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【『逃げ上手の若君』全力応援!】(167‐2)「逃げる」兵を追って「鬼さーんこーちら」の術中にはまる……かくして、「虫」にかき乱された「逆賊」の未来はこんなにもヤバ目!?

 南北朝時代を楽しむ会の会員の間でも話題騒然の週刊少年ジャンプ新連載『逃げ上手の若君』ーー主人公が北条時行、メインキャラクターに諏訪頼重! 私は松井優征先生の慧眼(けいがん=物事をよく見抜くすぐれた眼力。鋭い洞察力。)に初回から度肝を抜かれました。
 鎌倉時代末期から南北朝時代というのは、これまでの支配体制や価値観が崩壊し、旧時代と新時代のせめぎあいの中で、人々がそれぞれに生き方の模索を生きながらにしていた時代だと思います。死をも恐れぬ潔さをよしとした武士が〝逃げる〟という選択をすることの意義とは……?
〔以下の本文は、2024年8月17日に某小説投稿サイトに投稿した作品です。〕


 『逃げ上手の若君』第167話は、目に涙を浮かべた時行の「鬼さーんこーちら」という場面で終っています。

 「古今東西の完全勝利が語っている」「史上最強の戦術は… 「逃げる」ことである

 ここでは、「カルラエの戦い」「カルカ河畔の戦い」「 アインジャールートの戦い」「耳川の戦い」という戦いの名があげられています。詳しくない私は、もちろんYouTubeで検索です(笑)。ーーなるほど、確かに「鬼さんこーちら」でした。

 以下で、私が視聴したYouTubeの動画を参考までに掲載させていただきます(どなたの動画も知識と工夫が素晴らしいです……)。
 戦略や戦術は私の得意分野ではない上に、陣形などの把握が文字と音声情報だけでは困難ゆえ、できる限り布陣と兵の動きがわかりやすい、再生時間があまり長くない動画を選んで視聴しました(知らないジャンルの知識をYouTubeで取り入れる際には、視聴した方のコメントも私にはとても勉強になります)。
 いずれにせよ、わかりやすく楽しい動画を視聴して、しかも無料で学べる現代は本当にすごいですね!(個人的には、ゲームを実況している【カルラエの戦い】の動画が、一番わかりやすくて面白かったです。)


【 カルラエの戦い 】
「ゲームで戦術解説 カルラエの戦い トータルウォーローマ2」〔会社に勤めない自由人モブログ〕
  ※「パルティアンショット」も登場します。


【 カルカ河畔の戦い 】
「進撃モンゴル帝国!ヨーロッパの悪夢【カルカ河畔の戦い】怪将スブタイの機動【世界の戦術戦略】」〔非株式会社いつかやる〕


【 アインジャールートの戦い 】
「【モンゴル軍vsマムルーク朝】アイン・ジャールートの戦い」〔あたまんじゅう〕


【 耳川の戦い 】
「[合戦解説] 10分でわかる耳川の戦い 「島津軍の釣り野伏せと大友軍の国崩し」 /RE:戦国覇王」〔RE:戦国覇王【歴史解説】〕

 
 ※〔非株式会社いつかやる〕さんのチャンネルには、【カルラエの戦い】【アインジャールートの戦い】も収録されています。

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 「我はな時行 お前の大乱が原因で帝と敵対し 国の半分から逆賊と呼ばれる羽目になった 未来までこの汚名は消えるまい

(後世の「逆賊」認定は本人の想像以上?)

 尊氏は、自らの「逆賊」の「汚名」が「未来」にまで影響すると心の中で怒りを燃やしています。確かに、これは尊氏にすれば大いなる計算違いだったでしょう。尊氏の「汚名」という話題になった際には、私は必ず次の事件を思い起こします。

足利氏木像梟首事件(あしかがしもくぞうきょうしゅじけん)
 文久三年(一八六三)二月二十二日夜におきた「天誅」事件である。これは将軍徳川家茂上洛のいやがらせのため幕府の非違をせめる手段として、上京衣笠山麓の等持院に祀る足利尊氏・義詮(よしあきら)・義満の三代の木像の首を抜き取り、板に並べて賀茂の三条河原にさらした。片目をくりぬき、下に位牌をぶらさげ、別に制札をたてて、その中で「名分を正すの今日に当り、鎌倉以来の逆臣の一々について吟味をとげ誅戮すべき処、この三賊巨魁たるにより、よつて先づ醜像に天誅を加ふるもの也」とある。さらに三条大橋西詰南側に出された張紙には、「逆賊足利十五代の悪逆は万人のよく知る所で今さら申すまでもない。したがってこの影像を斬戮したことについては贅言であるがいささかその罪を述べん(下略)」という意味のことを述べている。この「天誅」は歴史的裁きの型をとったため多くの人々の関心を呼んでいる。その結果京都守護職の松平容保は態度を硬化させ、犯人逮捕に全力をつくした。その下手人には平田篤胤門人が多く、伊予出身の神官三輪田元綱、江戸医もとは伊予出身の師岡(もろおか)正胤、信濃国岩村田の神官角田忠行、京三条西洞院木綿商長尾郁三郎、丹後宮津の織元京問屋小室理喜蔵(信夫)、近江国蒲生郡八幡肥料商西川善六(吉輔)、さらには信濃国更級郡若宮村豪農高松趙之助、周防脱藩士石川一(はじめ)、同仙石佐多男、下総国相馬郡宮和田宿宮和田勇、常陸の人建部建一郎、下総国香取郡渋川村豪農青柳健之助、陸奥国大沼郡の人長沢真古登、同不明武田小一郎、備前国岡山藩陪臣野呂久左衛門、同岡元太郎、阿波国徳島藩儒者中島永吉、会津藩士大庭恭平らである。大庭は逮捕前に自殺、角田は逃亡、以外は全員祇園新地、京衣棚通二条あたりで逮捕され諸藩預けとなった。この「天誅」は、尊攘運動の魁的事件として注目される。
〔国史大辞典〕

 高校の日本史の授業でこれを習った時、〝足利どれだけヤバイんだよ〟と思いました(木像の首を晒すという幕末の人の発想にもたまげましたが……)。

 北畠顕家や時行を「」呼ばわりする尊氏ですが、こうして歴史を見返した時に、どれだけ史書を都合よく作成し、物語を抹消しようとも、「」たちは真実の痕跡を残し、後の世の人々はその「」たちの口伝えの物語に熱狂するのです。事実か否かは問題ではなく、〝感動〟と〝感情〟が物語を上書きし、伝説を作り上げていくのです。

〔参考とした辞書・事典類は記事の中で示しています。〕


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