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消えた日本語の本と、それを追いかけた長い長い旅

〈はじめに〉

ずっと書きたいと思いつつなかなか文章にできないことってありませんか。これから続く長い文章も、そんな経験のひとつです。書けなかった理由は、文章にするとすごく長くなってしまうこと、恨みつらみの詰まった重い文になるだろうと予想できたからでした。これを書いたとて、なくなったものは戻ってこないし、ハッピーエンドでもない。だから気が重くて書けませんでした。

それでも今、書くことにしたのには理由があります。ひとつは、記録としてやはり残しておきたいと思ったから。爽やかな読み物として着地できなくても、それも人生の出来事としてありうることだとやっと思えるようになったからです。

もうひとつの理由は、ある結果を追い求めてそれが得られないと、そのことばかりに意識が囚われてしまいがちだけど、実はその過程でもっと別の大切なものを受け取っていたと気づいたからです。「どんな経験にも学びがあるよね」なんて悟ったようなことを言いたいのではないんです。大きな力に抗い、もがき、どうしようもなく落ち込んで、自信を失いながらも、何かに突き動かされ行動せずにはいられなかった。そんな自分の弱さや脆さは何の役にも立たなかったかもしれないけれど、小さな声を出し、パスを送り続ければ、誰かがそれを受けとめてくれることがある。そう信じても良いと気づいたからでした。だからやはり書いておきたいと思ったのです。

消えた日本語の本を追いかけた長い旅のなかで、手を差し伸べてくれた人が何人もいました。そのうちの一人は今年1月、遠い遠い旅に出てしまいました。もう会うことはできなくなりました。でも彼女と繋がったことで出会えた人々や世界がありました。手を伸ばせば、声を出せば、手を差し伸べてくれる人がいる。それを信じて、怖くても、落ち込んでも、また立ち上がっていけば良い。それをこの旅の中で何度も感じました。そしてわたしも、だれかの声を受けとめる存在でありたい。そう思うようになりました。


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2011年、友人とわたしはコペンハーゲン中央図書館に日本語の絵本・児童書を寄贈するプロジェクトを始めた。日本から海外に暮らす子どもたちへ、想いのたくさん詰まった本が届けられ、図書館の本棚に並んだ。

日本語の絵本や児童書は、コペンハーゲンだけでなくデンマークで暮らす日本にルーツのある家族、日本語を学ぶ人々にも届いた。そして図書館の外国語部門のなかでは、英語に続き2番目に貸出が多い外国語となった。本当に多くの人々が日本語の絵本・児童書を手に取ってくれ、友人とわたしにとっても、また日本から本を届けてくださった方々にとっても、とても嬉しい出来事だった(プロジェクトの成り立ち、日本語資料の貸出の多さがわかった理由等は引用した記事をお読みください)。

そんな日本語の棚が、2020年1月、突然図書館から消えた。


マイノリティ言語はすべて除籍

2020年1月下旬。友人からメールが届いた。

「図書館の日本語の絵本がどこへ移動したか知ってる?いくら探しても見つけられなくて」

図書館はコロナ禍で3月初めに閉鎖が決まる。その直前になんとか様子を見に行くことができたが、やはり日本語の棚を見つけることはできなかった。

見つけられなかったのは日本語だけではなかった。外国語の児童書の多くが忽然と姿を消していた。

2011年に寄贈プロジェクトを始めた当時、寄贈書を受けいれてくれた司書さんはすでに他の市の図書館へ転職していた。連絡先を知っている職員や司書はもうだれもいない。そこで思い切って、図書館の代表メールに連絡を入れた。すると短いメールがすぐ返ってきた。

「日本語の児童書は、オーフス大学エムドルップキャンパスの図書館へと譲渡されました。ここからオンラインで予約できます」

オンライン予約のリンクがメールに貼られていたが、つまり日本語の子どもの本は図書館から除籍され、大学図書館へと譲渡されたということらしい。

なぜ??

その理由がわからないままでは連絡をくれた友人をはじめ、本を利用している多くの人たち、寄贈してくれた人たちにも説明がつかない。プロジェクトを一緒に始めた友人と、なぜそのような経緯になったのかを教えてほしいと、再び図書館へメールを送った。

10日後、図書館から短いメールが届いた。そこにはこう書いてあった。

ご連絡をありがとうございます。
日本語を含むい少数者言語につきまして、当館では方針を転換いたしました。以下の点、1.貸出数(少ない)、2.スペース(足りない)、3.維持費及びILL等にかかる費用(かかり過ぎる)を総合的に判断し、除籍しました。尚、図書館は公的機関であるため、寄贈は受け付けておりません。

方針の転換、除籍。

貸出数は多いと聞いていたけれど近年は落ちていたのだろうか。児童図書館は改装されてスペースは2倍になったのだから足りないはずはなだろうし。そもそも費用だって寄贈書だから無料で受け取っていたはずだし、相互貸借は図書館のすべての本と同じなのだから、特別経費がかかるわけでもないはずなのに。なぜだろう???

