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知って死ぬのと知らずに死ぬのは違う

言わずもがな、それまで誰も生きては出られなかった野山の獄で囚人たちに吉田松陰が語った言葉である。結果として松陰から学んだ囚人たちの幾人かは獄を出ることが出来たという逸話は有名だ。そのエピソードとともに、この言葉は私の座右の銘の一つと言っていい。(余談だが、幕末の中では長州びいき。一番は桂小五郎。)

人事として面接を行っていると、よく学生や求職者の皆さんに聞かれる質問が「入社までにしておいた方がいい勉強はどんなことですか」だ。それに対する答えは、「特定の業界研究や資格勉強は必要ない。ただ、いつも通っている道で、普段の街で、ちょっとした変化にも気づけるアンテナを持つこと」と答えている。厳密には、気づいた上で「それはなぜか?」を知ろうとすることだ。私たちが手掛ける広告は業界を選ばない。だからこそ、世の中の動き、人の動きに敏感であれ、と伝えているのだが、そう言いつつも実は「さて自分は?」と自問自答している。

いつもの通勤途中で、「あれ、今日はここが違うな」という発見をしているかというとそうでもない。毎日、顔を合わせる同僚の変化に気づけているかというと自信もない。

そして何より、知ろうとしていないかもしれない。

世の中は、その気になれば「なぜ?」があふれている。当たり前だと思っていることが、なぜ当たり前なのか。いつもと違う日常が起こるのはどうしてなのか。知らないまま過ごすのか、知ろうと努力するのか。そんな些細な違いの積み重ねが知らず知らずのうちに人生を変えるのかもしれない。一日のうちに一つでも、自ら気づいて知ることができればと思う。

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