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努力の先の感動の旋律

こんにちは。ヨガインストラクターの吉田紗弥です。
11月に入り少しずつ朝夜が冬に近づいてきていますが皆様いかがお過ごしでしょうか。今日もヨガのお話から進めてまいりたいと思います。

今から約2000年前に成立されたとされるヨガの根本経典「ヨーガのスートラ」には私たちの生活をより良くしていくための賢者の教えが記されております。
その中から一説ご紹介いたします。

「長い間、休みなく、大いなる真剣さを持って励まれるならば堅固な基礎を持つものとなる。」

この一説は「忍耐」や「継続」の大切さ、
「繰り返しの連続」が「人生の大きな土台を作る」という、
夢や目標に向かって進む上ではとても大事なアドバイスになります。
「桃栗3年柿8年」と言いますが、甘い熟した果実を得るためにはそれなりの努力と真剣さを持ちながらその対象に向かい続けることが大事なのです。

例えば、私たちは小学1年生の時読み書きが上手くできなかったと思います。
けれども小学6年生にもなると漢字やカタカナたくさんのボキャブラリーを覚え、漫画や小説、新聞を読み、世界と繋がっていけることになるのです。

私たちは日頃目に見える結果をすぐ求め、
「なかなか結果が出ない」
「なかなか努力が実にならない」
と思ってしまいがちですが、時間をかけ、休みなく、真剣に向き合う中、
成長を繰り返し、人生の大きな幸せの基盤を作ることが必ずできるのです。

私のお話になるのですが、私の生まれ育ったのは四国の徳島県だったのですが、中学の頃、音楽好きな両親の影響で吹奏楽部に入部することとなりました。
そして一年生から自分の担当の楽器を第一希望から第3希望まで選ぶのですが、
自分のミーハー心から「サックス」という楽器を選んだのです。
サックスという楽器は吹奏楽の他にジャズやポップス、そしてビックバンドなどでも使われるかっこいい楽器です。

しかし、音楽が好きだったことやサックスの見た目のかっこよさや豪華さに惹かれて入部したものの、中身の部活は体育会系。
上下関係も厳しく、先輩の言うことは絶対で、
先輩の楽器は後輩が持ち運ぶ、先輩より練習時間より30分前には必ずくる、移動は歩いてはダメ、などとたくさんの決まり事がありました。

また、一年生のうちは基礎練習ばかりで、先輩と一緒に混じって大事なコンクールの演奏は一緒に参加できず、個人練習が、多くひたすら基礎練習の繰り返しです。

夏の暑い中は、外で立ったまま「ロングトーン」という長い音をだし続ける練習をした後は、座って練習することは許されず、先輩がすわって練習するのを横目に基礎練習ばかりをするといいう流れです。

先輩のように合奏に参加して、楽しく演奏したいと思う気持ちがあるものの、演奏できるレベルでもなく、上下関係も厳しく、練習量も多いので最初たくさんいた部員はどんどん減っていきました。

そしてやっと1年生も上級生と混じって演奏に出られる機会がやってきます。

それはコンクールではなく、学校内で行われる演奏会で、「アルメニアンダンス」という中東の民謡がベースで、音楽としては最初ゆっくり静かなところから次第に早く大きくなり、最後たくさんのパーカッションという打楽器を使って、派手で賑やかな音楽で、部員たちの中でも大好きな曲です。

それを演奏することになり、ワクワクしみんな楽譜をもらっていくのですが、
そこで私に渡された楽譜がなんと


サックスではなくシンバルの楽譜。。

まさに衝撃でサックスとして吹奏楽部に入部したのにシンバル!

