見出し画像

アフガニスタン、死ぬな!


私は、縁あってアフガニスタンの学校を(微々たるものだが)支援してきた。
さらに縁あって、その支援団体の代表を務める方の私塾のお手伝いをさせてもらっている。
フォトジャーナリストであるその方にとって、アフガニスタンは長く取材を続けてきた国で、深い縁で結ばれている。
そのフォトジャーナリストは長倉洋海さんであり、彼が長く取材したのは、20年前の9.11の2日前に暗殺されたアフマド・シャー・マスード将軍。
マスード将軍は、テレビ局のインタビューと偽って近づいた人が身体に付けていた爆弾で爆死した。

長倉さんの講義で、たくさんマスード将軍やアフガニスタンの話を聞いてきた。
本もたくさん読んだが、アフガニスタンという国のあらゆる面での複雑さは、なかなか理解が難しかった。
今でもこんがらがるし、長倉さんには申し訳ないがはっきり言ってわかりきれていない。
それでも、
マスード将軍が生きている時、
苦しみながらも戦い続けたこと、その懸命で崇高な生き方は、長倉さんが話すたび目を赤くしたり涙を滲ませる姿とともに痛いほど伝わった。

私はアフガニスタンに行ったことはない。
アフガニスタン人に直接会って話をしたこともない。
だから、アフガニスタンのこともアフガニスタン人のことも、わかってなんかいないだろう。
それでも。
わかることもあるのだ。

微々たる支援でも続けてきた学校のことを、送ってくださる会報で見てきた。その学校はマスード将軍の故郷にあり、「国のために一番大切なのは教育。アフガニスタンと世界を担う子ども達のために、教育を止めてはいけない」という彼の遺志を継いで、長倉さんが支援してきた。
小さな子どもたちが、家畜を放牧に連れて行ってから、砂利道も川も越えて走って学校に向かう姿。
女の子と男の子が並んで座って授業を受けることさえ、以前はあり得なかったと知った。
子どもを学校に行かせることを、親も理解してくれるようになった。
青空教室のような感じから、少しずつちゃんとした建物になった。
卒業生が先生になって帰ってきたりした。
初めてのパソコンをうれしそうに見たり、図書室もできて本がたくさん読めるようになった。

20年。
生まれた子どもがハタチになるのだ。
私もたくさんのことが変わったし、アフガニスタンもたくさんたくさん変わっただろう。

本当に少しずつだとしても、
良くなっていくんだと思っていた。
学校があるから、学校に行くことを選べる。なければ行けない。
学校があるから、先生も来てくれる。
勉強ができるから、すごく頑張ったら進学することもできるようになった。
進学したら、村にはお医者さんがいないから助産師さんになったり、先生になって母校の子どもたちを教えたり、そういう資格も取れるようになった。
頑張り続けたら、奨学金を出して下さる方も出てきた。
女性も働いてお金を稼げるように、刺繍小物の工房ができたりもした。
本当に細やかで美しい手刺繍だった。

20年かかって、そういう、
日本では当たり前みたいになっている道が、少しずつ少しずつ見えてきたのだ。
「希望があるということ」
「思い通りにならないとしても、未来がちゃんとあることを感じられること」
その光は、本当にそれだけで明るい力を呼び起こしているのだ、と、
私ですら感じてきた。

それなのに。
それなのに!

どうして。

今まさに、アフガニスタンは風前の灯火となってしまった。
タリバンが、再びアフガニスタンを征服しようとしている。

マスード将軍は言った。
「戦いでは何も解決しない。話し合いによって決め、公正な選挙で選ばれた人が、国民の願いのために行動する。
アフガニスタンのことは、アフガニスタン人が決める。
それが本当の勝利です。」と。

アフガニスタンは。
地理的に、地政学的に、たくさんの国に掻き回されてきました。
アフガニスタン自体が、複数民族によって成っていることによる難しさなどの問題を持っていることもあるけれど、
それを利用して「まとまらなくしている」「まとまらないように差し向ける」外国の介入がものすごい。
島国の端っこでボンヤリ生きている私には本当に考えられないくらいの謀略の中に、アフガニスタンはずっと在るのだ。

