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◇18. 「知」のデモクラシー、図書館にできること

「児童図書館の役割は、どんな家庭背景をもった子どもにも本をはじめさまざまなメディアに触れる機会を提供すること」、これはわたしが図書館司書になった頃、同僚から聞いた言葉だ。

だれもが必要な「知」へ平等にアクセスできる機会、それを提供する場。公共図書館はそんな「知」のデモクラシーを体現する場だ。

デンマークの公共図書館法では、「メディア」は書籍に限らず、マンガ、雑誌、WEB、CD、DVD、データベース、ゲーム機などを指す。どのメディアであっても、文化や社会体験、知へのアクセスを保障するため、公共図書館はそれらを平等に扱い市民に提供する。それが公共図書館の役割として明記されている。

児童図書館に限って言えば、親が自ら子どもを連れてこれる家庭にはある程度の文化資本があるといえるかもしれない。図書館の存在や利用方法を知り、図書館を生活の一部にしている時点で、その家庭で育つ子どもはその後の人生でも自ら必要な「知」にアクセスしていく力をつけることができるだろう。

その一方で家庭にほとんど本がなく、親自身も読書をせず、子どもも本を読んでもらった経験がない家庭や、文化資本には恵まれていても、ディスレクシア*などを抱えている場合は、自ら図書館へ足を運ぶことは少ないかもしれない。そんな子どもにとって、学校図書館は重要な存在だ。

*ディスレクシア:読み書きに困難がある学習障害のひとつ。脳の機能障害が原因で読み書き(特に読み)が苦手になると言われている。症状には個人差がある(日本財団ジャーナルより)。

日本財団ジャーナル

学校図書館で、本棚から気軽に本を手に取り、子どもどうしで本について一言、二言交わせるような環境が定期的に用意されていれば、たとえ本を読まない環境で育っていても、その子にとっては本と出会う機会になる。


本は耳で聴いたって良い

デンマークの義務教育学校で働いていた頃、学校には必ずディスレクシアと診断される子どもたちがいた。ただ、低学年でその兆候が見られてから実際に診断が出るまでに、数年単位の時間がかかることもあった。子ども自身の発達段階や、教員が気にかけてゆっくり指導することで、他の子より時間がかかっても好転したり、数年後に追いつく可能性もあるからだ。

とはいえ4,5年生ぐらいになり、周りの子たちが次々に分厚い本を借りて行くのを横目に見ながら、自分がいつまでも低学年向けの薄い本を借りなければならないという現実は、その子の自尊心に暗い影を落とす。他の子たちが難なくできていることが自分にはできないーそんなふう感じているからか、クラスメートたちが本を片手に教室へと戻る姿を見送ってから、そっと薄い本に手を伸ばし、後を追いかける子たちをわたしは何度も見てきた。

そんなとき、6年生を担任していたL先生が、休み時間にわたしの元へやってきてこう言った。

「担任しているディスレクシアの子が、ハリーポッターのオーディオブックを借りたんだけど、それにすっかりはまっちゃってね。もうどんどん読んでいて。本人も、クラスメートと同じ本が読めることがすごく嬉しいみたいなんだ。すっかりファンタジーにはまったようだから、他にどんな本を勧めてあげようかなと思ってるところなの。」

そう、良質な物語は必ずしも文字で味わわなくても、耳で聴いたって良い。それを同級生たちと同じように楽しめたらもっと楽しいし、嬉しいに違いない。その環境を、すっと差し出せることの意義は大きい。

公共図書館にいたときも、オーディオブックのみで読書をしているという10代の子たち、その保護者に何度か出会った。文字を読むことが難しくても読書はできる。その可能性が、シンプルにすばらしいと思った。

デンマークでは公共図書館でも多くのEブック、オーディオブックが借りられる。自治体によって1か月に借りられる冊数は異なるものの、Eブック、オーディオブック専用の図書館ホームページから、ダウンロード、ストリーミングすることができる。さらにディスレクシアと診断されたり、グレーゾーンだった場合には、Notaという団体が提供してくれるさまざまな支援サービスが学校を通して利用できる。

どんなテキストでも読ませてくれる強い味方、Nota

Notaは、デンマークの読字障害者のための国立図書館。通常の印刷物を読めない人々が「知」「社会参加」「社会体験」に平等にアクセスできることを保障することが目的で、利用者の80%以上がディスレクシアを抱えている人だ。それ以外にも視覚障害者、学校教員らも登録しており、現在25万人以上の利用者登録がある(デンマークの人口は580万人なので、人口比約4%)。

Notaにアクセスできるのはこうした一部の人だけだが、利用を許可されると、学校の教科書からレポート用の文献、読書用のさまざま本やマンガ、職探しや職務上で必要となる資料など、ありとあらゆる資料に読み上げ機能を付けて無料で提供してくれる。点字の楽譜まである。

さらにディスレクシアの子ども向けに開発された読み方練習アプリが利用できたり、家族や教員が気軽に相談できる窓口、公共図書館の職員向けのサービスがあったりと、当事者に直接的、間接的に関わる人々のサポート機能も備えている。

このNotaのオンライン図書サービスを利用して、学校でディスレクシアと診断された子たちはさまざまな本を借り、読んでいた。耳で聴いて初めて読書の楽しさを体験したと言っていた子もいる。専門知識のある職員が子どもたちの読書をサポートしてくれていると思うととても心強かった。

こうしたサポートを受けて高等教育へと進学する人もいる。実際、わたしが在学していた時にも図書館大学にはディスレクシアの学生や視覚障害のある学生がいた。(そういえば聴覚障害のある学生が、毎回授業時に手話通訳さんと出席していたこともあった。)大学では、レポートや試験の際、提出期間や試験時間が延長されていた。こうしたさまざまな支援を通し、学びの機会や社会参加がなるだけ平等になるよう整えられている。その先には人々が将来、社会で自立し生きていくことが目標とされているからだ。「知」のデモクラシーは、人々が自立して生きていくために作られたしくみでもあるのだ。



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