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【『逃げ上手の若君』全力応援!】⑨正統派武士・小笠原貞宗VS頭脳派神官・諏訪頼重、時行の成長を促す

 南北朝時代を楽しむ会の会員の間でも話題騒然の週刊少年ジャンプ新連載『逃げ上手の若君』ーー主人公が北条時行、メインキャラクターに諏訪頼重! 私は松井優征先生の慧眼(けいがん=物事をよく見抜くすぐれた眼力。鋭い洞察力。)に初回から度肝を抜かれました。
 鎌倉時代末期から南北朝時代というのは、これまでの支配体制や価値観が崩壊し、旧時代と新時代のせめぎあいの中で、人々がそれぞれに生き方の模索を生きながらにしていた時代だと思います。死をも恐れぬ潔さをよしとした武士が〝逃げる〟という選択をすることの意義とは……?
〔以下の本文は、2021年3月28日に某小説投稿サイトに投稿した作品です。〕

 諏訪頼重を挑発したつもりが、逆に周到に準備されていた頼重のトラップにはめられた小笠原貞宗。しかしながら、後醍醐天皇にも認められた武芸と身体能力で時行を追い詰めた貞宗に、頼重推しの私も思わず〝やばっ、かっこいい!〟と身震いしてしまいました。

 『逃げ上手の若君』第9話は、これまでも私がこのシリーズで、諏訪氏と小笠原氏とでは得意分野や価値観が違うということを述べてきたそれが、よくわかる展開であったと感じました。
 今回は、当時の思想などを参考にして、両氏について考察してみたいと思います。

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 教科書や問題集などで採用されていることも多い『今昔物語集』の「源頼信朝臣《みなもとのよりのぶのあそん》の男《をのこ》頼義《よりよし》、馬盗人《うまぬすびと》を射殺せる語《こと》」において、武芸を極めた先にある身体性のシンクロニシティの境地を知ることができます。

 源頼信が東国産の名馬を手に入れ、馬を京の自邸まで部下に護送させました。ーーこの名馬がほしかったのは、頼信だけではありませんでした。

 一人は馬泥棒。もう一人は、頼信の息子の頼義でした。

 馬泥棒は護送中の強奪を狙いましたが、警備が厳重でとうとう京までついて来てしまいました。
 一方の息子の頼義は、いち早く父が名馬を手に入れた情報をつかみ、どしゃ降りをものともせず父のもとを訪れます。父・頼信は、普段は寄り付かない息子・頼義の訪問にその意図を見抜き、届いた馬を明日の朝に見分するから、気に入ったらお前にやると述べました。

 事件は、その夜に起こります。
 大雨に紛れて、例の馬泥棒が馬を盗み出して逃走を図ります。馬泥棒もプロ、ずっと隙を伺っていたのです。
 異変に気付いた頼信は、飛び起きるやいなや、やなぐい(矢を入れる武具)を取り、とりあえずそこにあった鞍《くら》(牛馬の背に置く道具)を置いて、馬にまたがってそのまま関所のある逢坂山に向かいます。
 頼義は、頼信に遅れたものの異変を察し、父と同じようにして逢坂山へ馬を駆りました。

 雨も止み、馬をいちだんと速く走らせ、頼信は逢坂山に到着します。一方の馬泥棒は、すっかり逃げ切ったと思い込み、盗んだ馬にまたがってパチャパチャと水音をさせて進んでいました。
 頼信はそれを聞き逃しませんでした。そして、暗がりの中を突然、「射よ、あれだ!」と叫んだのです。
 矢が放たれる音が響き、その矢が何かに命中したのがわかりました。
 頼信は「馬泥棒は射落とした。取り返して来い」というと、その場を引き上げました。邸に戻った頼信は、まだ夜は明けてなかったので、そのまま寝室に入り、横になって眠りました。
 その後しばらくして、取り戻した馬を引いて頼義が戻り、やはり父と同じように寝室に入って眠ってしまいました。

