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自由とチームワークと信頼がつながる時

コロナ禍で各国の様子が連日伝えられる中、デンマークは、フレデリクセン首相や保健局による対策が功を奏し、感染ペースを遅らせることに成功してきた。ロックダウンは既に4月半ばに解除が始まり、今月半ばからは第二、第三段階として、カフェや飲食店、ショッピングセンターが再開し、義務教育では中等部も始まるなど、日に日に日常が戻りつつある。

デンマークは南欧諸国に比べて人口当たりの死亡者数も少なく、ロックダウン解除も世界に先駆けて一早く始められた。人々のストレスレベルも欧州27か国中2番目に低く、コロナウイルスによってもたらされた日常の変化は大きかったものの、人々はそれを粛々と受け入れ、過ごしてきたようだ。

今回のコロナ禍で、デンマークの人々が比較的穏やかに過ごし、ロックダウン後の再開も早かった背景には、人々の政府や専門家への信頼が非常に高かったことが指摘されている。この傾向は、しかしながら、コロナ以前から既に顕著な傾向であった。

他者への信頼度が高く汚職が少ない国

「他人を信頼できるか」を問うた欧州内の調査において、デンマークは「信頼できる」と答えた割合が欧州内で最も高かったそうだ(2002年から2018年までの調査結果の平均値)。スウェーデンが他国と異なる政策の中でも、国民の政府への信頼が高いという興味深い記事があるが、デンマークも例にもれず、コロナ禍では政府への信頼度が非常に高い(スウェーデン以上に)。さらに、世界各国の腐敗認識指数調査(2019)においても、デンマークは、政治家による汚職や腐敗が最も少ない国だという結果が出ており、このことからも、コロナ以前からのこの国の傾向が、むしろコロナ禍で顕著になり、非日常の中で強化されたのかもしれない。

自由意志を愛するデンマーク人

他者への信頼が高いこと、汚職が少ないことは、デンマークに限ったことではない。他の北欧諸国(ノルウェー、スウェーデン、フィンランド、アイスランド)も上記2つの調査結果では、デンマークに続いている。

北欧諸国は類似点が多いと言われるが、それでもデンマークが他の北欧と少し異なる面ももちろんある。それは、デンマークの人々が個人の自由意志を愛する者として、特に他の北欧諸国では知られているということだ。

スウェーデンのヨーテボリ大学でメディアとコミュニケーション学を専門とするOrla Vigsø教授によると、デンマーク人は「食べること、酒を飲むこと、セックスをし、楽しむことが大好きで、他人から干渉されることを好まない」「市民と政府がそれぞれの判断力を信頼するという自由が強く、法律等で厳しく規制するよりも、個人の常識に訴えかけようという傾向がある」そうだ(注)。確かに、デンマークは他の北欧諸国と異なり、男性の育児休暇や女性の管理職数を増やすための法律制定がなかなか進まず、性の平等が他の北欧諸国より遅れ気味なのも、そういった上からの介入を嫌う傾向が裏目に出ているからかもしれない。

自由意志とチームワークのバランス

デンマーク人が自由意志を愛するということは、しかしながら、個人の自由が無制限に尊重されているということではない。まず、自分の自由を尊重するということは、他者も同様にその自由を享受できることを受けいれる、つまり自由の相互承認が原則となっている。それは性の多様性が受け入れられているなど、様々な面でデンマーク社会において見受けられる。

さらに、これとセットである国民性が、"fællesskab"を重視する考え方だ。この言葉は、共同体、集団、公衆、チームワークといった意味が入り混じった表現で、例えば友人同士から、学級、職場の部署、スポーツ活動など、家庭以外で、身近な環境にいたり、同じ関心を持った人々とともに過ごす時の状態を指す。そして、そこで共に過ごす人々と、いかに心地よく共存できるかがとても重要であり、またそこに積極的に入っていくことも重視されている。この"fællesskab"が、個人の自由意志の暴走を止める。どれほど自由意志を尊重したくても、"fællesskab"が侵害されるものは良しとされない。このバランスが非常に重要だ。

