たった一度、魂が震えるほどの悦びを

今ある幸せは未来永劫続くのだと、勘違いすることがある。実際はそうではなく、続いたり続かなかったりする。その喪失は時に、強く心を痛めつける。

喪失に苦しむのは、他人に期待しているからだとアドラーは言う。本来、他人を変えることはできない。それはわたしも同感だ。

しかし、アドラーはさらに、変えることができない他人に期待をするから、その期待が叶わなかったときに裏切られたと感じ、苦しみを味わうのだという。アドラー心理学では、だから人に期待するなと説く。

そんなのはちゃんちゃらおかしいと、わたしは思う。容易には同意できない、不適切な発言だ。

ユニコーンの『KEEP ON ROCK'N ROLL』という曲にこんな歌詞がある。

愛されたら 愛を返す
花のように 波が満ちるように
ユニコーン『KEEP ON ROCK'N ROLL』

丁寧に水をやり育てれば、花が咲く。一度引いた波は、必ず戻ってくる。そんな愛の往復をロックに乗せた曲だ。当然花や波と人間は異なっていて、愛した分だけ愛が返ってくると勝手に決めつけ、返ってこなければ落胆するのは勝手すぎるとはわたしも思う。

ただ、なぜ期待してはいけないのだろう。水をやった苗から花が咲くことを楽しみにしたり、潮が満ちてくるのを今か今かと待ち望む。自分ではコントロールできないことに期待し、それが叶った時の幸福感を想像することは、それ自体が幸福な時間ではないだろうか。

アドラーの主張は結果にしか着眼していない。つまり、他人に期待したのちに裏切られた時の落胆のことしか考えていない。本当はその期待がどのような行く末に落ち着くのか、ドキドキしながら見守っている時間にこそ、かけがえのない幸福感があるというのに。

アドラー心理学は今日の日本で、ストレスを軽減するための思考法というような位置付けがなされているが、一方では人生の価値を限定させるような考えもある。ニーチェの暗い部分をピックアップしているようで、わたしは気に食わない。

ニーチェは永劫回帰に代表されるような絶望的な哲学が印象づいてしまっているが、その根幹にあるのは極めて美しい、人生の本質を表した考えだ。

たった一度でいい。本当に魂が震えるほどの悦びを味わったのなら、その人生は生きるに値する。
ニーチェ『ツァラトゥストラ』

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