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【『逃げ上手の若君』全力応援!】㊽足利学校での「忍」養成や時行が泰家と京都へ…は大胆な演出ながら、天狗が新田義貞を勢いづけたのはホントだった!?

 南北朝時代を楽しむ会の会員の間でも話題騒然の週刊少年ジャンプ新連載『逃げ上手の若君』ーー主人公が北条時行、メインキャラクターに諏訪頼重! 私は松井優征先生の慧眼(けいがん=物事をよく見抜くすぐれた眼力。鋭い洞察力。)に初回から度肝を抜かれました。
 鎌倉時代末期から南北朝時代というのは、これまでの支配体制や価値観が崩壊し、旧時代と新時代のせめぎあいの中で、人々がそれぞれに生き方の模索を生きながらにしていた時代だと思います。死をも恐れぬ潔さをよしとした武士が〝逃げる〟という選択をすることの意義とは……?
〔以下の本文は、2022年2月6日に某小説投稿サイトに投稿した作品です。〕


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 天狗の出現で諏訪に激震が走るーー『逃げ上手の若君』第48話は、史実に対して少年漫画ならではの解釈と設定がなされ、手に汗握る展開でした。

 諏訪頼重は「足利配下の天狗面」についてこう語ります。

 足利学校という古くから続く教育機関があり そこに腕利きのしのびを養成する部署があるとの噂だ

 〝「足利学校」なら日本史で勉強したから覚えてる!〟という方も多いのではないかと思います。それゆえに、〝漫画とはいえ足利学校で「腕利きの忍を養成」していたなんて「噂」でとどめておくしかないよなあ〟と、この部分はそんな感覚で読まれているのかな、などと想像しました。

 足利学校
 栃木県足利市にある中世髄いつの学校施設
 起源は不明であるが、足利義兼の創建説が有力。1439年上杉憲実(のりざね)が再興し、領田と書籍を寄贈し学規を定め、円覚寺より僧快元を庠主(しょうしゅ)(校長)とした。東日本の学問の中心で、儒教・兵法・医学などを教授した。『イエズス会士日本通信』に「坂東の大学」と書かれたことで知られている。1903(明治36)年何足利学校遺跡図書館が開設されて現在に至っている。
〔日本史辞典〕
 ※足利義兼…平安時代末期、鎌倉時代初期の武士。源義家の曾孫。源頼朝に属して平氏討伐、奥州藤原氏討伐に従軍。

 上記によれば、足利学校では当時のオーソドックスな学問である「儒教」の他、「兵法」や「医学」も学べたとあります。松井優征先生の前作『暗殺教室』では、かつて伝説の殺し屋であった「殺せんせー」があらゆる学問や技術を習得していました。そうであれば、足利学校内で特に有能であった者が、忍として密かに養成されていたのではないかという可能性の部分が、頼重の口から「噂」という言葉になって出てきたことも生きてきますね。

 また、そのあとにはこのような解説が続きます。

 文献上最初の「忍」を使ったのは… 足利家執事高師直である

 これについては、風間玄蕃が登場しての第14話(玄蕃と時行が綸旨を盗み出した後、小笠原貞宗と市川助房が追って来た回)で「「忍者」の出現」について説明があった時に、私の本シリーズでも触れていますので、興味のある方はこちらをご覧ください。


 虚実が絶妙なバランスで作品に盛り込まれている中、今度は時行が郎党たちとともに泰家に率いられて京都へ向かうという……これまた驚きの展開!

 よく、〝史実と違うからダメ〟〝そんなのはありえない〟と、歴史を題材とした創作作品が強く非難されることがありますが、あくまでそれらはフィクションです。
 歴史研究そのものでさえ、時代の制限を受けることがある一方で、科学の発展や学問的手法の進歩によって、新しく解釈がなされていくのだということを聞きました。
 ましてや、創作作品が時代の価値観を受けた演出にならないはずがなく、むしろ、そうであるからこそ読者に訴えるものがあるのではないでしょうか。歴史上の人物たちも、現代を生きる私たちにわかる形で、彼らの目的や思いが少しでも届いてくれた方が嬉しく思うのではないか……ふとそんなことを考えたりもするのです。

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 今回は、鎌倉を直接攻め滅ぼした新田義貞も初めて作品に登場しました。色黒の体育会系な感じで、義貞が好きな私には納得のキャラでした(ちょっと怖い顔ですが、尊氏や師直のような負のオーラは発してません(笑))。
 そして、鎌倉攻めという一大事において「天狗」が現れたという、冒頭からなんじゃそりゃ?の展開なのですが……これだけが実際、第48話中では現代の少年漫画ならではの設定ではなく、古典『太平記』に記されている内容だったりします(作品中の解説にある通り、「作り話」だったとしても、松井先生が作ったわけではないということです)。

 実は私、地元で開催された歴史講座でこの新田義貞挙兵の場面の担当になり、あれこれと時間をかけて調べました。その全てを紹介するのは本シリーズの趣旨から外れるのでしませんが、『逃げ上手の若君』と関連しそうな部分をいくつかお話したいと思います。
 まず最初に、この場面の古典『太平記』におけるあらすじを以下に示します。

