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【鳥取寺社縁起シリーズ】「因幡堂縁起絵巻」(6)

 【鳥取寺社縁起シリーズ】第二弾として、「因幡堂縁起絵巻」詞書部分の注釈・現代語訳をnoteで連載いたします(月1回予定)。 

 〔冒頭の写真は、鳥取県立博物館『はじまりの物語ー縁起絵巻に描かれた古の鳥取ー』の表紙(「因幡堂縁起絵巻」の一場面)です。〕 


■寺社縁起本文・注釈・現代語訳 

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 本文(翻刻)は、『企画展 はじまりの物語ー縁起絵巻に描かれた古の鳥取ー』〔鳥取県立博物館/2008年10月4日〕の巻末「鳥取県関係寺社縁起史料集」のものを使用しています。

  ※「因幡堂縁起絵巻」の概要は第1回をご覧ください。

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【 第四段(17行目まで) 】

〈本文(翻刻)〉
其夜あけにけれは加留の津といふ所にたつね
行て九十有余の老男安大夫と云ける者にうら
の由来をとわれけるに大夫答云いにしへは浦の
家数百間軒をならへて福貴の所にて候けるか高
しほあかりておひたたしきかりしを始として日々夜々
たか塩あかる間浦人こらへすして家々を山の上に
ひきてあかりかなた此方にしまい候間それより浦
あれはて候也又高しほあかる時はきみの御悩にたらせ
給候とて其御祈に八幡へ御神拝候けるに勅使
に山陰道に君をなやまし奉る悪魔あるこれを
ほろほして御脳をやすめまいらせんとの御霊告
あらたにましまして則大菩薩の神勅に任て武内
大臣むかはせ給ける時因幡伯耆のさかいにて悪魔
の在所をしらす此はたの手のなひかん方へ向はむとて
幡を打たてて守給けるに幡の手この國へなひく間
當國へ入てうちまはり高しほのあかる所を見いだし
てここを守護してましますあひた其後は高しほあからす

→其の夜明けにければ加留*の津といふ所にたづね
行きて九十有余の老男安大夫と云ひける者に浦
の由来問われけるに大夫答へて云はく「いにしへは浦の
家数百間*軒をならべて福貴*の所にて候ひけるが高
潮あがりておびただしきかりし※1を始めとして日々夜々
高潮あがる間*浦人こらへずして家々を山の上に
ひきてあがり彼方此方に住まい候間それより浦
荒れ果て候なり。また高潮あがる時は君の御悩*にたらせ※2
給ひ候ふとて其の御祈に八幡へ御神拝候ひけるに勅使
に「山陰道に君をなやまし奉る悪魔ある。これを
滅ぼして御悩をやすめまいらせん」との御霊告
あらたにましまして則ち大菩薩の神勅に任せて武内
大臣向かはせ給ける時因幡伯耆の境にて悪魔
の在所を知らず。「此れ幡の手のなびかん方へ向かはむ」とて
幡*を打ちたてて守り*給ひけるに幡の手この國へなびく間
當國へ入りてうちまはり高潮のあがる所を見いだし
てここを守護してましますあひだ其の後は高潮あがらず。

※1テキストの本文(翻刻)は「おひたたしきかりし」となっているが、それでは意味が通じない。絵巻本体の写真を確認し、「き」の文字はなく、「おひたたしかりし」ではないかと推測した。
※2テキストの本文(翻刻)は「御悩にたらせ」となっているが、それでは意味が通じない。絵巻本体の写真を確認してみたところ、テキストで「に(尓)」「た(多)」「ら(良)」と読まれた(訓じられた)字の判別が特に自分にとっては難しく、語義や文脈より「御悩つかせ」ではないかと推測したものの、確信は持てない。

〈注釈(語の意味)〉
*賀留…賀露。
*間(けん)…家を数える語。
*福貴…(1)富むこと。財産が豊かなこと。(2)豊かで富んでいること。好景気。物資が豊富で流通がさかんなこと。〔日本国語大辞典〕
*間(あいだ)…(接続詞的に)…ゆえ。…から。…ので。源
*御悩(ごのう)…貴人の病気の尊敬語。おんなやみ。
*幡(はた)…色のついた布に字や模様をかいてたらしたはた。ひらひらとひるがえるのぼり。〔漢字源〕
*守る…目を離さずに見る。見詰める。見守る。
 ※特に記載がない場合は『広辞苑』による。

〈現代語訳〉
その夜が明けたので賀留の津という所に行って
九十あまりの老男である安大夫と名乗った者を訪ねて浦
の由来を問われたところ大夫が答へて言うことには「昔は浦の
家が数百棟も建て込んだ豊かな所でございましたが、高
潮があがって大変だったのを始めとして、日々夜々
高潮があがるので浦の人々は耐え切れずに家々を山の上に
引き上げてそこかしこに住むようになり、それから浦は
荒れ果てたのです。また、高潮があがる時は帝がご病気に
なるのですというので、そのご回復を祈念して八幡様へ参拝したところ勅使
に「山陰道に帝をご病気で苦しめ申し上げる悪魔がいる。これを
滅ぼしてご病気から解放してさしあげよう」との御霊告
が新たにおありになって、そのまま大菩薩の神勅に従って武内
大臣を向かわせなさる時に因幡と伯耆の境で悪魔
の在所が(いずれの国か)わからなかった。(武内大臣は)「よし、幡の先のなびく方へ向かおう」と言って
幡を打ち立てて見守りなさると幡の先がこの国へとなびいたので
当国(因幡)へ入ってあちこち巡って、高潮のあがる所を見つけ
てここを守護なさったため、その後は高潮があがらなかった。
                   〔「因幡堂縁起絵巻」(6)おわり〕

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