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ゆるのりのススメ

クリスマスから師走にかけて、人も街も少し早足気味になるので、なんだか落ち着かず、自律神経が刺激されやすい環境になってるなと、ふと思ったのです。

どうも、やや遠くから流れの様子をうかがうのが好きなsawa_komaです。

ストレスフリーで生きていく!!と心に誓い、ストレスから逃避するために、商業的な香りがする世の中のイベントから、若干距離を置きながら生きています。

「イベント」の扱われ方

育った環境って本当に大切で、いつまでも影響を与え続けるんだと、最近身に染みて感じています。

私の実家は、イベントいぇ~い!!っという家ではありませんでした。(言わずとも察しがつくとは思うのですが笑)
記憶に残っていないだけかもしれませんが、クリスマスツリーを飾る事は無かったし、サンタさんがいるいない論争になんて、そもそもなりませんでした。なぜなら、サンタさん=商標登録みたいな扱いを、実家では受けていたからです。(サンタごめんよ…)
だからクリスマスのプレゼントは、「これ買って」と親に直接ねだる、超現実的な子どもだった事を強く記憶しています笑

誕生日でも、イベントっぽいお食事が出てきたわけでは無いし、ケーキは有りこそすれど、「ご飯食べたらケーキあるよ」くらいの扱いで、ろうそくふ~っ!!おめでとぉ~!!みたいなのは、大人になるまでした記憶がありません。

風習の地位

逆に面白いのが、季節ごとの風習には、かなりのウェイトを置かれていたという事。

家族総出で年末の大掃除をして、お正月は全員が祝箸で、「おめでとうございます」と、母が作ったお正月料理を食べました。桃の節句にはお雛様を出して、端午の節句には兜の人形を出して祝ったし、お盆やお彼岸には、必ずお墓の掃除とお墓参りに駆り出されていました。おはぎやぼたもちがあった事も記憶しています。
十五夜には団子が出てきたし、冬至のカボチャやゆず湯も、思えばあったはず。

なんせ、日本古来の風習の地位が、かなり高めのお家でした。

沁みこんだもの

今の私が、世の中に仕掛けられたイベントに対して、興味を示さず、大きく乗っかることがほぼ無いのは、子どもの頃のこの環境の影響だと思っています。

クリスマスやバレンタインやハロウィンで、人や街が盛り上がっていても、なるほど…と思い、商業戦略目線で見てしまうので、イルミネーションに感動した事は無いけれど、花火には感動するという、不思議な人間へと成長しきりました笑

それでも唯一、夢の国のクリスマスツリーに感動する点においては、夢の国マジックへのリスペクトしかありません。

自分が大切にしているもの

今になって思うのですが、我が家の父は徹底していました。自分自身が根拠や由来に共感できないイベントには、絶対に乗っかりませんでした。
世の中の雰囲気になんてもちろん、まだ小さい子どもにねだられようと、そこに寄せる事も無かったです。日本の風習に熱心に取り組んでいたのは、自分自身が根拠や由来に共感し、大切にしたいと考えたから。

悪く言えば、ただ頑固なだけですが、誰に何を言われようとも貫き通すって、よほど自分自身が、何を大切に生きていきたいかを分かっていないと出来ない事なので、違う視点から見ると、ストレスフリーで生きてる鏡だよなと、今なら思えます。

私はと言うと…
日本では商業的に扱われているイベントにも、もともとは根拠や由来があって、それを知って、小さく乗っかる事に趣を感じているので、私なりの参加の仕方をしています。

楽しみ方は人それぞれなので、どんなイベントをどう楽しもうと自由なのですが、何を大切にしてそれをしているのかが分かっていると、色々な意味で、大きな間違いは生まれにくいのかなと感じるこの頃です。

身体は正直

結局、不思議な価値観に育ちあがった私が、ストレスフリーで生きていく!!と心に誓ってから、小さいながも、イベントや風習を大切に過ごしてみて気づいたのが、「自律神経整いますよ!!」という事。

日本の風習って、そもそも季節感を大切にしたものが多いので、日本の四季を感じながら、季節の変わり目を意識して過ごす事ができるし、イベント色の街の賑わいに合わせてちょっと盛り上がってみると、街の落ち着きの訪れと共にちょっと冷静になれたりして、勝手に交感神経と副交感神経が刺激されているようです。

考えに固執せず流れにゆる~く乗ってみるのも、またそれはそれで、結果、心地良かったりする事もあるのね…と思いながら、残り少ない師走の雰囲気を楽しもうと思っています。

今日も多くの方が、美しく健康的にたくましく活き活きと生きられますように!!












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