この短いメールだけでは納得できなかった。むしろ疑問がさらに膨らんでいく。デンマーク在住の日本人のなかには困っている人もいるから、利用者に事情を説明するためにもう少し詳しく状況を教えてほしい、一度ミーティングをお願いできないかと返信した。でもいくら待っても、リマインダーを送っても、図書館から返事は来なかった。

市の文化局長へメールを送ってみる

図書館からの対応はショックだった。日本から届けられた本は350冊以上、一冊、一冊、書誌情報を翻訳して手渡してきた。多くの人から「日本語で本が読めて嬉しい」と感想を受け取っていた。図書館の児童書部門からもとても歓迎されていた。だから突然、本がなくなった理由をたった数行のメールで説明されても、それだけでは納得がいかない。

でもどうすれば良いんだろう。館長宛に直接問い合わせをするのか。返事はくるんだろうか。あるいは市役所の文化局へ問い合わせをするか。

図書館の対応にひどく落ち込んでしまい、すぐにアクションを取ることができないまま、時間だけが過ぎていった。でも何とか先に進まなくてはいけない。コロナ禍でまだ図書館が閉館していた6月のある日、わたしはコペンハーゲン市の文化局長へメールを送ることにした。

コペンハーゲン市文化局

コペンハーゲン市の公共図書館は市の文化局の管轄で、局長(デンマーク語ではコペンハーゲン市の文化大臣と呼ばれる)は、市民からの問い合わせに2週間以内に必ず返信をしなければならないという義務がある。それなら無視されることなく対応してくれるはず。その可能性に賭けてみよう、そう思った。

でも実はコペンハーゲン市の文化局長(大臣)にメールを送ろうと思ったのには別の理由もあった。

当時の局長はオルタナティブ党という政党に所属する女性で、次期党首候補とも言われていた(現党首)。この政党は左派の小さな政党だが、エコロジーや社会的弱者の保護、多文化主義を重視している。マイノリティ言語が公共図書館からなくなったことについて、彼女ならどんな言葉をくれるだろう、そんな好奇心もあった。

文化局長へのメールには、日本からの寄贈本350冊以上が突然除籍になったこと、それまでの利用者数は良好であったことに加え、デンマークの最大都市であり最も民族的、言語的に多様なコペンハーゲン市の中央図書館で、今回のように少数者言語の子どもの本が利用できなくなったことを大臣はどのようにお考えですか、といった内容を記した。

きっかり2週間後に、局長から返信があった。

その内容は、図書館長から聞き取った言葉をそのまま横流ししただけのようなものだった。

さわぐりさん

2020年6月12日のメールを受け取りました。

日本語で子どもに本を読むことは、日本にルーツのある人々にとって大きな意味があるということはよくわかります。文化局ではなぜ日本語書籍が中央図書館から除籍されたのかを確認しました。

中央図書館によると、日本語を含む他の少数者言語資料は、外国語書籍を保管している(一般には公開されていない)外国語図書館へ移譲されたとのことでした。ただ日本語書籍はこの図書館が受け取りを拒否したため、オーフス大学の図書館へ移譲したとのことです。相互貸与制度を利用すれば市民も今までと同じように借りることができます。この方法で引き続き日本語書籍をご利用ください。

コペンハーゲン市文化大臣 フランシスカ・ローセンキレ

少数者言語の子どもの本が図書館で利用できなくなったことを大臣はどのようにお考えですか、という問いへの回答はなかった。

あきらめるしかないのか…

この返信を受け取った後、わたしはまた落ち込んでしまった。図書館を管轄する市の担当局長の返事がこれなら、もうどうしようもないのか。というか、もしかしてわたしってクレーマー?大学図書館が引き受けてくれたんだからそれで良かったとこの件はもう終わりにすべきなのかな。そもそも図書館の決定に一々口出ししすぎだろうか。きっと「あの口うるさい日本人」と思われているかもしれない。図書館司書の世界は狭いから、わたしの身元も割れているかもしれない。