 夜が明けました。頼信は頼義を呼び、部下に命じて例の名馬を連れてこさせました。頼義は噂通りのその名馬を見て「それでは約束通り頂戴します」と言って受け取ります。ーーその馬には立派な鞍が置いてありました。

 父は頼信がすぐにも後を追ってくることを信じて、頼信は父が自分より先に馬泥棒を負っていることを疑わず、お互いに何も語らずとも、驚くべき連係プレーがなしとげられたのです。物語の語り手は「兵《つはもの》の心ばへはかくある」、つまり、「武人の心がまえとはこういうものであった」と述べます

 参考とした『ビギナーズ・クラシックス日本の古典 今昔物語集』の編集者の解説には、このようにあります。

 つわものの共通認識は、殺戮を第一の仕事とするという点にある。この一点で、つわものは、貴人とも一般人とも、明確に一線を画した。彼らは、日常の絶えざる武技の錬磨を通じて、「つわものの心ばへ」を体得していく。

 武士たるものは、武技をもって部下を制する力量がなくてはならない。そうした時代の武士の精神は、後世の武士道に比べると、驚くほど現実的で、柔軟かつ強靭である。

 ※「後世の武士道」とは、「江戸時代の公務員化した侍《さむらい》」の「体系化された武士道」と解説者はとらえています。また、「軍神といわれた八幡太郎義家は、頼義の長男、頼信の孫」であり、「鎌倉幕府を開いた頼朝も、この義信父子の直系の子孫」にあたり、「頼朝をたんに英明な政治家と評価する」のは誤りで、「弓矢にかけては百発百中の腕前」の「武士の鑑《かがみ》」であるとしています。今回の『解説上手の若君』の弓の説明と合わせて、おおいに納得できるところがあります。

 現代に引き継がれる、弓術、馬術、武家礼式の代表的流派「小笠原流」は貞宗が大成したということですが、貞宗と小笠原氏の武士としての強さは、武技を極めた先にある、『今昔物語集』の源頼信・頼義父子のようなあり方ではないかと思われました。

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 一方の諏訪頼重ですが、「それ接待用に調教した犬です」と「今回の犬は諏訪大社よりすぐりの逃げ上手達」に大爆笑でした。
 前回、頼重が時行に何かひそひそ話をしていたのはこれだったのかとわかります。ーー確かに、弧次郎くんや亜也子ちゃんの言うとおり、策もなく時行を貞宗にあてたりしたら、「諏訪終わるよ」ですよね……。

 頼重の最大の武器は「神力で未来が拾える」ことであるのですが、果たして、「現人神《あらひとがみ》」である頼重のそれだけが、諏訪氏の強さなのでしょうか。

 ここで思い出してほしいのは、『太平記』の諏訪盛高の鎌倉脱出の場面です。この私のシリーズの前回でもこう記しました。

 古典『太平記』での諏訪盛高の鎌倉脱出では、時行の母たち女の口から事が露見することをおそれた盛高は偽りを言ったのですが、よく瞬時に判断したなと、この場面を何度読んでもぞくっとします。

 先の見えない時代を生きるための能力というのは〝未来を予測する力〟だということが、昨今言われています。期せずして私は、頼重と諏訪氏に対して「頭脳派」という言葉を用いたのですが、「頭脳」とは「識別力。判断力。思考力。」〔広辞苑〕を意味します。
 とあるサブカルチャーの評論家が、未来を読むには過去を知ることが重要であると述べていました(過去の事象から未来(起こりうる事態)を類推するということですね)。それには勉強してくださいとしか言えない……ということでした。
 『太平記』の盛高は、女たちを安心させるためにとる自分の行動が将来引き起こすであろう事態と、時行を匿い抜くために必要なことや障害となることを瞬時に予測して、偽りを言うことこそが事を成し遂げる可能性の高い行為であると判断し、行動したのです。