だからこそ、マスード将軍は戦ったのです。アフガニスタンの意思のためです。
「アフガニスタンの人は、ずーっとそういう歴史できてるから、自分達の意思で国をやっていこうなんて気になったことないんじゃない?」みたいな意見をネットで見たが、それはない。
今だって、マスード将軍と共に戦った人が僅かながらもいて、それぞれの立場で必死に戦っている。

日本で言ったら、「一昨日札幌福岡が落ちました、昨日大阪京都名古屋、今日は横浜が先程陥落」のような状況で。(不謹慎で申し訳ありません)

アメリカ軍が撤退したから悪い、だけじゃない。
アフガニスタン政府軍が弱すぎるから悪い、だけじゃない。

アメリカ軍の撤退は、確かに、そんな急にやったらある程度こうなることはわかってたようなものじゃないかとは思うし、
トランプさんがタリバンと和平条約しちゃったから欧州軍も退かざるを得なくなったのもわかるし、
色々とそんな簡単じゃないことはあるけれど。

アフガニスタンも、20年あってその間何もなかった訳じゃなく、首都や他でもテロとかあったんだし、もう少し体制をしっかりできなかったのかとか、選挙をガッチリしっかり不正なくやるだとか、もうちょっと何とかできたんじゃないかと思う部分もあるけれど。

それもこれもみんな、
安全圏の平和ボケした国の一平民の物差しでの話で。
違う物差しの人には通じないって、わかっている。
わかっているけれど。

だけど、どこかひとつの、誰か一人の、せいではない。

9.11もあったし、20年の間にタリバンやISやアルカイダ、いろんな狼煙は上がっていたけれど、
私は、自分のこととして考えていなかった。支援しているといいながら、無事を祈るくらいで。

ひとつの国で起こっていることは、
巡り巡って自分の国にも影響を及ぼすのに。
世界は、国と国が繋がっているのに。

講義を受け、本を読み、深く感銘を受けていながら、結局は政治的なことへの発言は控えたり、他人事だと思ってた私の、この浅はかさが。

きっとアフガニスタンをこんな状況を許してしまったのかもしれない。
決して自虐でも卑下でもなく。

会ったことはないけれど、写真集の中のあの子たちや、Facebookで見てきっと書いてる内容なんて日本語だから大してわかってないだろうにイイネしたり短い英語メッセージをくれたりする「若者」になったあの子たちが、

激しい弾圧に晒されたり、戦闘に加わってよもやの事態になったりするのかと思うだけで、

とてつもなく苦しい。
もっと早く、できることはなかったか?
ないなりにも、何か。


今日8月15日は、終戦記念日だ。
赤の他人でもこんなに苦しいものを、日本の国でも、過去の戦争でほとんどの国民が家族や大切な人を亡くしたなんて。
本当に強く、強く、生きてきたんだ。
気が狂ってもおかしくないほどの苦しみを押し込んで、丸飲みして、踏ん張って、踏ん張り続けて。
世界中で人間は、戦いの歴史を生き抜いてきているのだ。


アフガニスタンのことは、アフガニスタン人が決める。
とても大切なことだと思う。
だから、それを守るためには、
戦わなければならない時もあるのだ。
形が戦闘でなければすごく良いのに。

話し合いができない人にも、できる限りの交渉をしてきたし、何回も騙されたり嘘つかれたりしてきたけど、ちゃんと継続してきた。
私が交渉係だったら、「ふざけんな!もう誰がやったら収まんだよ!やってられるか!!」だ。

長い間頑張ってきた人もちゃんといるのだ。
今だって、命を守りながら正しい情報を発信し続けている人もいるのだ。


マスード将軍はもういない。
だけど、その精神は連なっていると信じている。
アフガニスタンを思うその心は今も生きている。

今は消え入りそうな小さな火でも、
沼の底深くに沈んでしまいそうなカケラでも、
時がきたら、
人の心の中で必ず大きく輝き出す。

アフガニスタンはテロの温床になんかならない。
アフガニスタンには必ず平和で穏やかな日々がくる。

日本の端っこで、ひとりでも、そう信じる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?