ネガティブ思考がチクチクとわたしの心を刺した。随分前に決定され、すべての本が運び出されて、大学図書館の新しいシステムにも登録され始めている。後戻りすることはないだろう。わたしひとりがごねても何も変わらない。何を言っても無駄。むしろ自分の評価が悪くなるだけでは?何のためにやってるんだよ。追い打ちをかけるように、自分を責める言葉が頭の中をかけめぐる。

ふと、そういえば移譲された本たちは元気にしているんだろうかと気になった。

大学図書館へ連絡を入れてみる。
すると返事はすぐに来た。

マリーという司書さんから、日本語の本は全てしっかり受け取っています、大学図書館のシステムへの移行もほぼ完了していますが、システムアップデートの関係でILL(相互貸借)が現在利用できません。待っている人も多いだろうと思いますがもうしばらく待っていてくださいねとのこと。

久々に人の優しさに触れ、新しい受け入れ先で本たちは大切に扱われていると知り、じんわり嬉しい気持ちになった。

本たちの様子を見に行きたいのですがと伝えると、案内しますからぜひいらしてください!と言っていただき、友人と訪れる約束をした。


久しぶりの再会。元気そうで良かったけれど・・・

小雨の降る10月のある日、わたしは大学図書館へと足を運んだ。この大学には児童文学研究所があり、昔から様々な言語の児童書が所蔵されている。日本語の児童書もそのコレクションに入れてもらったようだった。

マリーは図書館の一番奥にある日本語の棚へ案内してくれた。久しぶりに再会できた本たちはずらりとアルファベット順に並べられていた。あぁ、生きていたのね、よかったー!とやや涙目で本の背をさする。もちろん、捨てられたわけではないとわかってはいたが、実物を手に取り、新しいICチップを付けられた様子を目にして初めてほっと安心できた。マリーに再び感謝の意を伝えた。

大学図書館からの帰り道、わたしは日本語の児童書をこれからどうやって人々に届ければ良いかを考えていた。本がまた一カ所に集められ、図書館システムに登録されて、相互貸借制度を利用すれば以前と同じように公共図書館で受け取ることができる、それは本当にありがたいことだった。とりあえず、本は図書館システムの中でまた息を吹き返し、どこからでも借りてもらえるようになった。ただ問題は、実際に本を手に取って目を通したい場合、それがもうできないということだった。

日本語の子どもの本は、大学図書館の一番奥の書架にあった。図書館の長い長い廊下を延々と歩き、一番奥にある書架。閉架ではないからだれでも入ることはできるが、外国語の児童書はそもそも研究目的で所蔵されており、このセクションは子どもの入室はお断りと書かれていた。学生が自習するためのサイレントゾーンも近くにあり、子連れでは訪れることは難しい。

公共図書館であれば子どもと一緒に出かけて、本を手に取り、ぱらぱらとページをめくって読んでみることもできる。声を出しても問題はない。子どもの本というのは対象年齢も非常に幅広く、だからこそ内容をよく確認する必要がある。自分の子どもの〈今〉にちょうど良いのか、難しすぎるのか易しすぎるのか、退屈なのかおもしろいのか。それは実際に中身を見てみなければわからないことが多い。

「ネットで予約できます」と簡単にいうけれど、それは借りたい本がはっきり分かっている場合には便利でも、どんな本があるのか、自分の子どもにぴったりなのかは、ネットだけではなかなかわからない。


そう思うとまた、コペンハーゲン中央図書館が少数者言語の子どもの本を除籍したことに怒りが湧いてきた。やっぱり、おかしい。デンマーク語がわからない子どもだって本を手にとって見てみたいはず。外国籍の人が25%を占めるコペンハーゲン市で、少数者言語の子どもの本だけを除籍する理由は何なんだ。わからないよ。

自宅に戻ると図書館司書組合の会報誌が届いていた。何気なくぱらぱらとページをめくりながらふと思った。司書組合に相談メールを書こう。

会報誌に記事を載せてみない?

これまでのいきさつを長いメールにしたためて、暑苦しいかなぁと思いながらも組合の代表宛に直接送信した。数日後、代表のティーネから電話がかかってきた。

「メールを送ってくれてありがとう、あなたと直接話をしたいと思って」

3千人ほどの会員がいる図書館司書組合は、デンマークの職業組合としては大きな方ではない。でもその代表がわざわざ電話をくれるとは思っていなかったので、跳びあがるほど驚いた。

そして、これまでの出来事をひとつずつ話した。母親として子どもに母語で絵本や児童書を読んできたこと、児童書司書として本を読む時間はとても大切なものだと感じていること、そして、多様性が最も顕著な自治体の図書館でこの決定はおかしいと思うこと。ティーネは終始相槌を打ちながら、わたしの長い話を聴いてくれた。すべてを聴き終わると、彼女はこう言った。

