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◇4. やっぱり一筋縄ではいかない

絵本の入った黄色いバッグを肩からかけて家庭訪問をすることにも随分慣れた。ときには長居して、家の人とどうでも良い話で盛り上がるというリラックスぶりまで披露できるようにもなった。

(これまでの内容は「家庭訪問は流れに任せて」にあります)

そんなある日、わたしは3か月に一度の報告書を書くために図書館の事務室でパソコンに向かっていた。そして近くに座っていたハンネと、最近は家庭訪問が少し楽になってきたと話していた。自分の事のように、良かったじゃない!と喜んでくれたハンネは、きっともう大丈夫!とわたしにほほ笑んだ。ハンネはコペンハーゲン市のプロジェクトを担当している。コペンハーゲン市図書館には、独自の取り組みとしてBOOK STARTと同じようなプロジェクトが当時すでに1年以上続けられていた。ハンネと2人で家庭訪問のあれこれを話していると、カウンター業務を終えて事務室に入ってきた司書のイェーネが会話に加わってきた。

「BOOK STARTねぇ。また無料で子どもに本を配るプロジェクトか。今コペンハーゲン市が同じようなプロジェクトをやってるのに、そこからの経験から学ぶこともせず、また国レベルで同じようなプロジェクトを始めるってほんと無駄だよね。」

ドキッ、この人は何を言おうとしているんだろうと思って返答に困っていると、ハンネが苦笑いしながら答える。

「ほんとにね、良い企画ではあるんだけど。私たちがやってるプロジェクトはコペンハーゲン市からもう予算が降りないことになってあと半年で終わっちゃうし。まぁ、何度も延長はしてくれたけれど終わってしまうのは正直残念。市の全分館で取り組んで、多くの経験や知識が得られたのに。私たちの経験が今後何かの役に立つなら良いんだけど…」

コペンハーゲン市でこれまで高く評価されてきた取り組みがもう続けられないのは確かに不思議だった。プロジェクトの終了と合わせて、今度は全国でBOOK STARTが始まるが、これもまた4年間という期間限定と始めから決まっている。たしかによくわからない。

イェーネはさらにぶっこんでくる。

「そもそもさ、新しい絵本を数冊、しかも4回もタダでもらえるのはなぜだろうって、もらう方も考えないといけないよ。無料でもらえるっていうのはその背後には必ず理由があるんだから!税金使ってやってるんだから余計にそうでしょう?BOOK STARTの場合、このプレゼントで国が何を期待してるのか、もらう方はわかってんのかって話だよ。」

そうか。プレゼントには裏があるのか。国から無料でもらえてラッキーなんて単純な話じゃないのか。

「何を…期待されてるってこと?」
恐る恐る尋ねると、イェーネはわたしの肩に手を置き、にこっと笑って答えた。

「もちろん、デンマーク社会でお荷物にならないでねってことだよ!」


*********

イェーネのこの言葉はしばらくわたしの頭から離れなかった。もしBOOK START の目的が外国人にデンマーク語を使えるようさせるための、なかば強制的な要求がその根っこにあるのなら、わたしはこのプロジェクトの適任ではない。母語ではないデンマーク語を使えと移民でしかも移住してまだ10年も経たない移民一世の自分が、同じような立場で苦労している人を指導するのはなにかがちがう気がする。さらに絵本を子どもと読むことの大切さは伝えられるかもしれないけれど、社会のお荷物にならないために絵本をプレゼントするというのもやはりなにかが引っかかる。そうなると自分の役割ってなんだろうとわからなくなってくる。仕事なんだからとか、現実なんてそんなものと割り切れば良いのかもしれないけれど。


引っかかるといえば、1歳半と3歳児向けの絵本の配布についてもどうしたものかと悩むことがちらほら起こっていた。6か月、1歳の子どもには家庭訪問をして絵本を届けるが、1歳半の子どもは保護者が図書館に来て本を受け取ることになっている。図書館から届くハガキには、1歳半の子どもの名前宛に「あなたにプレゼントがあるので、都合の良いときに図書館に取りにきてね」と書かれている。そして必要であれば、図書館の職員が図書館内を案内することもある。そうして図書館を利用したことのない人々にも図書館のことを知ってもらうのが目的だ。一度わたしが家庭訪問した家の家族なら、わたしのことも覚えているはずだし、図書館も未知の場所ではなくなるということも計算されている(ようだ)。


でも現実には、このハガキを送っても本を受け取りにくる家族はほとんどいなかった。(なぜ?)

さらに3歳児の場合は絵本の入った大きな箱を保育園で配ることになっていた。この年齢になるとデンマークのほとんどの子どもが保育園(børnehave*) に入園しているので、園を通して配るのが一番効率的だからということらしい。国の指定地域に暮らす3歳児が通っている園であれば、その園に通っている指定地域外からの同い年の子どもたちにも絵本の入った箱を配って良いことになっていたので、各保育園に20~30個届けることになる。さすがに一人で持ち運ぶことはできなかったので、図書館の古いクリスチャニアバイク(前にたくさん荷物が置けるカーゴバイク)に短い足でまたがり、色んな保育園目指してヨタヨタと走って行く、、、ことになっていた。

でもここでもまた事件が起きた。

初めて訪ねた保育園で、そこの園長先生にこのプロジェクトについて話をするために会いに行ったときだった。彼女は箱の中の絵本をまず見たいと言った。

どうぞと絵本を差し出すと、内容に目を通した彼女は少しイラついたような声で、

「こういうプロジェクトによくあることなんですけど」

と言うと、ため息をついて少し怒った調子で言った。

「例えば、この絵本はここの園に通っている子どもたちの現実をまったく表していないんですよね。この主人公や登場人物、みんな白人でしょう?朝食にオートミールを食べるとか。とにかく、この絵本に描かれている様子は、この園の子どもたちの日常生活ではありません。こんな絵本を家に持ち帰って読む意味はどこにありますか?そこまで考えて選書をしているんですか?」

そう…来るか。
絶句してしまい固まっているわたしを見て、園長先生はちょっと言い過ぎたと思ったのか、

「まぁ、あなたには何の責任もないと思いますけどね。国のプロジェクトって言ってたから。イギリスでもこんな絵本を配ってるんですか?もっと当事者の立場を考えて絵本を選んでほしいと言ってるだけなんです。」

と言って部屋を出て行ってしまった。

その場にひとり取り残され「そう言われても、、」と、高く積みあがった大きな黄色の箱を眺めながら、「わたしにどうせいっちゅうねん!」という気持ちがこみあげてくる。でも同時に、彼女の視点で絵本を見てしまうと、そこに描かれている世界と園児たちの現実のちがいをもう意識せずにはいられない。

たまたまそばを通り過ぎた園の先生に「図書館からのプレゼントですのでおいていきます!!」とだけ言うと、わたしはまた自分には大きすぎる自転車にまたがって図書館へと戻った。図書館の事務室に入る時、入り口でたまたまハンネと目が合った。黙っていられずに話をすると、ハンネはわたしを抱きしめてくれた。少し泣きそうになった。



*Børnehave: 日本語では「幼稚園」と訳されることも多いが、教育省ではなく社会省の管轄なので、ここでは「保育園」と訳す。

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