 「神力」がなくとも〝未来を予測する力〟を持つことが諏訪氏の能力である可能性は高いのです。だったら、小笠原氏みたいに足利尊氏を選べばいいじゃないか!? と思いますよね。
 ところが、諏訪氏というのは、自分たちの嫌なものは徹底して拒否!といった意固地さがあるのではないかと見ています(そこが魅力とも言えるのですが……。その両者の不思議なバランスについては、諏訪一族の末裔から伺ったいくつかのエピソードがあるのですが、それはまたの機会にしたいと思います)。

 よって、『逃げ上手の若君』の頼重は、犬の調教については神力など使わずとも、必要があるから行っていただけなのかもしれません。そして、それを利用して、盛高同様に短い時間で頼重もまた、時行が貞宗に勝てる道筋を引いてみせたのだとしたらどうでしょうか。

 犬の話題でもうひとつ。吉田兼好の『徒然草』には、興味深いことが記されています(『ビギナーズ・クラシックス日本の古典 徒然草』の現代語訳から引用します)。

 家畜として飼育してよいのは馬と牛である。小屋につないで束縛するのはかわいそうだが、人間の生活に不可欠のものだから、どうしようもない。犬は、家を外敵から守り防ぐ働きが人間よりも優れているので、わざわざ、いい犬を探してまで飼う必要はないだろう。これら、牛・馬・犬以外の鳥や獣は、すべて生活には必要のないものだ。
 飼う段になると、走る獣は檻に閉じこめられ錠をかけられ、また、飛ぶ鳥は翅《つばさ》を切られ籠に入れられる。鳥が空を飛び回りたいと願い、獣が野山を駆けめぐりたいと思う悲しみは、いつまでも尽きる時がない。そうした鳥・獣の苦しみを、我が身に引き受けて耐えがたく思うようならば、情愛の深い人の場合、それらを飼って楽しむだろうか。まずありえない。

 第8話で、頼重は見えない誰かに向かって動物虐待の弁明をして震えていますが、当時の人たちに生き物を慈しむ気持ちがなかったわけではないのです。物としてその珍奇さを愛玩することの愚かさを、兼好は説いています。

 現代でも、犬は人間より優れた能力(主に嗅覚ですが)を用いて、人間の生活のサポートのために働いています。調べてみたら、こんなにもその種類がありました。

 盲導犬、聴導犬、介助犬、警察犬、災害救助犬、牧羊犬、セラピードッグ、猟犬、害獣駆除犬……

 さらに犬は、コミュニケーション能力が高く、その点でも人間よりすぐれた面があるということを聞いたことがあります。

 鹿肉と引き換えに、自分たちの能力を必要とする人間のお役に立てるのであればと、悠々と諏訪大社で働き暮らしている犬たちがいたなんて想像してみると面白いですよね。そう考えると、頼重が犬たちを調教していたのは、未来先取りの秀逸な行動だととらえられなくもありません。

 やはり松井先生の作品は奥が深いです。

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 今回の考察で、一定の型の先にある調和を重んじる小笠原氏と、形のない混沌としたものの扱いに長けた諏訪氏とでは、やはりあまりにも方向性が違い過ぎて、お互い理解し合えない部分が多かったのではないのか、という印象を新たにしました(あ、でも、どう考えても小笠原氏や他の一族が、諏訪氏に対して〝何考えてるんだ、アイツら……〟と思うことの方が自然だというのは認めます。とはいえ、再確認しますが、諏訪氏の属性は「神官」であることをお忘れなく……)。
 「堅苦しい礼儀作法のことを俗に小笠原流という」〔広辞苑〕とあるのを見て、〝ああ、それ、わかるわ……苦手〟と思う、やっぱり諏訪推しの私であります。

〔ビギナーズ・クラシックス日本の古典『今昔物語集』『徒然草』(角川ソフィア文庫)を参照しています。〕

 私が所属している「南北朝時代を楽しむ会」では、時行の生きた時代のことを、仲間と〝楽しく〟学ぶことができます!



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