「あなたが今話してくれたこと、とても大切なことだと思う。真剣にこの問題に向き合ってくれて本当にありがとう。子どもの読書に関わる職業人として、熱意をもってこの問題を提起をするのはとても重要なことです。あなた、組合誌に文章を書いてみない?この問題を語るにはあなたがベストな立場だと思う。とても重要なメッセージを発信できるはず。そのためのスペースは確保するからぜひ文章で伝えて!」

自分の名前と立場を明らかにして、先輩司書が働く図書館の決定を批判する。想像しただけで気後れしてしまう。大した経歴もないのに、しかも外国人としてすぐ名前と顔が割れるのに、こんなことをしたらもう一生ここで司書の仕事はできなくなるんじゃないか…。そんな思いもよぎる。

「でも、あの…、名前を出して書くのが怖いんですが」

そう言うとティーネは少し笑いながら、

「わかるよ、その気持ち。でもね、これはプロとして重要な指摘をするということだから。そして、単に批判するための文章を書くのではなくて、建設的な提案を入れたものに仕上げれば良いと思う。あなたが言う母語での読書の重要性やアクセシビリティの問題はここ何年も語られてこなかったことで、図書館としても忘れがちな課題だから、忘れないで!って声を他の司書や管理職に届けることは大切なことだから」

「書けたらわたし宛に送ってくれる?校正担当者に回すから。期待してるよ、よろしくね!」

批判に偏り過ぎずに建設的なメッセージを入れる、問題提起を当事者(デンマーク語が母語ではない)の視点から書いていくー。ティーネの言葉をメモしたノートを眺めながら、果たしてどんな構成で書けば良いのかなぁとあれこれ考え続けた。

2週間後、書き上げたものをティーネに送信すると、翌日には校正担当の編集者さんから受け取りましたという返信が来た。その後何度かやり取りを経て、記事は1月号の会報誌に掲載されることになった。


2021年1月半ば。郵便受けに届いた会報誌には2ページに渡って記事が掲載されていた。自分の名前で書いた初めてのデンマーク語の記事。嬉しさと同時に怖さもあった。仕事を通して初めて声を挙げた。外国人のしがない司書が偉そうにと思われるかもしれない。でももう書いてしまったんだ、だからもうどうにでもなれ、とも思った。

怖いという気持ちを感じつつ、こんな機会をくれた代表のティーネにも感謝の気持ちがあふれた。あきらめきれずに訴えたことを彼女は真摯に受け止め、大事なことだからと励まし、紙面を提供してくれた。そのことが素直に嬉しかった。この記事ひとつで本が戻ってくることがたとえなかったとしても、図書館の決定はおかしいのではないかという意見をこんな形で伝える機会は自分では作れない。

数日後、図書館大学時代の同級生たちから、さわぐりの記事読んだよ、すごく大切な指摘だよと連絡が届いた。記事を書いたから、同じ思いの人がいることを知った。ひとりぼっちじゃないとわかったことが嬉しかった。

市議会からのサポートと図書館の決定

6月にコペンハーゲン市の文化局長へメールを送り、届いた返信にひどく落ち込んだことはすでに書いたけれど、それからしばらくして、わたしは今度はコペンハーゲンの市議会議員にもメールを送ることのした。落ち込むと「もうムリ、もう嫌」と匙を投げたくなり、しばらくは問題を直視できずに目を背けてしまうのだけれど、落ち込みの底をつくとまた次の手を打たねばと、よろよろと這い上がる。そんなことをくり返すようになっていた。

コペンハーゲン市の文化局では多様性やマイノリティの声を大切にしているという若い市会議員さんに、わたしはメールを送った。文化局長からの返信も添付し、このような返信があったが、市議会でこの問題を取り上げてもらえないだろうかと。

クリストファーという若い男性議員は、大学で物理学の博士論文を執筆しながら市議会議員をしている人だった。彼からはすぐに返信があり、あなたの指摘した問題を秋の議会で話し合いたいからしばらく時間をくださいとのことだった。

数か月後、クリストファーからは「嬉しい報告があります」というメールが届いた。なんと市議会ではマイノリティ言語の書籍が除籍されたことを重く受け止め、中央図書館へ、再度外国語の児童書を購入するためにと予算を計上してくれたのだ。その額は40万デンマーククローネ、日本円で約800万円。依頼をしてから半年も経たないうちに、市議会がこんな結論を出してくれたことが信じられなかった。

