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心からのことばを、自分のことばで

誰かが自分に本心を打ち明けてくれた時、うれしく思います。
それがグチであっても、弱気になってるっていう不安であっても、
慰めてー!どうしたらいいのー!という泣き声であっても。
「本当の気持ち」を話してくれる時、
とてもうれしく思うのです。

うまく話そうなんて思わなくていい。
「その人のことば」なら、なんだって良いのです。
本当の気持ちを、見せてくれることそのものがうれしいから。

信頼してくれて、
いや、信頼なんて大げさなものじゃなくても、
「この話、この人にしていいな」と
そう、
「腹を割って」くれたように感じるから。
だから、私も相手をますます信じられるのかもしれません。

〝人間て、割とちゃんとしたセンサーを持ってて、適材適所な人をちゃんと自分で見つけて話ができるものなんだよ”

20年近く前に先輩が言った言葉だけど、すごく納得したのを覚えています。
人間の野性?みたいなものが、ちゃんと自分にも備わっていることを、
自分自身が信じるべきだなぁと思いました。

人間には、ちゃんと生まれ持った『感じる心』があるからこそ、
「この人苦手だな…」とか「キライ!」みたいな負の気持ちをビリビリ感じてしまったりするし、
好意だって、感謝の気持ちだって、
ちゃんと「伝わってくる」のです。

一方で。

『自分のことばで話してくれたら、それだけでいい。』
私は相手に対してそういう風に思うのに、
自分はそれができているんだろうか?と言えば…。
まだまだです。
よほどの間柄でなければ、何もかも気にせず喋るなんてことはできないし、それは多分、これからも変わらないでしょう。
SNS・インターネットの世界に、自分の腹を掻っ捌いて丸ごと全部見せなきゃならないきまりはないし、
そもそも誰にも見たいと言われてません。

ただ。
『表現』は、
いつでも腹を割れる間柄ではない人にも、いかに
自分のことばで
正確に
自分の思いを伝えることができるか

なんだろうと思うのです。

ですので、
これからもnoteという、
顔とかもわからないけれど
「自分のことば(表現)」を大切にしている方々の世界で、
私も修行していきたい。

『心からのことばを、自分のことばで』

そう思っています。

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