その時、そのアルメニアンダンスという曲は、たくさんのパーカッションを使うことでパーカッションの人数が足りず、多かった一年生のうち何人かがパーカッションに回されるということになったのです。

あれだけサックスで基礎練習も真面目に、サボらず繰り返していたのにパーカッションの、しかもシンバルという全く興味のない楽器。

私は愕然とし、やる気を全く失ってしまいます。

しかしシンバルという楽器なしには音楽は出来上がらないほど需要な楽器。
まるでお料理に塩や胡椒のアクセントがないのと同じで、その音楽のクライマックスを引き立てる役で、シンバルなしでは、味わいや深みにかけてしまうのです。

私はサックスではない苛立ちと重要なシンバル役という緊張感とで、
言葉に表せないような複雑な感情のまま練習を開始。

先輩に教えてもらいも、シンバルは自分の顔の2倍以上の大きさで重さで重さは約2キロほど。猫1匹くらいの重さもあり、しかも金属なので無機質で体感的にも重く感じます。それをずっと持ち続け練習するのは、至難の業でした。

それをひたすら手で持って練習するのですが、なんせクライマックスの部分しかありません。
しかし、出番は少ないながらにも音楽の最後の部分は連続で高速で叩く部分があり、その音は劇的で目立たないわけがありません。

早くなっているリズムで練習するにも腕の力もなく全くついていけず、みんなで合わせていく合奏も足手まといとなり、
先生にも怒られ、全体の雰囲気も悪くなり、みんなの後ろにいながら、みんなの冷たいため息が聞こえるようでした...。

「これはやばい」とそこから真剣に毎日シンバルを叩き続けました。
サックスの練習より、自分はシンバルへの気持ちがどんどん強くなりシンバルを叩くことが自分の使命だ!とさえ感じるまで練習を重ねました。

そしてようやく、本番の演奏会。
自分の思った以上に力を出せみんなが大好きな音楽をたくさんの人の前で披露することができたのです。
「サックスもいいけどシンバルも最高だな」と思えた演奏会になり、シンバル役からようやくサックスの練習も取り組めるようになりました。

いつしか厳しかった練習も楽しくなり、部活を通して中学生活を満喫し、卒業してからも高校、大学と吹奏楽や軽音楽部でサックスを続けてきたのです。


それから約20年近く経ち、最近、音楽好きの母親がピアニストの清塚信也さんと東京フィルハーモニーの演奏会のチケットが取れたのでいかないか、と誘われて行ってきました。

清塚信也さんはピアニストでありながらトークも面白くみんなを楽しませてくれます。
そしてコンサート終盤の最後の曲に「ボレロ」というバレエ曲が演奏されることになっていました。

この曲はバレエ音楽の一つでひとつの楽器のソロがだんだんと増えて、
最後大きなクライマックスを迎えるという感動的な音楽です。

麻薬的なメロディーに取り憑かれ、最初から前のめりになり、次第に音が増えていくにつれ盛り上がり、最後パーカッションが会場に盛大に鳴り響き、
そしてシンバルが、パーン!と音を立てる瞬間はまるで音楽が生き物みたいに会場を包み込んだのです!!

あまりの感動に鳥肌が立ち、終わった頃には大きな拍手と喝采の嵐。

その瞬間に20年間の期間を経て
また「サックスも最高だし、シンバルって最高!!!」と心が躍ったのです!

20年以上前、苦痛で嫌だった部活動の練習に加えて、自分が望まなかった楽器の練習が、私の大きな人生の基盤を作り、現在もこうして音楽の魅力を感じられる自分でいられたことに感慨深く、「音楽をやっていてよかった」と思えたのです。

帰りの電車でも興奮か冷めず、youtubeで同じ音楽を聴き、感動の余韻を味わっていました。学生の頃の忍耐と継続が今の私の至福感に繋がっていることはいうまでもありません。

私たちは人生の中で、時に

「なかなか前に進まない」
「頑張っているのに結果が出ない」

と嘆いてしまうことがあります。けれども真剣に目の前の対象と粘り強く向き合った先には、必ず人生の幸せの大きな基盤が出来上がっているはずです。
まるで、試行錯誤を繰り返し、感動的な音楽を作り上げるピアニストのように、

私たちも今どんなに上手くいかないことがたくさんあっても、
今努力が実にならないと感じたとしても、
自分の夢が咲くことを信じながら粘り強く進んでいくことにしましょう。



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