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『ジャズピアニスト・菊田の場合 ~ジャズ研 恋物語 Another Story 2』

 部活ではF年(大学4年)となり、部長職から解放された俺はいま、スタジオで伴奏のピアノを弾いている。相手はバリトンサックスで同級生の玲奈だ。たまたまスタジオで出くわして、「菊田ァ~、ちょっとセッションしない?」と玲奈から持ちかけられたら断る理由が…うん、ないんだなこれが。これが彼女への宛てのない片想いというやつか。

 玲奈はバリサクらしからぬシルキーで繊細な高音から、エッジの効いた図太い低音まで幅広く使って、アドリブを展開してくる。

 譜面のコードを追いながら、彼女のサウンドを聴く。玲奈はD年の時に当時E年で部長だったトランペットの藤川桜子さんが自大のジャズオーケストラからスカウト(いわゆる合法的な人さらい)してきた。転入当時からアドリブに対して積極的で、練習の鬼ことアルトサックスの篠崎が一目置くほどに鍛錬を重ね、上昇志向が強かったのも相俟って、今ではS大ジャズ研の看板プレイヤーのひとりだ。
 篠崎のアルトと玲奈のバリトンは、学内・学外問わずに評判だ。

 部活ことモダンジャズグループ内でも、同期・後輩の隔てなく玲奈は敬い慕われて、何よりも愛されている。E年のガールズバンドの仲間はすっかり玲奈に心酔しているようだ。
 女というだけでなく腕前も上げて、聞いた話だと他大のセッションにも呼ばれたり、定期演奏会にしれっと参加しているようなんだが、詳しくは知らないし、時々聞いてみても「ひみつー」とはぐらかして教えてくれない。ケチな女だ。

 「いやいやいや、玲奈。すげぇ上手くなったな~! まじ聴き惚れそうだったぜ」
 ミニセッションが終わると、俺は素直に感想を言った。
 「んー、ありがとさん。あんま認めたくないけど、あんたのバンドで入部してからずっとの付き合いだし、菊田には随分鍛えられたから、まぁこれぐらいはね」と玲奈。
 彼女は飄々とその言葉を口にした。
 「その玲奈さぁ、今年もやるつもりだぜ?【菊座衛門】」と俺はまだ半年先の話だが今度の秋の学園祭に今年もリーダーバンドを出すつもりだ。そこには玲奈は欠かせないピースなんだよな。
 「おっ、今年もやるんだ? だろうと思った~。ここまで来てあたしメンツから外されたら泣いちゃうぞ、菊田」そう玲奈は笑いながらバリトンサックスを片付けている。
 「いやいやいや。あんがとさん。まあ何だかんだで付き合い長いからな、俺らも」
 「そうだねぇ、ジャズ研に転部した頃からだから、3年目かぁ~」玲奈が言った。
 そういやそうだったな、と俺はアップライトピアノの蓋を閉じて譜面を鞄にしまった。

 吉祥寺駅までの帰りがてら、玲奈と欅並木を歩く。
 俺より少し背の高い玲奈は、今日もボーイッシュな服装だ。少しきつめのパーマをかけた肩ぐらいまで伸びた就活用の黒髪が、風に揺れた。
 「ところで玲奈は就活、どうよ?」
 「んー、苦戦してるけど何とかなると思うわ」
 苦笑いだが、玲奈はそう言った。
 「そういう菊田はちゃんと就活してんの?」
 「…一応してんだけど、いやいや、その、俺もなかなか苦戦しててさぁ」
 「あっそう。んー、あたしと似たような状況か~。やっぱジャズ研は苦労するねぇ」
 「そう。そうなんだよなぁ、全く困ったもんだぜ」と俺は頷いた。
 「ところで玲奈さ、このあと時間あるか? ちょっと付き合ってくんね?」
 「はぁ…内容によるけど?」
 「焼き鳥で1時間くらい軽く呑みたくてね。日向屋なんてどう?」
 「ほっほう、それなら付き合おうかね」と玲奈は快諾した。たぶん単純に腹が減ってるんだろう、きっと。

