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【鳥取寺社縁起シリーズ】「因幡堂縁起絵巻」(29)

 【鳥取寺社縁起シリーズ】第二弾として、「因幡堂縁起絵巻」詞書部分の注釈・現代語訳をnoteで連載いたします(月1回予定)。

 〔冒頭の写真は、鳥取県立博物館『はじまりの物語ー縁起絵巻に描かれた古の鳥取ー』の表紙(「因幡堂縁起絵巻」の一場面)です。〕


■寺社縁起本文・注釈・現代語訳

__________________________________  本文(翻刻)は、『企画展 はじまりの物語ー縁起絵巻に描かれた古の鳥取ー』〔鳥取県立博物館/2008年10月4日〕の巻末「鳥取県関係寺社縁起史料集」のものを使用しています。

 ※「因幡堂縁起絵巻」の概要は第1回をご覧ください。

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【 第二十三段12行目まで 】
倩當寺の縁起を拝見するに衆病悉除
の願もむなしからす皆令満足のちかひもた
のもしく覚侍るあひた十ケ条の奇
特をえらひて十二大願のせいやくに擬し
後素のおろかなるにあらはして外見の
かしこきをはつるところなりしかのみならす
段々二六の詞をもて各々三四の筆を染侍

抑七所薬師と申て洛中洛外に利益
をほとこし山上山下にけいけむをあらは
し給ふ
第一に廣隆寺推古天皇の御宇聖徳太子
の建立秦の川勝に勅して形像を刻て
安置し奉とかや今のうつまさの薬師是也
第二に延暦寺は桓武天皇の御宇傳数※
大師の草創中堂の薬師如来の御事也
第三に法霊寺の本尊は聖武天皇の
御時行基菩薩の建立とかや今のたて
くらの薬師是なり

※テキストの本文(翻刻)は「数」となっているが、絵巻本体の写真では「教」で、この部分「傳教大師」となるか。

→倩々*當寺の縁起を拝見するに衆病悉除*
の願もむなしからず皆令満足*の誓ひもた
のもしく覚え侍るあひだ十ケ条の奇
特をえらびて十二大願の誓約に擬し
後素*のおろかなるにあらはして外見の
かしこきを恥づるところなり。しかのみならず
段々二六*の詞をもて各々三四*の筆を染め侍
り。
抑々七所薬師*と申して洛中洛外に利益
をほどこし山上山下に霊験*をあらは
し給ふ。
第一に廣隆寺*。推古天皇の御宇聖徳太子
の建立、秦の川勝に勅して形像を刻みて
安置し奉るとかや。今の太秦の薬師是なり。
第二に延暦寺は桓武天皇の御宇傳教
大師の草創、中堂の薬師如来の御事なり。くら
第三に法霊寺*の本尊は聖武天皇の
御時、行基菩薩の建立とかや。今の蓼
倉の薬師是なり。

〈注釈(語の意味)〉
・倩々(つらつら)…つくづく。よくよく。念入りに。
・衆病悉除(しゅびょうしつじょ)…すべての病いがことごとく除かれること。特に薬師如来がたてた一二の誓願の一つにこれが誓われている。〔日本国語大辞典〕
・皆令満足(かいりょうまんぞく)…仏語。仏が、大きな慈悲の心で、衆生の願いをすべて満足させることを示した言葉。〔日本国語大辞典〕
・後素(こうそ)…絵画。絵。
 ※絵事(かいじ)は素(そ)を後にす…絵を描くには素(白色の絵具)を最後に施して仕上げるように、人間も修養を積んだ上に礼を学ぶことによって、人格を完成させる。
・二六/三四…十二のことか。
・七所薬師…下記サイト「ニッポンの霊場」(ニッポンの霊場 - 日本各地の巡礼・巡拝霊場の紹介 (jimdofree.com))より「京の霊場 京都名所案内図会・七所薬師」の項目を参照のこと。

・霊験(れいげん・れいけん)…神仏などの通力にあらわれる不思議な験(しるし)。祈願に対する霊妙な効験。利益。利生。
・廣隆寺=広隆寺(こうしゅうじ)…京都市右京区太秦(うずまさ)にある真言宗御室派の大本山。山号は蜂岡(ほうこう)山。推古天皇一一年(六〇三)秦河勝(はたのかわかつ)が創建。聖徳太子から下賜された仏像を安置。桂宮院本堂、阿彌陀如来坐像、千手観音立像、不空羂索観音立像、彌勒菩薩半跏像二体など国宝が多い。一〇月一〇日の牛祭は古来有名。蜂岡寺。太秦寺。太秦の太子堂。秦公寺(はたのきみでら)。秦寺。葛野寺(かどのでら)。〔日本国語大辞典〕
・法霊寺…上記「七所薬師」リンク先を参照のこと。

〈現代語訳〉
よくよく当寺の縁起を拝見するところすべての病いがことごとく除かれることを誓って薬師如来が立てた
願が実現しないで終わることなどなく仏が大きな慈悲の心で衆生の願いをすべて満たそうというその誓ひも頼
もしく思いますので十項目の不思議な
しるしを選んで(薬師如来の)十二大願の誓約になぞらえ
十分には描き尽くせない絵画で表現して体裁を
整えていることを恥ずかしく思うところである。そればかりでなく
各段に十二の解説を以てそれぞれ十二の筆跡を添えて
います。
そもそも(薬師如来は)七所薬師と申し上げて洛中洛外に利益
をほどこし山上山下に霊妙な効験をあらわ
しなさる。
第一に広隆寺。推古天皇の御代に聖徳太子
が建立し、秦河勝に天皇がお命じになってお姿の像を刻んで
安置し申し上げるとかいうことだ。今の太秦の薬師がこれである。
第二に延暦寺は桓武天皇の御代に伝教
大師の草創で、(根本)中堂の薬師如来のことである。
第三に法霊寺の本尊は聖武天皇の
御代に、行基菩薩の建立とかいうことだ。今の蓼
倉の薬師がこれである。
                                                                    〔「因幡堂縁起絵巻」(29)おわり〕

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