感謝のメールを送ると、クリストファーは、この予算は外国語の児童書購入に限定されたものとして計上されたが、実際に図書館が何を購入するかはまだ未定だから、改めてその報告をしますとのこと。年明けまで、少しドキドキしながら待つことになった。

クリストファーからの報告を待つこと数か月。結果はわたしたちが望んだものではなかった。図書館はこの予算を全額、英語の児童書購入に充てたことが明らかになった。クリストファーも議会は図書館の具体的な決定に介入できないが、図書館の決定はとても残念だと言っていた。

それでも議会はできる限りのことをしてくれたし、熱意も十分伝わっていた。だからわたしからは感謝を伝えることしかできなかった。


新しい人々との出会い、そして別れ

1月の図書館司書組合の会報誌に記事が載ってから、ある日メールが届いた。フュン島の図書館で児童書司書をしているという女性から、司書組合で「外国語書籍の利用を広める会」の運営委員をしているのだけど、一緒に活動しませんか、そうメールには書かれていた。

シャーロッテというこの女性に誘われて、司書組合の「外国語書籍を広める会」の運営メンバーと(コロナ禍でもあったので)zoomで初めて対面した。同じ職業の人から声をかけてもらえたことはとても嬉しかった。

この会の会員は図書館職員や司書など合わせて50人ほど。メンバーは長年図書館で外国語書籍の普及に尽力してきた人々や、移民、難民背景のある人々がデンマークで暮らす上での支援をしている図書館職員、司書などだという。

運営メンバーのなかには、わたしのように外国にルーツを持つメンバーもいた。どの人も「母語で読書をすること」の重要性をそれぞれの体験から認識していてとても熱い想いのある人たちばかり。そしてどの人も組合の会報誌に載った記事を読んだ、とても良かったよ!と言ってくれた。

このメンバーとは、その後1年半ほどの間ともに活動した。スウェーデン、ノルウェーの図書館関係者ともセミナーをして情報交換をしたり、王立図書館内の外国語図書館(閉架書庫)担当者と意見交換をするなど、さまざまなことに取り組んだ。刺激と勇気をたくさんもらった。

残念ながら、この「外国語書籍の利用を広める会」は2023年には解散した。理由は図書館司書組合が大規模な別の組合と合併されることになったからだ。そしてシャーロッテは持病が急に悪化し今年1月に逝去。突然のことだった。「同じ思いを持った仲間と一緒にがんばりましょう」と声をかけてくれた彼女とはもう会うことさえできない。今でも信じられないままだ。


ひとりでできることなんて、たかが知れている。でも

結果だけを見れば、日本語の子どもの本がコペンハーゲン中央図書館に戻ることはなかった。中央図書館内の子ども図書館は改装後とても素敵な空間になり、子どもを連れて本を探しに来たり、遊びに立ち寄る人々でにぎわっている。そんな場所に、デンマーク語を母語としない人が同じ目的で立ち寄れなくなったことは今でも理解できないし、とても残念なことだと思う。

でも少なくとも日本語の本たちは、別の場所で生き続けている。知人や友人からは今でも「絵本を取り寄せて読んでるよ!」と連絡をもらうこともある。わたしはもう図書館司書ではないけれど、それがとても嬉しい。本は読んでもらうことが一番だと思うから。海外で過ごす親子の大切な時間に、日本語の絵本や児童書が読まれている、それが本の一番大切な目的だと思うから。

手に取ることが難しい、取り寄せる方法も簡単ではない、それでも少しでも多くの読みたい人に届きますように。SNSでも紹介をつづけている。日本人会でもまた広報を始めてくれたと聞く。

ひとりでは何も動かすことはできなかった。ただ小さな声を出し続けること、それさえも冷たい対応や心の中のネガティブな声にかき消され、止めてしまったことが何度もあった。でもわたしの声を無視せず、受けとめてくれた人々もいた。マリー、ティーネ、クリストファー、シャーロッテ、図書館に問い合わせメールを送ってくれた友人たち、こんな方法を試してみたらと提案してくれた知人たち、組合の人たち、「外国語書籍の利用を広める会」のメンバー。それぞれがパスを受けて、自分の立場からできることをしてくれた。かれらの存在や何げない声かけにどれだけ救われたかわからない。

わたしにも同じことができているだろうか。忙しいから、もっと重要なことがほかにあるから、自分にできることなんてないから、直接は関係ないからと素通りしてきたことが今までにたくさんあったのではないか。自分は何か大きなことを変えられる権限も決定権もない。それでもひとりの人間として何かできることはあると思いたい。そう思って生きていたい。そんな世界に生きていたい。



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