s.yasuda

北海道の東側、海の町に住んでいます。「スロウとダウン」もなかなかいいもんだよ、と思って…

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北海道の東側、海の町に住んでいます。「スロウとダウン」もなかなかいいもんだよ、と思ってます。 アナログ船頭、ネットの海でどこまで航海できるのか?!漂流しない程度に、手漕ぎでいきまーす

最近の記事

銀色夏生さんのこと

中学の頃から読んでた銀色夏生さん。 私の中に大きな大きな大きな影響を与えてる。 途中、つれづれノートが多くなり、銀色さんの詩と写真が好きだったから離れた。 私は、銀色さんの言葉が、 いつも、どストレートに自分の気持ちを表してくれていることに、 慄くばかりだった。 「どっかから見られてんのか、私?!」 と詩集を読みながら電車内でハッと周りを見回すくらい、 この私の、なかなか辿り着かない渦巻きみたいな感情の行く手を ズ!バ!リ!!!! と。 わかりにくい、 簡潔じゃない、

    • はじめての写真展参加

      あの時のあの調和。 個々がまったく違うものを出しているのに 知らず知らず思い合っているような。 美しいような。 ああ。 そうだった。 山田ズーニー先生のおっしゃった通り。 あの表現講座と同じだった。 「考えぬくことで、変化、進化していく。 変化したはてに表現して伝わるものは、 先鋭でない、調和に満ちている」 と山田ズーニー先生がツイートしてくださった、 あの時間のように。 競い合うではない、 ただ、自分の表現を素直に差し出した空間は、 調和に満ちていた。 参加して良

      • 片付けを!片付けを!! 習慣化したい!!! ものすごく!!!!

        • わたしのカトリック

          L神父様。 70年程前にイタリアから48時間船に乗って海を渡り、日本にやってきた。 3年日本語を勉強して、N教会に来てくれた。 それから何十年なのか。 N町、N市、O市、K市、 そして私の住む町。 近隣の教会を周り続け、ともに祈り続けてくださった。 2017年には、同じくイタリアから来ていたK神父様(私の母が小学生の時の神父様)と一緒に、 『叙階60年』(神父様になって60年)のお祝いをした。 だから、今はもう90歳を越えている。 L神父様は、私が小学6年の時 洗礼を授

        銀色夏生さんのこと

          ここでは、自分にまっすぐなことだけをやる。そういう部分を、自分の中に、確実に残す。全部は、絶対に、流されない。誰にも、渡さない。

          ここでは、自分にまっすぐなことだけをやる。そういう部分を、自分の中に、確実に残す。全部は、絶対に、流されない。誰にも、渡さない。

          ファイト!ファイト!! わたし!!!

          ファイト!ファイト!! わたし!!!

          あの人の何に苛立つのか、って、 同じだからだ。 好きで好きで憧れて尊敬して、読んで読んで読んで、 わかったつもりになっている。 実はまだ何も行動していないのに、目指している気になっている。 謙遜と卑屈を履き違えている。 私と同じだからだ。

          あの人の何に苛立つのか、って、 同じだからだ。 好きで好きで憧れて尊敬して、読んで読んで読んで、 わかったつもりになっている。 実はまだ何も行動していないのに、目指している気になっている。 謙遜と卑屈を履き違えている。 私と同じだからだ。

          アフガニスタン、死ぬな!

          私は、縁あってアフガニスタンの学校を(微々たるものだが)支援してきた。 さらに縁あって、その支援団体の代表を務める方の私塾のお手伝いをさせてもらっている。 フォトジャーナリストであるその方にとって、アフガニスタンは長く取材を続けてきた国で、深い縁で結ばれている。 そのフォトジャーナリストは長倉洋海さんであり、彼が長く取材したのは、20年前の9.11の2日前に暗殺されたアフマド・シャー・マスード将軍。 マスード将軍は、テレビ局のインタビューと偽って近づいた人が身体に付けていた爆

          アフガニスタン、死ぬな!

