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【自己紹介】 出会いから始まるストーリー#ZERO

History of sawaori #ZERO


こんにちは、サワオリと申します。

始まりはいつも心を揺さぶる素敵な出会いだった。いくつかの出会いから生またストーリー。過去25年間の出来事をさかのぼって語る実話。



ある出来事が切っ掛けとなり、新たな物語が始まったと感じた。その出会いは偶然なのか必然なのか、、、

何か始まる時の予感のような。

この感じ、、、

来るな!行けるか!って感じ。

表現するタイミングを逃してはいけないぞ!
っと身体が勝手に反応する。

そうゆう時は、必ず何かのカタチに残してきた。

心を揺さぶる何かと出会った時、思考ではなく反射的に浮かび上がるイメージがフワッと感じる。その感覚が消滅してしまう前に記憶の残像を具現化し残したいと思ってた。きっとそれが自分自身を知る上で役立つと感じたからだった。

私は一瞬の出来事を大切に、前だけ見てつゆっくり歩んできました。

そして、25年間の出会いから創作された作品は、サワオリが感じたイメージを伝えるための象徴だったり、時代の変化を共有するメッセージだったり。言葉で説明するよりもサワオリが何を見て何を感じたか、その記憶とメッセージを宿す象徴として作品を見て感じて欲しい。



未来は環境から

今回タイトルにした「出会いから始まるストーリー」を語る前に、実は最も大切に考えなくてはいけない存在が「環境」だと感じて来ました。

心を揺さぶる素敵な作品や人と出会うには、自分の置かれた環境によって変化し、出会いと未来が決まる大切なポイントになります。

日常的に過ごす時間が多い、職場・家庭・友人 なども環境のひとつ。すぐに変える事が難しい場合は、片付けや掃除、ファッションを変えるとか良いと思います。

私の場合は、長い時間を部屋で過ごすので、部屋の模様替えで環境を変える事が多いです。気分を変えてり新しいこと始める時は必ずやってます。

それでは、出会いから始まるストーリーの始まりです!




エピソード ゼロ

ある時、突然「表現したい」と感じた。

「表現する人」=「デザイナー」だなと思い浮かぶ。純粋な気持ちでデザイナーにりたい思いを抱いて東京へ。

目に映る景色は新鮮で全てが驚きの世界に思えた。これから始まる東京のひとり暮らしにワクワクし、堰が切れたように停まってた時間が一気に動き出しす感覚。遅れた時間を取り戻す勢いで無我夢中に駆け抜けた。


運命を変えた最初の出会い

東京に来て自分の無力さを痛感する。何ひとつ技術が無いのにデザイナーになれるはずも無い当然の結果だった。親にも兄弟にも迷惑をかけたく無かった、先ずはバイトして東京で自立を目指す。

当時、四谷三丁目のあった東京ブラウス本社ビル地下で、洋服の検品作業のバイトを始て数日たった日の出来事。お昼休みになって、皆が休憩をしている時に検品台に慣れた手付きで生地を広げ裁断を始めるひとりの女の子。

えええ〜!!何してるんですかっと聞くと、課題が間に合わなくてね!

その子はバイトの先輩で、東京モード学園のファッションデザイン学科の夜間部に通っているんだと答えた。バイトの先輩は話しを続ける。東京モード学園はスパルタ教育で有名なんだよ授業は週2だけど課題が半端ない、卒業できるのは入学時の半分程だと言う。興味が有るなら学園説明会を毎日やってるから行ってみたらと教えてくれた。

私はその日のバイト終わりに学園説明会に行って、教室を覗くと自分と同世代の子達が、夜に真剣にファッションを学んでいる姿を見た。

即決!入学を決意。


最初にして最後のわがまま

しかし、母親と兄弟を説得するのは大変だった。
実を言うと私がまだ幼いとき父を肺炎で亡くしている。母は4人の子供を育てるため頑張ってきた。その姿を兄弟はずっと見てきたからだった。父はマラソンが得意で速かったらしい、駅伝の選手として出て欲しいと誘われていたと聞いている。

私は子供だったから父の記憶もはっきりとは覚えてなかった。

父は仕事が終わると雨の日もマラソンの練習に出かけていたようでした。肺炎になったのも仕事とマラソンの両方を頑張り過ぎた結果だっかも知れない。後から叔父さんに聞いて知った。だから、母は子供達に無理は余りして欲しくないと、、、

それでも諦めたくなかった、わがままを承知でファッションを学びたいと、強い意思を熱心に伝えた。母も兄弟も納得してくれ、東京モード学園夜間部に入学した。


ジュエリーデザイナーになる

東京モード学園夜間部で4年間洋服作りを学び。卒業後、当時パリコレ参加のオートクチュールデザイナー君島一郎氏のもとカッター(パタンナー)として2年間勤た。そこで、パリコレ準備のためコレクションで使用するコスチュームジュエリー製作を手伝ったことが、ジュエリーに興味を持つ切っ掛けとなった。特にイメージを具現化するスピード感は洋服では味わえない楽しさと魅力を感じたからだった。

専門学校の4年間で、確かに多くの事を学べたが肝心のデザインについては教えもらってない物足りなさが在った。デザインを学ぶなら実践を重ねてひとつでも多く作品を生みだす事と気付き独学で製作を始める。洋服からジュエリーデザインの道へと進んだ。

始めに製作した指輪は、東京の表参道にあるDancing Heartにて委託販売でした。
その後、東京の下北沢に在ったアート雑貨ショップ EX(イーエックス)にて、オリジナルシルバーリングの販売。

EXでは特に実験的なデザインを試しオリジナルデザインを模索した時代。デザイナーとして手探りを5年間続け、20代最後の年に自分の作品を持ちロンドンとパリに渡る。

当時、日本では特に男性のシルバーリングのデザインは少なく、有名ブランドとして、原宿の店舗を構えるネイティブアメリカンのGoro's(ゴローズ)が有名でした。Goro's は鳥の羽のモチーフネックレスが有名、デザイン性と言うよりも精神性の強いシンボル的な印象でした。クロームハーツに関しては1989年に設立されていたが、まだ日本に輸入されてなかった時代。

新たな時代を築こうと次世代クリエイター達が、これまでの概念を壊し新たな価値観を誕生させようとパワーが渦巻いてた刺激的な時代でした。同時に世代交代を迎えた大きな節目でもあった。リアルタイムにその時代を肌で感じ行動たサワオリの物語。


続きは、ヒストリー・オブ・サワオリ#1をご覧ください。

History of sawaori Vol.1







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