コロナ禍の行動制限において、デンマークは他国と比べると、まだ行動に多少の自由が許された。もちろん、一時は10人以上の集会は禁止で、子どもでさえ、決まった相手のみとしか遊んではいけない時期はあったものの、アメリかやイギリスのように外出に制限はなく、互いに2メートルの距離を保つことを原則に、スーパーへの買い物や散歩、サマーハウスへの移動が自由に許された。政府への信頼という意味では、この行動制限の中でも、自由が残されたことで、人々が不安やフラストレーションを最低限に抑えることができた理由かもしれない。また首相は会見において、ロックダウンの解除は、人々の常識ある行動にかかっていると何度となく語っていた。それを国民の多くが真摯に受け止めて行動したことで、感染者数の増加も遅らせることができた。信頼をベースにした政府と国民のコミュニケーションがここでも発揮されたといえる。

そして、同時に"fællesskab"もしっかり表れた。発端は、マルグレーテ二世女王の異例のスピーチだった。人々が一時期、フレデリクセン首相の指示に従わず、誕生日会やパーティなどで集まりをやめなかったことを、マルグレーテ二世女王は「軽率で、配慮がない」行為だと、自身のスピーチで断言した。王室が公式にスピーチを行うのは、大晦日など決まった機会を除いては異例のことで、第二次世界大戦以来なのだそうだ。

マルグレーテ二世女王はさらにこのスピーチの中で、「危険な客」であるコロナウイルスがもたらす感染の鎖を断ち切るために、「わたしたち皆が、互いのことを考え、共に、同時に行動しなければならない」と語った。デンマーク全体を一つの共同体として互いに配慮をしなければならないと、王室の立場から発言したのだ。

このマルグレーテ二世女王のメッセージは、普段から皇室を愛する人のみでなく、多くの人にも伝わったという(注2)。インスタグラムでもたくさんの若い世代がこのスピーチをシェアしたそうだ。スピーチによって非常事態であることを改めて認識した人々もいたのだろう。

このデンマークとしての共同体の意識は、ロックダウンが始まって数週間後に別の形でさらに強化される。それは、国営放送DRが企画した "Fællessang -hver for sig" (みんなの歌-それぞれの場所で)だ。3月下旬から始まったこの番組は、デンマークの人々がよく知っている歌を、歌手や一般人が、自宅やベランダから歌う様子を放映するというものだ。同じ歌を皆で一緒に歌うことで、ロックダウン中も心をつなぐことができるという発想で、非常に人気がある番組となった(わたしの義母も例にもれず毎週テレビをつけて歌っている)。

個人の行動をある程度制限されつつも、デンマークの人々はコロナ以前と同様、政府や専門家を信頼し、彼らの指示通りに行動し、そして互いの心を歌を歌ってつなぎ合い、このコロナ禍を比較的穏やかに過ごしてきたのだった。

信頼が持つ意味

政府の指示を聞き入れ、王室からのメッセージを真剣に受け止め、テレビをつけて大声で歌っている人々を見て、わたしは正直、不思議な気持ちになることもあった。普段は社会問題に対して常に批判的な視点を持つ人々が、こんなに素直に政治家を信用し、本当に大丈夫なのかと違和感さえ感じることもあった。それは、わたしが汚職の多い国から来ているからだろうか。信頼して任せる、というのはとても勇気のいる行為だ。また、同じチームであるという認識を共有することも、まずそこに信頼がなければ成り立たないだろう。わたしたちは、どのようにすれば互いを信頼でき、信頼をベースとした社会を作ることができるのだろうか。

最後に、汚職が少なく、他者への信頼が高いことは、経済的だという考え方もあるのだそうだ。人々の行動を厳しく規制し制限するためにかかるコストを、人々の信頼をもとにした、自発的な意識や行動に働きかけることで抑制できるからだという。日本人にとっては非常になじみの薄い視点だが、このような発想が、デンマーク社会の現状を示しているのかもしれない。


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