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『Just Friends ~ジャズ研 恋物語~ 19』

 秋の訪れを感じさせる頃、俺はスタジオで練習していた。他のメンバーもいる中で、佐々木さんもいた。俺はサックスを提げたままピアノに座り、コードを鳴らしながらサックスを吹いていた。
 実のところ佐々木さんには、俺から一方的に気まずい空気を感じている。
 というのも先日のこと、生まれて初めて告白とやらをされたのだ。佐々木さんから。

 「篠崎先輩のことが好きなんです!」
 ある日の練習帰り、欅並木の途中で突然言われた。俺はたぶん普段から大きい目を見開いたことだろう。何が何だか分からなかったが、「そうなの?」と可能な限りの力で平静を装った。内心絶賛混乱中である。
 「最初に会った時からずっと気になってましたし、先輩の優しいとことか好きなんです」畳みかけるように言葉が続く。俺は「…ありがとう」というのが関の山だった。
 「先輩、あたしと付きあってくれませんか?」
 つい先ほどまで全く考えてもいなかった展開にたじろぎながら、俺は深く息を吐いた。
 「ほんと、俺みたいの好きになってくれてありがとね。でも、俺付き合ってる人がいるんだ。その人と別れることは考えられないんだ。その、つまり…ごめんね」
 俺は、小さくそう答えた。佐々木さんは静かに押し黙った。そして、
 「好きなんですね、藤川先輩のこと。はい、こうなるのは分かってました。でも、言わないとあたしいつまでも前に進めない気がして。気を悪くされたらごめんなさい」と言った。
 「気を悪くするなんてとんでもない。気持ち嬉しいけど、答えられなくて、ごめんね」と俺は言った。佐々木さんは、一瞬泣きそうな顔をしたあと、小さく笑顔を作った。
 「いいんです。でも、篠崎先輩はあたしの憧れなのはずっと変わりませんから」
 こういう時、何て言えばよかったのだろう。はじめてもらった告白に、俺は対処のしようがなかった。

 そんな経緯があり、俺は今後どう彼女に接するか考えあぐねていた。突然、ピアノに座る俺の右側に気配を感じた。佐々木さんだ。
 「篠崎先輩、こういうコード進行の時、ハマるスケールってありますか?」ニコリとして聞いてくる。俺は内心ビビりながら、「こういう時か。そしたら、これはどうだろう」とレクチャーする。もしかしたら彼女は先日の事は吹っ切れて、どうでも良いのかも知れない。そうだといいなと思いながら、俺の身体はひとりで気まずい空気を留め置いていた。


 阿佐ヶ谷の自宅でソファに腰かけて『Just Friends』をリピート再生させる。手にした缶チューハイを少し飲んで、ふうっと息を吐いた。隣に座るのは桜子さん。もうこんな光景も、すっかり見慣れた景色になっていた。
 俺は一連の出来事を桜子さんに話した。これは隠すべきではないと思ったからだ。淡々と訥々と、彼女に全てを伝えた。
 「そっかー、やっぱりな」意外にも桜子さんは驚く様子もなく、俺の缶チューハイをひょいと奪うとグビリとやりはじめた。
 「…驚かないのかよ?」
 「うん、だろうなぁ…とは思っていたから。だから、前に合宿であたし言ったでしょ。「佐々木に気を付けろ」って」遠い目をして桜子さんが言う。
 「確かに言われましたけど。いつから気づいてたんですか?」
 「ほら、前に斎藤絡みでケンカした時あったでしょ。あの日に優斗と佐々木が一緒にスタジオ入ってきてから、おや?って思ったのよ。あー、このコ優斗のこと好きなんだな、って」
 「あのう、あなたはエスパーですか。全く気付かなかったんですけど」
 「これだから鈍感なヤツは困るんだよ。乙女の純情を踏みにじりやがって」
 むっとした俺は、ニヤついた桜子さんから缶を取り戻してグビリとやる。しかしまぁ、返す言葉がないのも事実だ。
 「優斗、そんなに気にするな。一般論としても、彼女としてのあたしの立場としても、だ」
 桜子さんは俺から缶を奪う。
 「でも、気にしちゃうんだろう? はいそうですか、で処理できない」
 彼女の言葉に俺は何も言えないまま立ち上がると、冷蔵庫から追加のチューハイを2本取り出して、元の場所に戻った。
 「桜子の手前、俺の立場上「はいそうですか」で処理しなきゃいけないとは思ってるよ」
 「でも、出来ない」試すように桜子さんのじとっとした視線が俺に向けられている。
 俺は先程持ってきた缶チューハイのフタを開けて、口をつけた。
 「まぁ、いいんじゃない。そういう優斗の優しいところも、あたしは好きだよ」
 ったく、ほんとにもうこの人は。俺は何も言わずに彼女にキスして彼女に体重を預けた。
 相変わらず、『Just Friends』は流れ続けていた。


 季節が少し進むと、MJGの面々はとたんにソワソワしはじめた。学祭だ。
 企画バンドの打ち合わせやら、メンバー召集の下打合せやら、今年は誰が誰と何を演るのかで持ち切りだ。C年は基本C年だけで構成された「C年バンド」の他に、先輩たちのバンドに個々声がかかるといった具合だ。今年は間違いなくトロンボーンの高木さん争奪戦になるだろうな、と俺は踏んでいた。部室やスタジオはメンバーの争奪戦の場と化していた。
 「…とまぁ、今年もやりたいのよ」とピアノ&部長の菊田。去年の企画バンド【菊座衛門】を復活させるつもりらしい。既に佐竹・大谷・倉持・玲奈の同意は取っているらしく、その流れで俺にも声が掛かった。
 「菊田、悪いけど今年は参加しないでおくわ」俺の言葉に菊田が驚く。
 「え? マジで? どうして?」
 「もう声、掛かってるんだわ。桜子さんとこ」
 菊田が脱力したような顔をして、あーっ、と大きくため息をついた。「まぁ桜子さんの頼みじゃしょうがねえか」「うん、すまんね。でも、俺の他にもいい若手がいるじゃん」と俺は菊田をなだめた。
 そう。俺は藤川桜子の最後のリーダーバンド【唯我独尊】に今年は参加することになった。別に彼氏だからとかではなく、純粋に桜子さんからオファーをもらったのだ。俺としてもこんなに光栄なことはないし、参加バンドを増やして個々のクオリティが下がるのは嫌だった。俺の中ではこのバンドがやれれば、充分だった。ここに全てを掛けるのだ。
 部室で話していた俺と菊田のところに、来客があった。
 「菊田部長、ダメって言っても【ガルバン】やりますからね!」とD年女性陣の沢渡・荒川・沢木の三人娘が詰め寄る。菊田は「おっけーおっけー。あと今年のC年は女の子多いし、いろいろ巻き込んでみたら?」とさり気ないアドバイスをする。こういうところだけ見ると、ちゃんとした部長なんだが…。
 「全くみんな好き勝手言いやがって。これで2日間のステージで収まるんかな」
 菊田のボヤきに、つい俺はひとり笑ってしまった。頭の中では全体のステージ構成を考えている証左だった。さすがは部長殿!
 「幕間を詰めるとかして工面するより他なかろう」と俺。菊田は苦笑いした。
 日を追うごとに、いよいよ深まる今年の秋。
 俺にとっても、彼女にとっても特別な学祭へ向けた準備は、もうすぐ本格的にスタートする。

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