 焼き鳥の日向屋はジャズ研御用達の行きつけだ。もしかしたら他のメンバーも来ているかもしれないが、まぁF年となったいま、周囲の目は別に気にしない。見つかったら見つかったで、それはそれで好都合だ。
 「すんません、2人なんですけど~?」
 「あー、お2人さんならここでどうですか?」とテーブルに案内された。
 玲奈は俺が差し出すより早くメニューをじっと見ている。
 「菊田、なに食べる? あたし決めたわ」と玲奈。
 「んー、俺はモツ煮とネギマ・ハツと2本ずつ塩で。レモンサワーかな」
 「あいよ、そんじゃ頼んじゃうね…すみませーん、オーダーいいですか!?」
 玲奈が要領よくオーダーを伝えるのを、テーブルの対面からぼんやりと見ていた。
 こいつは俺の気持ちなんて、全く気づいてないんだろうな…。よもや中学生の頃からモテまくってきたはずのこの俺が、ここに来てまさかの片想いなんて。

 焼き鳥が来るまでの間に、互いにレモンサワーで乾杯して呑みはじめる。
 「就職、菊田は何系狙ってんだっけ?」と玲奈。
 「一応、保険関係かな。第一志望は大手の損保だけどな」と答える。
 「あの無鉄砲&無計画の菊田さんらしくないチョイスじゃない?」と彼女は笑う。
 「…これでも結構、考えてんだけどさぁ」
 「ちゃんと考えてるひとは、テストの直前に先輩にノートをねだったりしないぞ?」
 「ぐ、ぐぬぬ…」
確かに過去にそういう事があった。先輩のトランペット吹きの藤川桜子さんからノートを借りた。その対価として後日、サシ呑みしたとき全部奢らされた。それは事実だから、俺は何も言い返せないんだよなぁ。

 「ところで玲奈は就活、どうよ?」「んー、苦戦してるけど何とかなると思うわ。ジャズ研でいい意味、根性ついたからね」 苦笑いだが、玲奈はそう言った。

 「そもそも菊田はちゃんと就活してんの?」

 「…一応してんだけどさ。これだったらいっそピアノでプロ目指しちゃおうかという気もある」俺は頷いた。

 ジャズ研のメンバーが来ているかもしれないが、まぁF年となったいま、周囲の目は別に気にしない。見つかったら見つかったで、それはそれで好都合だ。

 焼き鳥が来るまでの間に、互いにレモンサワーで乾杯して呑みはじめる。

 やがてオーダーしたものがテーブルに届きはじめる。ちょいちょい手を伸ばしながら、俺は恋する男子として、いよいよアプローチをかけるのだ。
「ところで玲奈は休みの日とか何してんの? やっぱデート?」
 レバーに噛みつきながら、「んー、デートなんてしばらくしてねえわー」との機嫌の悪そうな回答。こ、これは”彼氏ナシ”というジャッジで宜しいのだろうか。

 「そういう菊田はどうなんよ?」と玲奈。俺は答えた。
 「いやいやいや、誘いはあるけど今は断ってる。俺は恋すると意外と一途なのよ、叶う可能性は相当低いけど、今は絶賛片想い中よ」
 「ふーん、あんた意外と義理堅いとこあるんだ。ただピアノが上手いだけの、ろくでもない遊び人だと思ってたよ?」
 ぐぬぅ…過去の経歴を想えば、まるで否定できない。

 「な、例えばの話よ。今はお互い付き合ってるひともいないし、目の前の男を恋愛対象としてカウントしてくれる余裕はある?」
 意を決した俺の言葉に、玲奈は砂肝をかじりながら横顔で言う。
 「ん、なにそれ?」
 掛かった。俺は次の言葉を用意済みだ。
 「俺は玲奈のことがD年の頃から好きなんだぜ。なぁ、俺たち付き合っちゃわない?」
 玲奈は食んでいた砂肝をゴクリと呑みこんで、静かにレモンサワーを口にして、こう言った。
 「はー…菊さん、マジですかい」と。

 「その答え、ちょっと保留にしていい?」と玲奈。
 「構わんさ、もちろん大歓迎。ないわーとか言われて瞬殺されるより遥かにマシだ」俺の言葉に玲奈は笑った。
 「いろいろ問題はあるけど、基本的にあんたは誠実でいい奴だから。あたしだってバンドを通しての付き合いだけど、そこは感じてたよ。あんたのことが大事なのはあたしも一緒。だから、ここで安請け合いしたくない。ちゃんと考えたいんだ。ダメかいな?」
 わーもう、ダメであるはずがあるまい。俺は次の言葉を探して声にする。

 「ダメじゃないよ。玲奈に片想いしてた時間の長さに比べたら、どうってことないわ」
 そう言って、俺は笑った。レモンサワーに手を伸ばし、緊張で渇いた喉を潤す。

 さあさあ、さてさて、このあとどうなることやら…。

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