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わたしのカトリック

L神父様。
70年程前にイタリアから48時間船に乗って海を渡り、日本にやってきた。
3年日本語を勉強して、N教会に来てくれた。

それから何十年なのか。
N町、N市、O市、K市、
そして私の住む町。
近隣の教会を周り続け、ともに祈り続けてくださった。

2017年には、同じくイタリアから来ていたK神父様(私の母が小学生の時の神父様)と一緒に、
『叙階60年』(神父様になって60年)のお祝いをした。
だから、今はもう90歳を越えている。

L神父様は、私が小学6年の時
洗礼を授けて下さった神父様だ。
入学して寮に入る前に、
妹と一緒にL神父様からカトリック要理を教わり、洗礼式をしていただいた。
私の洗礼名は「ヨハナ・パオラ」。
当時のローマ教皇ヨハネ・パウロ2世の名を女性名にして、L神父様が決めてくださった。
洗礼の記念に下さった新約聖書とマリア様の御影カードは、今もずっと使っている。

そのL神父様が今日2022年10月9日、
イタリアに帰国した。

帰国する、と聞いたのは9月に入ってすぐ。
え…と思った。
声が出にくくなっていたL神父様のお説教が、高齢の母には聴こえないとのことで、マイクを用意したばかりだった。

コロナ禍で、私たちの教会は人数も4人くらい(+フィリピンやベトナムからの実習生さんたち)なので、一時は全く御ミサがなくなった。
神父様たちが、K市の修道院から方々の町に御ミサをあげに来てくださるので、
来られなければ、御ミサにはあずかれない。私たちがK市の教会に行くしかないが、そこも未だ分散ミサで、人数制限があるそうだ。
私たちの教会の御ミサは、今は大体月に1回。
神父様方も高齢で、車を運転して来れる人は少なく、L神父様も来てくださる時はK教会の方が連れて来てくださっていた。

以前は、L神父様も車を運転して来てくださっていた。
雨の日も、風の日も、凍ったツルツル路面の日も、
かなりの高齢になっても運転していてくれた。
私たちの教会に来てくださるために。

「今日は私運転してないよ!
守護の天使が運転してくださったよ!」

「今日は本当に怖かったですね。
だから私、煉獄の罪人たちにも〝今日無事に送り届けてくれたら、あなた達のためのミサをあげます”とお願いしたね!」

と笑って、冗談を言っていた。
私たちも「怖っ!!」と笑っていた。

神父様と私。
神父様とたくさんの信者さんたち。
私が今日空港で見た光景は、
多分これこそが「平和と愛」の「最初のひと滴」なのではないか、と感じるものだった。

「宗教」というと、とたんに団体になる。大きなものになる。
だけど、宗教は、
ひとりひとりの人の中にあるものだと思う。

私が今日見た光景のように、

田舎の小さな小さな教会を60年以上に渡って回り続け、
信仰と希望、赦しの種を蒔き「続けた」人は、
管区長様でも司教様でもない、
ただの「M・L神父」で。

その、たった一人の神父様の帰国に、
皆、手を合わせ、涙を堪えながら
「ありがとうございました」と口々に言う。
そういう光景は。
私たちに数十年に渡って流し込んでくださった「祈り」が、
もたらした光景だと思うのだ。

手荷物検査場前で一人の男性から
「すみません、どういう方がこの飛行機に乗られるんですか?」と聞かれた。
手荷物検査に並ぶためのロープの外にたくさんの信徒が並び、その一人ひとりの額に、小さくなった外人の老人が、弱い足取りで検査に進みながら指で十字を書いていく。
互いに涙を流しながら。

