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餓 王 鋳金蟲篇 2-2

 その女性が纏う威光は、日輪の如きものだった。
 これがタキシラ国を統べる女王かと思い、ひざまづき最敬礼を行った。
「畏れ多くも遍歴の僧をお召し頂き、感謝の言葉もございません。バラモンの一端に属するナラ・シムと申します」
「大義でございましたね」と柔和な声が、石壁に反射して響いた。
 天から降ってきた言霊のような、清冽せいれつな声音が私の掌に汗を浮かばせた。蛇のシャリーラと融合し、化身の身と堕ちてからは、汗をかくことは稀なことだ。
「ナラ・シムと申しましたね。その容貌はクシャトリアに見えますが、出自はどちらになりますか」
「はい、代々は黒騎兵の家系でした。先のマチュア国攻略の折り、父は戦傷を重ね友の多くを喪失し、その精霊を慰めるために拙僧に聖職者の途を求めました。バラモンといいましても未だに覚醒できぬ身で、こうして遍歴の業を行うのみでございます」
 嘘であった。
 私の半生ですら常人の倍の年数を数える。
 この蛇のシャリーラが統御をするこの身体は、恐らくそもそもが長命なうえ、さらに冬眠を経るとたとえ右腕一本ですら再生して傷も残さない。父の体験として語らなければ辻褄が合わない。
「遍歴のバラモン、ナラ・シム。貴僧に頼みがあるのです」
 玉座にありながら、女王エンメは僧に対する最上級の礼をとったようだ。わずかな身動きを、芳香が漂ってくることで知った。
「面を上げなさい。ヴェーダの前では、わらわも貴僧もただの石粒に過ぎません。それがどうして面と向かって話ができないなどと」
 平伏していた私は更に畏まった。
「とんでもございません。言継ぎの官吏を挟まずに、こうして玉音を頂けるこそ歓喜。この世の恩義を全て頂戴した心持ちです」
 私は膝でいじり寄り、顔を上げて女王エンメを正面から見た。そして成る程と、すとんと胸に落ちるものがあった。
 彼女は影ではなく、まさしく本物であった。先刻までは代理の影がその玉座に座り、私を値踏みしているものと思っていた。影であるからこそ、ただ一人として護衛がつかないのだと。
 私の眼には、体温が視える。それが衝立の向こうにあろうが、別室に潜もうが視える。それどころか体温のあるものが歩いた軌跡ですら、空中に漂う熱の動きとして視える。
 それは蛇と融合したからこその能力だった。変温動物は体温を上げて肉体を活性化する必要がある。つまり熱量を眼で知覚するのだ。 
 女王エンメは四十を幾らか越えたかのようだ。芳醇な蜜を含んだ乳房を露わに揺らせて、右手で尖ったあごを支えて、撫でかかるように玉座に収まっていた。
 背は高い方に見えた。髪を後ろに結い、様々な宝石が編み込まれて金髪の塔が屹立していた。肩からは精密な刺繍がある聖衣が下がっている。
 しかしながら本人であると判別したのは、その尊顔にある左眼にあった。
 左目が明らかに人工的であった。
 硝子の球に、瞳部分には瑠璃で拵えてあった。右目との調合でどれだけの手間をかけて探したであろう。色調に相違はなかった。しかしながらその表情の機微までは荷が勝ちすぎている。
 ほほほ、と微笑して正面から見据えられた。
「このタキシラまでの道中でレーへ峠を越えたものと考えます」
「然りでございます」
「レーへを越えてイ・ソフタに至り、そこからここまで降ってこられた」
「・・道中に何か怪しき鬼をみませなんだか」
 私の脳裏にはあの屍人兵の群れが想起された。だがここは知らぬ顔で通すのに理があるように思えた。
「実は生ける屍人がその峠に棲んでいるそうな。それが旅人を追って生き血を啜り、肉に齧り付くという、そんな訴えがありましてね」
「剣呑なお話でございます。生ける屍でございますか」
「その討伐を貴僧に願うのです。その場所の案内にカリシュマをお付けします。一通りのヴェーダを暗唱させております。身の廻りのお世話も何なりと申し付けください。たしなみはよく理解しております」
 背後の柱でかしずいていた少女が立ち上がった。
 ふと幻のような面影を見た。

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