思い出を共有できる幸せ
嬉しかったこと
悲しかったこと
頑張ったこと
あなたには、そんな思い出を一緒に振り返ることができる相手はいますか?
私は、もし人生でそんな相手を一人でも見つけることができたなら、きっと素敵な人生になるような気がするんです。
だって、楽しかった思い出を共有できる相手が一緒にいることって、お金持ちになることよりも、社会的な名誉を得ることよりも、何よりも幸せなことだと思うから・・・。
渡英前、最後のお寿司屋さんで・・・
この文章を書いている私は、今イギリスの大学院で博士課程の学生として勉強をしている。
そんな数ヶ月前までの私は、10年以上ぶりに両親と1年弱生活をしていた。久しぶりの家族との生活は、楽しくもあり、葛藤もあり、複雑な思いがたくさんあった。
とはいえ、なんだかんだで、総合的には良い時間だったと思う。
さて、その1年弱、私はだいぶお寿司屋さんに連れていってもらった。
私たち家族は、なにかあれば必ず回転寿司へ行く。
それは我が家の暗黙のルールだ。
でも、だれかが特別な時にはお寿司屋さんへ行く事を「ルール」として作ったわけではない。
なのに、家族みんながお決まり事として認知している。
きっと、これが我が家の「文化」というものなのだろう。
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それにしても、お寿司は美味しい。
そして、親子だからなのか、お寿司のネタの好みも合う。小さな事なのだが、きっと、これが家族の証なのかもしれないとも思う。
そんなことを思いつつも、お腹が苦しくなるほどお寿司を楽しんだ私を車の後部座席に乗せ、父が車を発進させた。
すると、徐に母が思い出話をし始めた・・・。
線香花火を落とした日
母:ねぇ、お父さん覚えてる?Sayaが線香花火を落とした日のこと
父:あぁ、線香花火を花火の上に落として、花火が爆発したやつでしょ。
母:うん、そうそう。Sayaが幼稚園くらいだったかなぁ。夏に花火をしよう!って言って、線香花火から花火を始めたんだよね。Sayaの線香花火に火をつけて、「絶対に、落とさないようにね!落とさないようにね!」って何度も言ったのにさー、線香花火の火をちょうど、花火セットの上で落としちゃって、すべての花火に火がついて、ドガンドガンと花火が爆発して大変だったよね。
父:あー、そうだったねー笑 なんでだろうね?落とすなよ!落とすなよ!って言うと必ず落とす感じ
母:ねー笑
はっきり言って、そんな線香花火を落とした話
当事者の私は全く覚えていない。
でも、それは当然である。
だって、その話は私がだいぶ幼い頃の話なんだから。
しかし、私の幼稚園の頃の失態について当時を懐かしみながら、笑っている両親の姿を見て、なんだか、20年以上も前の話を「あの時さー、こうだったよね」って話せる存在がいることって素敵だなと思った。
思い出の価値
それは、きっと人によって大小異なるような気がする。
それこそ、価値観の差というものだろうか。
一般的に、思い出を誰かに語る時、必ず状況や人物説明を行う必要があるであろう。
しかし、状況を丁寧に説明したとしても、相手が想像する光景は、きっと自分の思い出の情景とはまるで異なってしまう可能性は高い。
つまり、思い出を相手に理解してもらうのことはできるとしても、共感までは難しい気がするのだ。
そう考えると、自分の思い出に対して同じような気持ちで共感してくれる相手の存在とは、一緒にたくさんのことを経験してきた相手しかいないわけなのだ。
でも、何十年もの時を一緒に積み重ね、過去を懐かしみながら語れる相手とは、そう簡単には出会えないような気がする。
だからこそ「私の花火事件」という、当事者の私は全く覚えていない30年近くも前の話を、涙が出るくらいに笑い合えている父と母の姿は、二人で作り上げた幸せの形なのかもしれないと思ったのだった。
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