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#ここにいてごめんなさい

僕が闘っているのは 僕の障がいじゃない
僕が闘っているのは 周りの世界
僕の大好きな この世界
僕のあとに続いて 言ってみて
僕が闘っているのは 僕の障がいじゃない
僕が闘っているのは 周りの人たち
僕の大好きな あの人たち

Caspar Eric

この詩(一部抜粋・翻訳)を書いたのは、早産で生まれ、脳性麻痺とともに生きる、キャスパー・エリックだ。彼は障がいと向き合いながら生きることについて詩を書き、デンマークで発表し続けている。

8月の終わり、デンマークでは彼をはじめ多くの人々が、SNS上に "ここにいてごめんなさい" (#undskyldvierher)   というハッシュタグとともに、自分たちが抱える障がいと、自治体から支援を受けることについて、謝罪のような書き込みを始めた。その数は時間と共に増え続け、翌日には財務大臣が謝罪するまでに発展した。

自治体の予算がひっ迫する理由

ことの発端は、デンマーク政府が提示した来年の予算案に対し、ある記者が質問したことだ。税収が過去最高を記録したにもかかわらず、自治体への予算額が上がっていないこと、公立学校の合併や閉校が続き、精神障がいを抱える若者支援や、高齢者福祉への予算が拡大されないことを問うた質問だった。それに対し、財務大臣の答えはこうだった。

各自治体はとても頑張っています。しかし国全体がインフレの影響を受けており、あらゆるものが高くなっていること、そしていわゆる「特別な社会的領域」にかかるコストが非常に大きいためです。

この最後の言葉「特別な社会的領域」とは、デンマークの政治用語で障がい者施策をさす。つまり財務大臣は、障がい者支援にかかる"コスト"が非常に大きいことが、自治体の他の分野への予算拡大を妨げている理由だと語ったのだった。

僕のあとに続いて 言ってみて
僕が闘っているのは 僕の障がいじゃない
僕が闘っているのは 社会で働くということ
そして 世の中の 時間のリズム

Caspar Eric

キャスパー・エリックは、自身の身体について、自分ができないことについて、障がいをもって生きることについて詩を書き、発表している。彼の詩集を読んだ読者は、まるで自分のことが書いてあるようだと語る。詩集にサインを求めにやってくる人々は、彼の前に立ちお礼を言ったあと、泣き崩れることもあるという。

特にお子さんに障がいがあるという母親は、自分への言葉が必要なんだと思います。ずっと助けを求めているのに、それが得られずに孤独に闘っている。だから、言葉で表現されたものを読むと心に刺さるのだろうと。

そんなキャスパー・エリックは、財務大臣の発言についてこう語る。

財務大臣が言ったことを聞いていて思ったのは「あぁ、皆が思ってることをはっきり言ったんだな」ってこと。つまり、障がい者支援は"コスト"であると。そのコストが他の分野の予算をひっ迫していると。障がい者は働いて社会貢献していないから、支援が必要な市民っていう視点で考えられていないってこと。

粘らなければ受け取れない支援

オスカー・ルビーンも財務大臣の言葉を聞いたひとりだ。彼には、重い障がいをもつ5歳の息子がいる。

最初に彼の言葉を耳にしたときは、きっと自分は聞き間違えたんだろうと思いました。それで5回、聞き直しました。そして財務大臣は、障がいをもった人々のせいで自治体の財政がひっ迫しているんだと言っているとわかりました。そうとしか聞こえない。そんなぞんざいな言い方は、責任逃れです。
そもそも、障がいを持っている人々に、障がいがあることが悪いとは言えないでしょう。それに、障がいがあっても、誰もが一市民として、尊厳をもって暮らしたいと思っているんです。

オスカーによれば、障がいをもつ家族がいる人々が、国や自治体の制度を利用するために法律をどう解釈するかは、簡単なことではないのだそうだ。彼自身は税理士で、税務局で働く法律家であることから、制度を読み解き、申請していた支援が得られなかったときには、専門知識を生かして不服申し立てをするのだそうだ。するとそれまで開かなかった扉が開く。しかし、これはだれもができることではない。


あるとき、息子の通う特別養護幼稚園で、息子と同じぐらい重い障がいのあるお子さんの母親と話をしていたんです。私たちの家庭では、妻が息子の介護のために仕事ができないという認定を市から受けていて、37時間分(フルタイム勤務時間分)の補償を受け取っています。幼稚園で話したその母親は、同じ自治体なのになぜ自分は認められなかったのかと思い始めたそうです。彼女の話を聞くにつれ、これは申請する側がどれだけ法律用語や権利を理解し、頑固に要求しつづけるか、あるいは粘り強く権利を求め続けるだけの気力や余裕があるかによって、得られるものが違うのだということが分かってきました。
市からの決定はいつも正しい訳ではないが、こちらが闘い方を知っていなければ、その決定を覆すこともできない。これはだれにでもできることではありません。

デンマークでは過去約10年間、障がいのある子どもへの支援、たとえばオスカーの家庭のように保護者が介護補償金を受け取ったり、高額な薬代、介護に必要な家具や機材、ヘルパー雇用等の支援申請について、多くの例で適切な判断が下されていないのだという。実際、不服申立てされた件数のうち、48.8% が覆っている。つまり、自治体による約半数の決定が、再び「サービス法」に照らし合わせると違法な決定であったということだ。受け取る権利のある支援を申請しても、それが自動的に得られるとは限らない。申請者は、不服申し立てすることを前提に、自治体の決定にしっかり目を光らせていなければならない。

