとき

お親御さんも悩んでいる。

親御さんも悩んでいるから
深刻そうな顔をしていたり
笑顔がなくなっていたり

学校に分団で行けないから
子どもを送っていかなくてはいけなくなり
お母さんも仕事を休んだりセーブしたり

子どもは、自分のせいで
親御さんが苦しそうな顔をしていることを
見ていることは、自分のストレスと
同じくらいツライ。

そんなとき、カウンセリングを受けてみようか?と

親御さんに言われて、
どんな先生かもわからないところへ行くだろうか?

自分の母親が自分の問題で医療機関や
カウンセリングにかかろうとしている母親を

子どもはどう思うんだろうか?

自分の問題に対して
手を焼いているから他人に頼むんだって
思わないだろうか?

私が子どもなら思う。

自分のことが大変だから
他人を頼るんだって。

子どもの気持ちが痛いほどわかるから
だから、私は、最初の
カウンセリングで子どもは見ない。

引っ張って連れてこられた子は
絶対に良くならない。

最初から私に心を閉じている状態、
シャッターが下りている状態で
そのシャッターを開ける作業は
お互いに痛みを伴う。

子どもの心の扉が閉まっているのは
外から鍵は開けられず
中から本人が鍵を開けてくれないと
開かないと私は思っている。

だから私は
子どもが私を選んでくれるまで待つ。

子どもが自分の意思で
「カウンセリング受けてみようかな」と
言ってくれる時機を待つ。

その時機、タイミングはいつ訪れるか?

それは、私が親御さんのカウンセリングを開始し
親御さんに変化が現れた時。

今まで、お母さんは自分を責めてばかりで
例えば
・私がもう少し、あの子を見てあげていたら・・・
・私の育て方が悪かったんじゃないか?
・学校の先生が、もっとこうしてくれていれば・・・

と、悩んだり、苦しんだり
こんな風に考えているときの
お母さんのお顔は下を向き
暗く、悲しげな眼をしている。

お母さんの責め続けている心が
カウンセリングによって溶けて

お母さんが、まず、笑顔を取り戻し
お母さん自身が、子どものあるがままの姿を
観てくれるようになると

子どもは、そのお母さんの
「後ろにいるカウンセラー」である私に
興味を持ち始める。

だれが、お母さんを変えたんだ?

子どもが不登校になると
お休みの日も、外に出なくなったり
お母さん自身も近所の人に会いたくなくて
閉鎖的になったり・・・

そんな時に、
「お母さんが楽しそうにしていなくては
子どもも笑顔を取り戻せませんよ。
自分がまず楽しむことをやってみてください」

「子どもと楽しめることをやってみてください」

お母さんがカウンセラーの私に言われた
1つのアドバイスを守り
子どもの前で、笑うようになる。

不登校という状況は変わっていないけれど
お母さんが笑顔になれば
子どもは楽になるし、

大切なお母さんが苦しそうにしていれば
子どもも申し訳ない気持ちで
苦しくなる。

お母さんにお会いして
お母さんのカウンセリングをしたら

直接、子どもに会わなくても
大体、どんな状態で過ごしているかわかる。

それは、
子どもを映す鏡は親であり
親は子を映す鏡だから。

お母さんの様子が変わると
子どもは、私に興味を持ち出し
カウンセラーに会ってみようかな?
と、思ってくれる。

もしかしたら
カウンセラーは自分の味方かもしれない。

大事なお母さんを変えてくれたんだから
お母さんの味方=自分の味方

この図式が子どもの心の中ででき、
子ども自身が納得できるまで待つ。

だから、私は
親御さんに問う。

その選択は、あなたが決めたことですか?
本人の意思ですか?と。

どんなに小さな子どもも人格を持っている。

その子どもの意思と
人格を守ってほしい。

子どもは、親が思っている以上に親を見ている。

今、目の前に置かれている状況が
不登校「学校へ行けない」という
事実であったとしても

もっと大切なことは
子どもが毎日元気に生きていることだと思う。

お母さんたちは出産し
子どもに初めて会った日
ただ、産まれてきてくれたことに感謝したはず。

その気持ちを思い出してほしい。
ただ、健康にこの世に誕生してくれただけで
何にも変え難い幸せだったことを。

大人になれなかった子どもたちもいる。


今は苦しくて
問題が大きくて
目の前に壁が立ちはだかったいるとしても

時間が経って
その経験があったから
今の自分があると言える日が必ず来る。

「乗り越えられない過去はない」

だから、親御さんだけは
目の前の状況に惑わされず
子どもが笑顔で生きれる毎日を
与えてあげてほしい。

少し立ち止まっても
長い人生から見れば
大きなことではない。

止まることも大切。
止まることを少なくすると
「歩」という字になる。

いつか、止まることが少なくなった時
必ず、子どもたちは歩き出す。

たくさんの子どもたちが
カウンセリングで立ち止まり
自分自身を見つめ
未来を見ることができるようになったとき

後ろも振り返らずに
カウンセリングルームを巣立っていく。

自分の意思で。

その日を信じて
その時を疑わず
親御さんと立ち向かっていきたいと思う。

守れるのは親御さんだから。

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