          心からのことばを、自分のことばで

          誰かが自分に本心を打ち明けてくれた時、うれしく思います。 それがグチであっても、弱気になってるっていう不安であっても、 慰めてー!どうしたらいいのー!という泣き声であっても。 「本当の気持ち」を話してくれる時、 とてもうれしく思うのです。 うまく話そうなんて思わなくていい。 「その人のことば」なら、なんだって良いのです。 本当の気持ちを、見せてくれることそのものがうれしいから。 信頼してくれて、 いや、信頼なんて大げさなものじゃなくても、 「この話、この人にしていいな」と

          心からのことばを、自分のことばで

          絶対、こんな不調、年内にカタつけてやる…!!!! こんな体調、今年で終わりだ!!

          絶対、こんな不調、年内にカタつけてやる…!!!! こんな体調、今年で終わりだ!!

          明るくポジティブ、でなくたって良い訳です。自分が情けなくて、自分の弱さ悪さに泣いてしまう、そういうクリスマスだって、そういう時期だって、 まるごと良い。

          明るくポジティブ、でなくたって良い訳です。自分が情けなくて、自分の弱さ悪さに泣いてしまう、そういうクリスマスだって、そういう時期だって、 まるごと良い。

          クリスマスが好きです

          クリスマスが、小さい頃から好きです。 プレゼントがもらえるから、ということより、雰囲気が好きなのですね。 (最近ではハロウィンというのがありますが、どうもそちらは私には根付きません。カトリック信者なのですがね。) ハロウィンが終わるとすぐに、町はクリスマスに変わります。 クリスマス商戦、なのかもしれないのですが、その雰囲気はどこかあたたかく楽しげな気がするのです。 『クリスマスは、人間のよい部分の〝かたまり”』 と、刺繍作家の長尾玲子さんがおっしゃっていました。 その言葉を

          クリスマスが好きです

          「簡潔」ができないので

          『簡潔に、 削いで削って削り出した核を差し出す』 それが本当に理想で、 そうしたいのだけれど。 私は、出る言葉すべてに 伝えたいことのエッセンスが入ってしまっているのだ。 ひとつの単語では伝えたいニュアンスが不足してしまう。 削れない。 捨てれない。 典型的な「片付けられない人」だ。 訓練が足りないのはもう確実なのだけど、 だけどやっぱり、 削れないのだ。 いや、 削りたくないのだ。 友達の話を聞く時に、 端折ったりかいつまんだりしなくていいよ、と思う。 むしろ、時間

          「簡潔」ができないので

          「やれば」できたりするんだった。

          友達から冬山登山中の写真が送られてきた。 「すてきだね、本当に。 自分には登れないけど。」 って、今思ったけど。 初めて山に登る前もそう思ってたなぁ。 登れてびっくりしたよなぁ。 一歩づつ自分の足で歩いて てっぺんまで行って、帰ってくる。 それだけっちゃそれだけ。 若いとか年寄りとか、 男とか女とか、 上司とか部下とか、 お金持ちとかすっからかんとか みんな等しく誰もが公平にそうである 山登りがだいすきだ。 準備とか練習はいるけど、 登れないことはなかった。 そう

          「やれば」できたりするんだった。

          ものおもい

          人はみんな、誰しも、ひとりだ。 ひとりで、一人で、独りだ。 家族であろうと、友達であろうと、 自分以外はみんな他者で。 代わってあげたくても、 代わってもらいたくても、 どちらもできない。 人間は結局ひとりだ、とか 所詮皆他人だ、とかは ちょっとドライで冷たく突き放した感じに聞こえるけれど、 それは「本当のこと」で、 「変えられないこと」で。 全然冷たいとかとは違って。 自分の命を投げ打っても大切にしたい相手であっても、 心から愛してやまない相手であっても、 それはそ

          ものおもい

          ヘソがなくて、簡潔じゃなくて、わかりにくくて、手間がかかる。 のが、私だ!

          ヘソがなくて、簡潔じゃなくて、わかりにくくて、手間がかかる。 のが、私だ!