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仕事の上に夢を。

2018年11月25日朝9時過ぎ、私たち家族はサンノゼの国際空港の出入り口付近で眠い目を擦りながらひたすらに車を待っていた。
夫の会社の上司の迎えを待っていたのだ。
これから約10ヶ月のアメリカ生活が始まろうとしていた。
私が子どもの頃から夢に見た西海岸での暮らしに胸を躍らせつつ…とにかく眠かった。

日本を離れる時、両親のみならず大好きな祖母が見送りに来てくれたおかけで、私は機内で情けないほどにボロボロ泣きながら渡米した(決して飛行機が怖かったからでない、断じてない)。
眠れないままにボンヤリと映画を眺めながら夜が明け、その日2度目の朝を迎えていたのである。
カリフォルニアは快晴、頭痛で眩暈がするほどの青空だった。

昨日の記事でこの15年間、ずっっと慌ただしかった、と書いたけれども慌ただしい理由は夫のせいだけではない。

私の両親は新婚旅行の帰りの機内で交わした、10年後にまた来ようという約束を見事決行した。
おかげで8歳だった私は人生で初めてサンフランシスコとハワイの土を踏むのだが、サンフランシスコではまぁ時差ボケが酷く、ほぼホテルで寝て過ごした。
ホテルの窓から眺めたとんでもない都会、中華街で食べたピンク色のご飯(めちゃくちゃ美味しかった!)、フィシャーマンズワーフで食事をしようと乗った路面電車、父の会社の人が連れて行ってくれたウネウネ坂。
8歳の私のサンフランシスコの思い出は以上。
とにかくその巨大な都会の雰囲気と勢いに飲み込まれて、終始緊張していた。
実際に治安も良くないので、子どもながらにビクビクしていたんだと思われる。
両親がユニオンスクエアに面したティファニーでハネムーンの思い出に浸りながら買い物するのを、ずっと外で待たされた間なんて生きた心地がしなかった。
当時4歳だった弟が店内で大人しく待てるわけもなく店の外へ追い出されのだが、入り口で門番さながらに立っている警備の黒人のおじちゃんがすごく優しくて、ずっと足元にしゃがんで往来を眺めていた。
都会だ。これが大人の世界だ。そう強く胸に刻んだ。

帰国後、映画やテレビで海外の都会の景色が映るたびに私は、憧れを大きくした。
いつかこんな街を素敵なハイヒールを履いて、ピッタリなスーツを着て闊歩する大人になるんだ。
漠然とそう思った。

20年余りが経ち、夫が2度目の転職を考え始めていた。
前回の転職の経験も踏まえて、今回はより自分たちの希望を叶えるべく、作戦を練りに練った。
安売りはしない、すぐに出る内定に飛び付かない、とにかく機を待つ。
彼の能力と引きの良さを信じて、焦らずに、絶対にいい内定が来る、そう夫に言い聞かせた。
今回の転職の目標はとにかく、海外赴任だった。
できたら西海岸がいい。
けど、欧米ならひとまずどこでもいいから英語圏に絞ろう。
7ヶ月待った。待った甲斐があった。
最終面接で海外赴任可能かと問われた彼は即答で行きますと答え、その2年後、泣きながら渡米した。

よく赴任に着いて行くねと言われるけれども、いやいや私の夢を叶えてくれたんですと答える。
すると、よく奥さんの夢のために転職するねと返されてしまう。
これについて夫に尋ねると、家族の夢叶えるために働いてるんでしょ、と一言であしらわれてしまう。
いや待てよ、では彼自身の夢は?
これも最終面接で聞かれたそうだ。
ポルシェが欲しいですと答えたらしい。
そう、彼は無類のエンジン好き。
結婚10周年には好きな車を買おうねって約束したんだった。

そんなこんなでこの15年、気が休まった日はなかったなぁ。。
思い出話は尽きないので、今夜はこの辺でおやすみなさい。。

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