【『逃げ上手の若君』全力応援!】(136)地酒は飲んでも器と菓子は譲らない北畠顕家の本心とは? 奥州武士を統治した「器量」ゆえに変わってしまったその運命……(「チ✕コキン」な五平さんがふざけていないことも考察します!)
『新古今』とは『新古今和歌集』の略称で、北畠顕家にしたら、和歌はかなりハードルを下げての話題提供だったのかもしれません。……にもかかわらず、知らないどころか、後鳥羽上皇(昨年の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』のラスボスですね)の勅撰和歌集を「チ×コキン」と称すとは、……奥州武士の描かれ方が振り切っていていいと思います!
※勅撰(ちょくせん)…勅命〔=天皇の命令〕によって詩歌・文章を撰すること。
新古今和歌集 (しんこきんわかしゅう)
第八番目の勅撰和歌集。二十巻。一二〇一年(建仁元)の後鳥羽上皇の院宣(いんぜん)によって、源通具(みちとも)・藤原有家(ありいえ)・藤原定家・藤原家隆(いえたか)・藤原雅経(まさつね)らが撰した。寂蓮(じゃくれん)も撰者の一人であったが、成立前に没した。後鳥羽院自らの加除・切継ぎの改訂も行われたが、一二〇五年(元久二)約千九百八十首の歌集として一応成立した。短歌だけで、初句切れ・三句切れ・体言止めの歌が多く、『源氏物語』や『伊勢物語』を背景に取り入れる手法や、古歌を踏まえた本歌取りの技法などの修辞的技法が最大限に駆使されて、重層性のある繊細・微妙な世界を創り出している。また、藤原俊成の幽玄、その子定家の有心(うしん)という美的理念に裏付けられた、象徴的・絵画的・幻想的・感覚的な歌も多く、芸術至上主義の極致ともいうべき歌集となっている。『古今和歌集』に範を取った、各部立てごとの複雑・微妙な和歌の配列も一層の洗練を示し、歌集全体としての統一の美をかたちづくっている。〔小学館 全文全訳古語辞典〕
ちなみに、古代の日本語のサ行の「さ・し・す・せ・そ」の発音はシャ・シィ・シュ・シェ・ショ、あるいは、チャ・チィ・チュ・チェ・チョにみたいな音だったという説もあります。古い言葉や発音は、京都から遠く離れた地に残るという柳田国男の有名な「方言周圏論」にもあるように、五平さんが「京ことばではきっと「シ」が「チ」なんだ!」と言ったのも、彼が北畠顕家の言葉をしっかり聞いて分析したゆえかもしれません。だから「さすが五平 奧州一の博学じゃ!」も、決して茶化しているわけではない可能性があります。
そして、「米に唾を混ぜて造った地酒です」とあるのは、映画『君の名は。』で話題となった「口噛み酒」ですね!
日本酒の起源!巫女がお米を噛んで造る「口噛み酒」とは?
〔日本酒をもっと知りたくなるWEBメディア SAKETIMES〕
上記によると、口噛み酒の起源はなんと弥生時代だということです。私が大学生の時に、上代文学(「上代」とは、特に文学史の時代区分で一般には奈良時代を指します)の先生が〝作り手は若くて美人限定〟と言っていたのを思い出します。いずれにせよ、とっくの昔に京では製法の変わっていたお酒も、言葉と同様に奥州の地には残っていたということでしょう。
『逃げ上手の若君』第136話は、京から来たハイ・スペック貴公子の北畠顕家が、その粗野で後進の地から逃げ帰るでもなく、人々を毛嫌いして見下すのでもなく、真に誇り高く、彼らとともにあろうとしたことに胸を打たれました。
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「そうですなぁ… 礼儀正しい方や博識な方には… 奥州武士は尊敬を抱きません」
態度の悪い南部と違い、また、伊達よりも年長者ゆえか、結城が顕家を諭すように指南する姿は悪くないですね。「癖」さえなければと思うのですが、「奴らはただ 強いものに者にのみ従います」というのが事実であれば、宗広の「癖」もまた、奥州の雄たる者としてのひとつのあり方だったのかもしれません(ただし、地獄に堕ちます)。
それにしても、結城の言うことを即座に理解して実行に移すことができた顕家の胆力と武力こそが、父・親房が見抜いていた顕家の「将才」に違いありません。まるで学級崩壊の教室ような、奥州武士集団とそのボス格の南部までもが一瞬にして付き従ってしまうという……(目がハートになった美女通訳さんも奥州の人なのですね(笑))。
加えてもうひとつ、顕家が将の「器量」であると感じる点があります。
「奴らにも家族や仲間がいる以上 情があり善悪があり誇りがあった」
奥州の地には、京とは違う秩序があるだけだという事実に気づき、「いいや慣れる」と言って彼らと同じ環境に身を置こうとしたことです。〝郷に入っては郷に従え〟ということですが、「将」である顕家は、彼らと立場を同じにすることはできないので、酒を「入れる器は唐物の絶品」でないとならないとしたのです。
「茶と菓子だけは京の高級品だ」というのは、嗜好品の中でも顕家が本当に好きな物だったからなのかもしれません。後醍醐天皇の皇子の一人である懐良(かねよし・かねなが)親王は、顕家よりももっと幼くして征西大将軍に任じられて京の地を離れます。親王は菊池氏に擁され、後には九州統一を成し遂げます。熊本県の菊池市には今でも、懐良親王が京よりもたらしたという伝承とともに、八つ橋をさらに薄く焼いたような「松風(まつかぜ)」という上品なお菓子が存在します。
オバちゃんの私も、子どもの頃に食べておいしいと思ったお菓子が今でも好きです(もう売っていない昭和のお菓子などを、時々懐かしく思い出したりもします)。ーー顕家も懐良親王も、お菓子とともに、子どもだった日々と京を懐かしんだのかもしれませんね。
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「帝のご政策は… 奥州の実情に即しておられません」
「帝には畏れ多くて言えませんが… これではいずれ地方の武士は帝にそっぽを向くでしょう」
伊達や結城がこのように、顕家には本心を語るまでの信頼関係を築いた奥州での五年間。顕家の意志もまた、彼らと一体となったのがわかります。
「汝らの声を余が天下に届けてやる」
ただ、私にはそれが、先に湊川で散った楠木正成の姿と重なって見えもするのです。
以前、南朝の武将は全員大好きという男性が〝後醍醐天皇は最悪の上司だ〟と言っていたのを思い出します。また、南北朝時代を楽しむ会で仲の良い会員さんたちと話をしていて、〝日本史上の有名人で誰の部下になりたいか・なりたくないか〟という話題になり、〝なりたくない〟の中にはやはり後醍醐天皇がランクインしました。
父に「汝は一人でも… 北の夷どもを纏める器量を身につけよ」と期待され、それを見事成し遂げたことが、顕家の運命を変えてしまったという見方もできます。
ちなみに、顕家のもとに呼ばれた逃若党と徳寿丸が遊んでいる双六は、第2話(「鬼ごっこ1333」)で登場した頼重の双六では!? ーー「あとそれだいぶ未来の双六じゃない?」と、時行が疑問に思っているアレですね。
「才能が無駄に散る事の無い新しい世に!」
この時、顕家にはどのような未来が見えていたのでしょうか。時行は「顕家卿には何の意味も無い時間」と考えていますが、「兵法や舞を教え込まれたり」することに、本当に〝意味はない〟のでしょうか。
〔参考とした辞書・事典類は記事の中で示しています。〕
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