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【鳥取寺社縁起シリーズ】「因幡堂縁起絵巻」(13)

 【鳥取寺社縁起シリーズ】第二弾として、「因幡堂縁起絵巻」詞書部分の注釈・現代語訳をnoteで連載いたします(月1回予定)。

 〔冒頭の写真は、鳥取県立博物館『はじまりの物語ー縁起絵巻に描かれた古の鳥取ー』の表紙(「因幡堂縁起絵巻」の一場面)です。〕


■寺社縁起本文・注釈・現代語訳

__________________________________  本文(翻刻)は、『企画展 はじまりの物語ー縁起絵巻に描かれた古の鳥取ー』〔鳥取県立博物館/2008年10月4日〕の巻末「鳥取県関係寺社縁起史料集」のものを使用しています。

 ※「因幡堂縁起絵巻」の概要は第1回をご覧ください。

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【 第九段 】
そののち國にととめ給御光御座の御むかひ※に
貴僧あまた下向の處に國の人々申やう御本尊
をこそ失まいらせめ御光御座をは進する事候
ましと強におしむあひた力なくむなしくかへり
のほりぬ其後かの薬師寺を山の上へ引上て
御堂を大に造立し座光院と名つけて本
佛のことく如来を作まいらせて御座に立申
たりけれは御座より下へ飛をりて別にたち給へる
奇特なりし御事也誠にかたしけなく釈尊の
御自作三國相承の生身の如来の御座に
はいかてか末代凡作の佛は佛と申なからのほらせ
給へき尤ありかたき事そ人々申侍ける
※「むかへ」の転。

→その後、國にとどめ給ふ御光の御迎ひに
貴僧あまた下向の處に國の人々申やう「御本尊
をこそ失ひまいらせめ。御光・御座をば進ずる事候
まじ」と強かに惜しむあひだ力なくむなしく帰り
上りぬ。その後、かの薬師寺*を山の上へ引き上げて
御堂を大いに造立し座光院*と名付けて本
佛のごとく如来を作りまいらせて御座に立て申し
たりければ御座より下へ飛び下りて別に立ち給へる。
奇特なりし御事なり。本当に恐れ多く釈尊の
奇特な出来事であった。誠にかたじけなく釈尊の
御自作三國相承*の生身*の如来の御座に
はいかでか末代凡作の佛は佛と申しながら上らせ
給べき。尤もありがたき事ぞ人々申し侍りける。

〈注釈(語の意味)〉
*かの薬師寺…海底より引き上げた仏像ために建てられたお堂を行平が薬師寺と名づけた。詳しくは(8)を参照のこと。

*座光院…鳥取市の座光寺(天台宗)に因幡薬師が本尊であった伝承が残る。

*三國相承(さんごくそうじょう)=三国伝来…《仏教語》インドから中国または朝鮮に伝わり、さらに日本に伝わってきたこと。〔例文 仏教語大辞典〕
*生身(しょうじん)の如来=生身の仏…《仏教語》仏・菩薩がかりにこの世に現れた化身。その化身の仏。〔例文 仏教語大辞典〕
 ※特に記載がない場合は『広辞苑』による。

〈現代語訳〉
その後、国にお残しになった光背と台座のお迎えに
身分の高い僧がたくさん下向したが国の人々が申すことには「御本尊
とはお別れ申し上げるのでしょう。光背と台座を進上することは
できかねます」と強く別れを惜しんだため(貴僧たちは)力及ばず事をなしとげることなく帰
洛した。その後、(国の人々は)例の薬師寺を山の上へ引き上げて
御堂を大々的に造立し座光院と名付けて本
仏のように如来を作りお申し上げて御座に立て申し上げ
ていたところ御座より(薬師如来が)下へ飛び下りて別の場所にお立ちになっている。釈尊の
御自作で三国を伝来してこの世に化身として現れたその仏像の御座に
はどうして仏とは申し上げながらも末代の平凡な仏像を(御座に)お上げ
になることがあってよいだろうか(いや、そんなことはできない)。いかにも尊いことだと人々は申しました。
                  〔「因幡堂縁起絵巻」(13)おわり〕

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