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遥か旅の記憶 1985.夏②

1985年夏、
いよいよ始まるスペインバジャドリでのホームステイと短期留学。
40年前の記憶を手繰り寄せながら、またあの夏へとタイムスリップしてみたい。


イメージと違ったホームステイ

私のホームステイ先のホストファミリーはかなりドライなタイプだった。

朝は誰もいないキッチンでルームメイトと2人でエスプレッソコーヒーを沸かし、
ガジェタと言って、マリーみたいな薄味のビスケットを5枚、
コーヒーにふやかしながら食べる。
家の人は起きてこない。

大学の授業は昼過ぎまで。
午後家に帰ると、
ダイニングに昼食が用意されている。
この時にはセニョーラがテーブルセッティングをしてくれるので、
私達も手伝う。
スペインではこの昼食が1日のうちのメインの食事だった。
しかしこの時も家人は一緒に食事をしない。
いつもルームメイトと2人だった。
たまに婿殿が職場から戻り、
私達ににこやかに
「ケ アプロべチェ!(ごゆっくり)」
と声をかけることがあった。

その後、私たちは部屋で予習、復習をしたり、
寮生活を送る友達のところへ遊びに行ったりした。

夕食はダイニングに冷え冷えの軽食が置かれている。
家人はお出かけしているようだ。
私たちはそれを食べ終えるとシャワーを浴びてベッドに入る。  

ステイ先ではこのような超ドライな扱いだった。

以前、アメリカ留学した友達が、
ホストファミリーのパパが失業中にも関わらず、
毎日レストランで食事をごちそうしてくれ、
休みの日にはあちらこちらに遊びに連れて行ってくれて、
申し訳ないくらいだったと聞いていたので、
あまりの違いに落胆してしまった。

ヨーロッパとアメリカの違いかと思いきや、
私たちより先に優しそうなご夫婦に貰われていった友達は、
朝、昼、晩はファミリーといっしょに美味しい手料理を味わい、
週末にはいろいろな観光名所に連れて行ってもらっていたので、
どうやらお国柄というわけではないらしい。

パンプローナの牛追い祭り


スペシャルな1日

そんな殺伐としたホームステイ生活の中で、
ある日セニョーラが
「明日のお昼は学校から帰ったらプールに行くわよ!」
と言い出した。
なんでもセニョーラの彼氏がプールを経営していて、
私たちを招待してくれるらしい。

次の日学校が終わって、私たちはセニョーラといっしょにプールに行った。
彼氏の70代のセニョールは優しそうな明るい人で、
プールサイドのテーブルにステーキランチを用意してくれていた。

そして孫の大学生と高校生の兄弟を紹介してくれた。
大学生のお兄さんは寡黙な感じだったが、高校生の男の子は青い目が印象的なとても人懐っこい男の子だった。
その後も何回かこの高校生の男の子セセが私たちにバジャドリの町を案内してくれた。

街中は昼は暑くて歩けないので夕方散歩する


大学生活

バジャドリ大学の夏期講習は、
外国人向けスペインセミナーといった感じで、  
スペイン語はもちろん、スペインの歴史や芸術の授業などもあった。

フランス、イタリア、ドイツ、イギリス、アメリカ、マダガスカルそして日本。
さまざまな国から留学生が参加していた。
日本からは学生だけではなく、
スペインに銀行を開設するために派遣された銀行員も数名いた。

クラス分けはペーパーテストで、
文法だけはやたらと強い日本人が
上位クラスを占めることになった。
全然喋れないのになぜ?と他国の学生から不思議がられた。

週末遠足


日独伊三国同盟

週末土曜日は授業がなく、
ボカディージョ(サンドイッチ)のお弁当を持ってバスに乗り、
みんなで近郊の街へ遠足に出かける。
そこでいろんな国の人と友達になった。

遠足以外の日も授業の後、いっしょにカフェに行ったり、
夜はディスコに行ったり、
楽しく遊んだ。

特にいつもいっしょにつるんでいたのは、イタリア人とドイツ人だった。
これって日独伊三国同盟だな。
とふと思った。
なんとなく気が合うのかもしれない。

ディスコは陽気なイタリア人が大騒ぎ


日航機墜落事故

1985年8月12日。
いつものように大学の授業が終わって、家で昼食を食べていると、
テレビニュースの画面に日本地図が映し出された。
御巣鷹山にJAL機墜落のイラスト。
信じ難いことだが日航機が墜落したというニュースが報じられた。
ルームメイトと2人でとりあえず寮の友達の所へ行ってみようということになった。
途中、見ず知らずのスペイン人から何度か声をかけられた。
「日本の飛行機が落ちたのを知っているか?」
「ご家族は大丈夫か?」
みんな親切だ。

寮で落ち合ってから、
みんなでオフィシナテレフォニカ(電話局)に国際電話をかけに行くことにした。
大阪、東京間のフライトなので万が一知り合いが乗っているかもしれない。
まず1人目が自宅にかけた。
まさかとは思ったが中学の時の先生が乗っていたという。
次の1人がかけてみると、
親戚のおじさんが乗っていた。
こんなことってあるだろうか。
そして今聞いたところで私達には何もできないことに気づき、
もう電話することはやめたのだった。

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