 新田義貞が鎌倉攻めの兵を挙げたいきさつについては、本シリーズの第11回で触れていますので、興味のある方はこちらをご覧ください。


【思いがけない加勢の出現】
 旗上げの夕方に、利根川の方角から二千騎あまりの兵が走り来った。敵かと思って見ると、越後国の里見、鳥山、田中、大井田、羽川といった新田の一族であった。

【一人の山伏が触れ回ったことを知らされる義貞】
 義貞はおおいに喜んだが、「前々から旗揚げを考えてはいたが、わけあってこの日となったので告げる間もなかったのに、どうして知ったのですか」と(疑問を)口にした。大井田経隆は「知らずに出兵などできません。去る五日にお使いと称して山伏が一人、越後の国中を一日のうちに告げ回ったため、(知ることができました。それゆえに、)昼夜兼行でこちらに参りました」という旨を答えた。大井田はさらに、上野国の外へ出陣されるつもりであれば、翌日には到着する遠隔地にいる者たちをしばらく待つようにと義貞に告げた。後続の越後の軍勢や甲斐・信濃の源氏である武田・小笠原・村上などの諸氏は、五千騎で小幡庄まで追い付いた。

【千寿王との合流でますますふくれあがる軍勢】
 「これは八幡大菩薩〔=源氏の氏神〕の加護によるものだ」という思いでわずかの時間も惜しんだ義貞は、九日のうちに武蔵国に入った。記五左衛門が足利高氏の嫡男である千寿王をお連れして、二百騎余りで駆け付けた後は、上野、下野、上総、下総、常陸、武蔵の兵が招集もかけないのに駆け付け、その日のうちに二十万騎となった。

 講座内でテキストとした『太平記』の本文では、義貞の越後の一族にその挙兵を知らせたのは「山伏一人やまぶしいちにん」だと記されていますが、題名は「天狗越後勢えちごぜいもよおす事」となっていました。
 別の系統の本では、「後にこれを案ずるに、天狗の所行しょぎょうにてぞありける」として、『太平記』の構想上(義貞の運命を象徴したり、導いたりする役割を、天狗に負わせているようです)、これから鎌倉を攻めるぞ!という真っただ中の語りで、〝ネタバレ〟のようなことをしています。
 不思議な存在の登場する物語や漫画が大好きな私は、〝山伏とか言ってるけど天狗なんですよね!?〟みたいに前のめりでいたところ、講師の先生や一緒に発表をした老紳士に、〝当時の山伏は天狗って言われてたんですよ〟とか〝山伏はみんな同じ格好をしているから「一人」と見られたのではないかと思います〟などと、実にまっとうなお答えをいただきました(笑)。

【天狗とは?】
 …天上や深山に住むという妖怪。山の神の霊威を母胎とし、怨霊、御霊など浮遊霊の信仰を合わせ、また、修験者に仮託して幻影を具体化したもの。山伏姿で、顔が赤く、鼻が高く、翼があって、手足の爪が長く、金剛杖・太刀・うちわをもち、神通力があり、飛行自在という。〔日本国語大辞典〕

 やはりそうなんですね……とがっかりしたのもつかの間、谷口雄太氏の「新田義貞――運命を決めた三つの選択」〔『南北朝武将列伝 南朝編』〕より、興味深い指摘を発見しました。

 上野国の足利一門岩松氏に対して、名越高家の戦死を受けて反乱軍に加担した尊氏より北条高時追討命令が届けられた。五月上旬の前後には、尊氏は義貞へ、千寿王とともに幕府軍と戦うよう催促・命令している。西国の尊氏から東国の足利庶流たちへ、続々と蹶起指令が届けられた。
 ※庶流…本家から分かれた家柄。分家。別家。

 谷口氏によると、新田氏も足利庶流であり、引用中の岩松氏同様、尊氏の命を受ける立場にあったと述べています(古典『太平記』では対等なライバル関係のように物語が展開しているのですが、そうではないということでした)。
 岩松氏と言えば、皆さんお気づきになりましたか。第48話で、新田義貞が越後の一族より天狗の話を聞かされて、「…なんと奇妙な事があるものだ」と言って「?」となっているコマの彼の後ろに、関東庇番ひさしばんの岩松経家がいるんです! ーー松井先生、芸が細かい!!

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 足利尊氏から岩松氏に「名越高家の戦死を受けて反乱軍に加担した尊氏より北条高時追討命令が届けられ」たというのは、もちろん尊氏本人ではなく、「足利配下の天狗面」の仕事であり、義貞に対して「千寿王とともに幕府軍と戦うよう催促・命令している」というのは、嫡男である「千寿王」を自身の名代みょうだいとしてるということを意味しているのです。
 ※名代…人の代わりに立つこと。代理。また、その人。

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 歴史学は事実を積み上げる学問であり、もちろん空想やトンデモであってはいけません。
 しかしながら、創作作品は違います。そして、違う中でも『逃げ上手の若君』には、リアリティとフィクションがその境界がどこにあるのかわからず存在して、我々を作品世界に引き込む魅力に満ちてあふれていると私は常々思っています。

〔亀田俊和・生駒孝臣編『南北朝武将列伝 南朝編』、日本古典文学全集『太平記』(小学館)を参照しています。〕 


 私が所属している「南北朝時代を楽しむ会」では、時行の生きた時代のことを、仲間と〝楽しく〟学ぶことができます!


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