こうした背景には、自治体に、市民が必要とする支援すべてを提供できるだけの予算がないからだという指摘もある。違法な決定だと分かっていても、申請を却下し、それに対して不服申し立てがなされなければ、その自治体は一人分の〈節約〉ができたことになる。不服申し立てがあったとしても、審査期間の数か月間は節約ができる。ある弁護士団体が行った調査では、自治体が法律に沿っていない決定を行い、支出を制限できた際には、その自治体に報奨金が出たという例もあったそうだ。

オスカーは自身の経験と専門性をもとに、障がいをもつ子どもの保護者たちが、いかに自治体と交渉するべきかについて、 著書 "Sygt barn sygt system" (タイトル訳:「病を抱えた子ども、病を抱えた制度」、日本語未訳)を出版した。少しでも自分の経験と知識が役に立てればと考えているという。

#ここにいてごめんなさい

3人の子どもの母親、モニカ・リュロフは、財務大臣の発言に、本人の言葉をそのまま訳せば「ブチ切れた」そうだ。モニカにも障がいのある子どもがいる。

あの発言を聞いたあと、財務大臣に対してSNS上に「障がい者のせいで、自治体の予算が削減されると言ってくださってありがとう」と皮肉を込めて書きこみをしました。同じように感じた人は多かったのでしょう、財務大臣の発言ですからね。金曜日の朝には「障がいがあってごめんなさい」という言葉とともに、その人がどんな障がいを抱え、どんな生活をしているか、それが国や自治体の負担になっていて本当にごめんなさいといった投稿がみるみる増え、〈ここにいてごめんなさい〉というハッシュタグになっていきました。わたしたち一人ひとりが存在していることを、写真とともSNS上で伝えていったんです。

詩人のキャスパー・エリックも、このハッシュタグを使ったひとりだ。

財務大臣様、
2か月早く生まれたために脳性麻痺をもって生きていてごめんなさい
生き延びるために支援を受けていてごめんなさい
笑顔で文句ひとつ言わず、ただ支援に感謝していますと言わなくてごめんなさい
ここにいてごめんなさい

Caspar Eric

キャスパー・エリックは言う。

障がい者のことをよくわかっていないのに軽率な発言をする、そして予算の削減を正当化することは、国会議員としてやってはならないことだと思うんですよね。腹が立つというよりは、もう心底がっかりというか。政治家って自分たち市民より能力があって優秀なはずなのに、財務大臣がですよ、この分野のこともわかっていない人がああいう発言をするんだから。

障がい者の支援申請が増えているって言ってるけど、障がいを持つ人は増えていても、各自が受けられるサービスの質は下がっているんですよね。そこを見なくちゃいけないわけですよ。

そもそも政治家は、障がい者支援についてすぐこういうレトリックが使えるんです。だって、メディアにとっても障がい者の話題は注目も集まらないし、改善したからって議員の票が増えるわけじゃないから。

ここまで話したあと、キャスパー・エリックはこう最後に続けた。

そもそもさ、この〈ここにいてごめんなさい〉っていうハッシュタグは、障がい者の問題じゃないんだよ。だれもが「福祉国家ってだれのためにあるんだっけ、僕らはどんな社会を作っていきたいんだっけ」と自分の心に問わなきゃいけない。それで「障がい者が幸せに暮らすのは受け入れられない」とか「障がいは自己責任だ」とか「障がい者なんていらない」っていう人がいるんだったら、それはかまわないし、むしろそこから議論を始めたっていい。身体障がい者はデンマークの人口の15%、その家族は27%もいる。僕の詩集を読んで会いに来る母親たちには、精神疾患を患ってる人も多い。そうじゃなかったら、介護のために働けず孤立している人もたくさんいる。

外国よりデンマークの方が恵まれているじゃないかだって?その意味をよく考えなきゃいけない。障がい者の命が奪われないだけマシだって思えば良いのか。僕らの国の制度はそれだけ優れてるって喜べば良いのか。そうじゃないだろ。考えるべきは「僕らは自分たちが信じて誇りに思っているような福祉社会に生きてるのか」ってことで、答えは「そうじゃない」。それだけだよ。

僕のあとに続いて 言ってみて
僕が闘っているのは 僕の障がいじゃない
僕の身体は 僕への贈り物
大嫌いになってしまった 贈り物

僕のあとに続いて 言ってみて
僕が闘っているのは 僕の障がいじゃない
僕が闘っているのは 社会で働くということ
そして 世の中の 時間のリズム

僕のあとに続いて 言ってみて
僕が闘っているのは 僕の障がいじゃない
それは 僕らのものさ
もうすぐ 朝がくる

Caspar Eric


参照:
以下2つの音声メディアの内容を中心に翻訳しました。
https://www.zetland.dk/historie/se7jvXW7-me6E9Dpl-ea8cd (音声版)
"Undskyld vi er her" https://www.dr.dk/lyd/special-radio/genstart/genstart-2023-01-01-05-00-157
"Nye balancer : handicapdigte" Caspar Eric, Digitaludgave




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