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【『逃げ上手の若君』全力応援!】(85)両極端の不気味さ・今川範満と上杉憲顕…吹雪の活躍が期待されながらも、先はまったく読めない混沌たる小手指ヶ原

 南北朝時代を楽しむ会の会員の間でも話題騒然の週刊少年ジャンプ新連載『逃げ上手の若君』ーー主人公が北条時行、メインキャラクターに諏訪頼重! 私は松井優征先生の慧眼(けいがん=物事をよく見抜くすぐれた眼力。鋭い洞察力。)に初回から度肝を抜かれました。 鎌倉時代末期から南北朝時代というのは、これまでの支配体制や価値観が崩壊し、旧時代と新時代のせめぎあいの中で、人々がそれぞれに生き方の模索を生きながらにしていた時代だと思います。死をも恐れぬ潔さをよしとした武士が〝逃げる〟という選択をすることの意義とは……?〔以下の本文は、2022年11月11日に某小説投稿サイトに投稿した作品です。〕


 「馬が馬に乗ってやがる!!

 笑うところではないのかもしれませんが、保科党の皆さんのおっしゃるとおりです。今川範満、ひらがなの発話が不気味過ぎです。ヤバイとは思っていましたが、想像を超えていた『逃げ上手の若君』第85話。
 彼の武器である「異常な形の巨大な大薙刀」ってこれ、モーターか何か付いているのでしょうか。このあと上杉憲顕が「人造武士」を出撃させているのを見て、もしかして今川範満も憲顕の「作品」だったりして…と思ってしまいました(ただ、関東庇番初登場時、憲顕は孫二郎と二人して今川範満には距離を置いている感じだったので、違うのかなとも思います)。
 一方はいわば獣人、一方はマッドサイエンティストという両極端な存在なのですが、お互いに自分のしたいことのためにお互いを利用している感があり、忌まわしき組み合わせです。

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 ここで、小手指ヶ原について確認しておきたいと思います。

小手指原(こてさしはら)
 狭山丘陵の北に広がっていた原野。現所沢市北野きたのの北部から現狭山市・入間いるま市の南部辺りまでを含む。小手差原・籠手指原とも記される。北西から南東へと原を横切り狭山丘陵を越えて鎌倉街道の一本が通り、また東方を鎌倉街道上道の本道と目される道が通ることから、鎌倉末期から南北朝期にかけてしばしば合戦場となった。
 元弘三年(一三三三)五月八日、上野国新田につた庄で挙兵した新田義貞の軍勢は鎌倉を目指して鎌倉街道を南下、同月一一日小手指原で鎌倉幕府軍と激戦に及び、翌日幕府軍を破って分倍河原ぶばいがわら(現東京都府中市)へと進んだ(「太平記」巻一〇新田義貞謀叛事付天狗催越後勢事)。建武二年(一三三五)七月には諏訪頼重らに擁立され北条高時の遺子時行が挙兵、鎌倉攻略のため武蔵国へ入り女影おなかげ原(現日高市)で足利直義軍と対戦(梅松論)、小手指原でも合戦があった(難太平記)。
〔日本歴史地名大系〕

 所沢市(埼玉県)の公式ホームページでも写真付きで紹介されていました。

小手指ヶ原古戦場(こてさしがはらこせんじょう)
https://www.city.tokorozawa.saitama.jp/iitokoro/enjoy/kids/shokai/meisyokyuseki/kotesashigaharakosenjouato.html

 一番有名なのはやはり、先週の第84話でも北条泰家が回想していた新田義貞と鎌倉幕府軍との戦いですが、歴史上も、また、時行の生涯の中でも、小手指ヶ原は重要な地となります。

 ちなみに、「会戦」という語がありましたが、辞書に示された用例を見ると、近世末期から近代に入ってから使われ出した語のようです(語自体は、古代の中国の兵法書『孫子』での用例があります)。

会戦(かいせん)
 双方の軍が出会って、戦うこと。一定地域に大兵力を集結して行なう大規模かつ決定的な戦闘。
〔日本国語大辞典〕

 古典文学中では、「打込(うちこみ)の軍(いくさ)」という「大勢が一団となって敵中に突入して戦うもの。総がかり。」〔日本国語大辞典〕という語が近いのかなと思いました。敵味方が入り乱れる状態になるというので、戦況はまさに、作品中に何度か使われてる「混沌」という語がふさわしいのだと思います。

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明かされた悪党・腐乱と足利学校との関係に吹雪の顔が曇る

 『逃げ上手の若君』における上杉憲顕のキャラクターもなかなかにつかみどころがありませんが、史実においても彼は「毀誉褒貶の多かった人物で波乱にとんだ生涯であった」〔日本中世史辞典〕とあり、調子に乗って紹介しているうちに、気づけば今後の展開のネタバレとなるのではないかと危惧されるほどです。
 公家出身であることは本人の口から何度も告げられていますが、「東国における上杉氏は始祖重房が、六代征夷大将軍として鎌倉に下向した宗尊親王(在位一一五二ー六六)に随従して、丹波上杉庄より鎌倉に定住したのに始まる。関東では足利氏と縁を重ねて、その地歩を固めていった。」〔日本中世史辞典〕ということです。足利尊氏・直義兄弟の母が上杉氏出身で、憲顕は彼らと従兄弟であるのは前回のこのシリーズでも触れています。

 憲顕は上杉氏の宗家となって、今もそのご子孫が健在ということを聞いたことがあります。小笠原氏について調べた時と同じような、生き延び上手の家という印象です。
 ※宗家…本家。

 憲顕の祖父の代に再興…というか、「天狗」(足利家のスパイ)養成施設として運営されるようになった「足利学校」(第48話参照)と、これまた懐かしい「腐乱」(悪党だった頃の瘴奸の手下。コミックス第3巻参照)の両者には何らかのつながりがあるとしても、それを知った吹雪の顔が曇るというのは、一体どういうことなのでしょうか。

 確かに、吹雪はすっかり逃若党の軍師におさまっていますが、出自も何も謎だらけの登場人物です。腐乱のモノマネや異常なまでの大食いでごまかされ(?)て、何度もあやうくその事実を忘れてしまうところだったのですが…(とはいえ、モノマネも上手とは意外でした)。
 もしかして、旧足利学校の関係者なのか、足利学校で家族の誰かがひどい目にあっているとか、私は凡人なのでそのくらいしか想像できませんが、時行に従う気になったのは大事なヒントなのかもしれません。
 いずれにせよ、憲顕の放つ「人造武士」と戦いつつ(孫二郎もそばにいて仇討ちに燃えています…)、不規則的に襲撃してくる「うま」をかわして、吹雪の心を救う必要にも迫られた時行。ーー小手指ヶ原は、頭脳も心理もまさに「打込の軍」状態です。

〔阿部猛・佐藤和彦編集『日本中世史事典』(朝倉書店)、日本古典文学全集『太平記』(小学館)を参照しています。〕


 いつも記事を読んでくださっている皆さま、ありがとうございます。興味がございましたら、「逃げ若を撫でる会」においでください! 次回は来年1月12日(木)開催予定です。
  ※詳細は追ってnoteにてお知らせいたします。

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