今、統一教会などの「宗教」が大問題になっているこの国で、
これが理解されるかはわからない。
だけど私は答えた。

「私たちと何十年も過ごして下さった、カトリックの神父様が、イタリアに帰国されるんですよ。」

聞いて来た男性はL神父様に向かう人たちの姿を見ながら、
「そうでしたか。」と頷いた。

その反応に、私はなんだかホッとした。

「宗教が戦争を生み出す」とよく言われる。
特に、無宗教の人(お墓はお寺だけど、日々の生活には何も影響がないし、仏様を信じているという訳ではない等)が多い日本では、
「宗教信じてる奴は自分が信じてるものが一番だと思ってるバカばかり。」
「宗教なんか戦争の種。愛だのなんだの言ってるが、結局口ばっか。」
「宗教は所詮人間を狂わせる毒」
などと言われることが多い。

だけど。

聖職者と信徒、
個々のつながりは決して「宗教戦争」に至るようなものではないはずで、

かつて「宣教」のために海を渡った神父様たちも、すべてが「侵略」を目的としていた訳ではないと思うのだ。

宗教を利用しようとする
「本当の信仰の無い人」が、
様々な罪を犯すのだ。

罪を犯すのは、
「人」なのだ。
「宗教」ではなく。
私はそう思っている。

(だからこそ、カトリックの過去の過ちを謝罪して回っているフランシスコ教皇の姿勢を、強く支持する。
過ちは消えないし、過ちは過ちなのだから。)

L神父様は、間違いなく「私の信仰を作り上げてくれた人」だ。
だけど、
「信仰を作り上げる」って、どういうことか、と自分で思った。

勉強みたいに教えてくれて、答えがあってテストがあるようなことじゃない。

言葉や眼差し、
態度、
お説教、
姿そのものが、

清廉なものであること、
愛であること、
愛というのはこういうことかなと思わせること、
驕り高ぶらないこと、
嫌な言葉を使わないこと、
何一つ否定せず、
悔い改めることを勧め、
赦し、

ともに祈り、
涙し、
在ってくれること。

それを、

こんなにも「当たり前」に感じるくらい

長い長い年月をかけて
続けてくださったこと。

これらぜーーーーんぶが。

私の心の中に
信仰を

「信仰」という、
枯れない泉
砕けない岩
消えない虹

何があっても
決して揺るがないための錨を、

知らぬ間に
作っていてくださったということ。

それらは、
言葉で言い表すのは
とても難しい。
「これ」という1点じゃないから。

そう。
「ひとつの全体」。

オーケストラのように、
「全部でひとつ」の

道しるべであり、
私を形作っている見えない粒なんだ。

ああ、そうか。
これ全部が、
私の「信仰」か。
「わたしのカトリック」なんだ。

それで、
その光の粒の塊になった一人ひとりが、
ここにこんなにいる。

すべての大河は、一滴の水の集まり。
何においても、私たちは文字通り
「大河の一滴」なのだ。

宗教は、
毒じゃない。

たしかに人の心を救うもの。
それを私は知っている。

宗教は、毒じゃない。

たった一人でも
60年以上の年月を
異国の田舎に捧げた人がいて
その人が灯した明かりが
たくさんたくさん息づいている。

私はそれを見たから。

私は、
そのことを知っている。

私は、
宗教の持つ本来の力、

「愛」を知っている。

罪深い私が
たくさんたくさん祈ってもらって生きてきて、

だから知ることができたのだ。

そうやって、
L神父様はご自分の生涯を懸けて、
私たちを「良き一滴」へ導き続けてくださったのだと思うのだ。

たくさんの涙の滴を抱えながら。


★兎にも角にも、何につけても「マリア様にお祈りしましょう」だったL神父様。
聖歌もとっても上手で、朗々と歌う声が素敵だった。
たくさんいっしょに歌ったね。
イタリアに帰ったら、もう、日本語で聖歌を歌うことはないよね。。
でも、
忘れないでほしいよ。

 【われらの母なる】 
(#307)
1われらの母なる めぐみのマリア
みもとに集えば ひとみなたのし
(おりかえし)
なみだの谷にも はな咲きみだれ
香りもゆかしく よろこび満たす
2いばらの冠に 血しおはながれ
み母はつるぎを 耐えさせたもう
(おりかえし)
なみだの谷にも はな咲きみだれ
香りもゆかしく よろこび満たす



 


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