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自然欠乏症

長男とのここ最近のバトルが、本日突然終焉を迎えた。

些細なことでもすぐ喧嘩になっていた。なんでもかんでも「かか分かってくれない!」と食ってかかってくる長男。その喧嘩により、母へ甘えるモードの加速。「私は一体どうしろってゆうのだ」とばかり疲れ果てていたが、やはり答えはこれだった。

「自然のなかへ行こう」

昨日書いたように、私たちは自然の一部である。特に子どもは生まれて間もないので、自然というものにとても敏感だ。長男は、本日山へ行ったことにより、元の朗らかな性格を取り戻していた。ひそかに自然欠乏症かなと感じてたけど、やっぱりそうでした。

こどもがキーキー喚いていたり、感情がコントロールできていなかったり、食生活が乱れている場合は、往々として「自然に触れることが足りていない」という場合がある。一度、のびのびと山の中へ入れば、彼らはストンと明るく朗らかな性格へと戻る。

今日は仲良くしてくれる「たけのこおじさん」の山へと遊びにいった。竹山を持っていて、そのなかを天然のアスレチックがごとく彼らは駆け回った。すべったり、登ったり、ぶら下がったりしながら、小さく芽を出したタケノコを探すなど、存分に山の中を駆け巡っていた。
家のなかに閉じこもっていたり、家の周りに「発見のある自然」がない状態がしばらく続いていたので、長男は自分を枠のなかにはめてしまう不安と枠から抜け出たい欲求で、荒れていたのだろう。あと、You Tube見過ぎの電磁波だな。(笑)

山から降りて帰るときには、ご機嫌になり、些細なことで怒ることはなくなった。さらにはいつもクールな次男が、驚くほどノリノリで元気になっており、二人できゃっきゃっはしゃいでいた。

自然のなかにいることでのエネルギーチャージをされた感はすばしかった。やはり、自然という存在を感じることは、人間にとって必要不可欠であると改めて学ばさせられる。そして不毛な喧嘩や自己嫌悪に陥るくらいなら、「さっさと山へ行こう」がやはり正解である。改めて、疲れる前に山へ行こうと心を決めた。

自然欠乏症」という症状は、本当に存在すると思う。こどもと上手くコミュニケーションが取れなくなっている時は、こどもを山で遊ばせるのはとても効果的である。

しかし、自然のなかにいったときに一つだけ注意点がある。それは自然のなかにおいて「親が子どもを縛らない」ということだ。

「危ないからだめ!」「みんな遊んでるから一緒にあそびな!」など、自然のなかで強要してしまうと、子どもは自然を嫌いになってしまう。そうすると「自然へ行く」ということが億劫になり、さらには「エネルギーチャージ」をする方法も見失ってしまいがちになる。

「親の心配とこどもの自由」。このバランスを取るのはなかなか難しいが、「こどもを信頼して見守る」というのも、自然のなかの親の学びの大事な一つであると私は思う。

自然よ、今日もありがとう。

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