【『逃げ上手の若君』全力応援!】(84)上杉憲顕と足利直義は似ている? 長尾…どこかで聞き覚えが? 今川範満出陣って、え?……どのキャラクターの小ネタにもファン目線でつっこみたい!?
「あんな単独行動毎回されたら私が心労で死にまする!」--久々に出ました、諏訪頼重のインチキ顔!! 時行と弧次郎が自由に動けるように裏で糸を引いていたのに、相変わらずの曲者ぶりにどこか安心してしまった『逃げ上手の若君』第84話。
祢津頼直に対してもちょっとドヤっている頼重ですが、諏訪氏の十八番であろう洞察力をもってすれば、子ども同士の相性を見るなんてちょろいといったところでしょうか。しかしながら、次の瞬間には庇番衆を思い出して真顔になります。ーー渋川義季が「若さゆえの頑迷」、岩松経家が「強欲」、石塔範家が「妄信」、そして斯波孫二郎が「無遠慮」(←彼をこの一言で表したのには目からウロコでした…)として彼らの本性を再確認しながら思い起こされる庇番衆の表情はいずれも不敵です。
※頑迷(がんめい)…かたくなで正しい判断ができないこと。
ところが、同じ庇番衆(孫二郎除く)を思い出している望月重信はというと、彼らを「一騎当千」と言いながらも、浮かび上がるその表情には若干の認知の歪みが感じられます(笑)。
第84話は、そうした小ネタがふんだんに盛り込まれていて、キャラクターによっては史実との絶妙なブレンドがあり、ファン目線でそれらをひとつひとつ拾っていきたいと思います。
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「渋川殿は貴方の義弟! 岩松殿も石塔殿も貴方を慕っていた! 何か思う所はないんですか!?」
このシリーズの前回で私が疑問に思ったことをよくぞ言ってくれました、孫二郎くん! しかし直義は表情一つ変えず、孫二郎に対して上杉憲顕に「帯同し補佐せよ」と命じます。そして向かった憲顕の館で孫二郎またまたブチ切れ!
「直義様だけじゃなく…上杉殿まで」「同胞が三人も殺されたのにこんな遊びに興じて!」
憲顕は、これまでの松井先生の作品で必ず登場して、作品のダークサイドの役割を担ってきた、マッドサイエンティスト枠のキャラクターのようですね(とはいえ、「良素材来た!」の目がハートで妙にかわいいのですが…)。しかしまあ、直義同様にどうも三人の死に対して冷淡な印象はぬぐえません。
そんなことを考えつつ、本編を読んだ後に『解説上手の若君』に目を通して〝あ!〟と気づきました。これらの部分です。
「鎌倉時代中期、足利泰氏は、正室として北条(名越)朝時の娘を迎えました。」
「ふたりの間には家氏と兼氏が生まれました。」
「足利氏は家氏に斯波家を、兼氏には渋川家を立てさせ、幕府直属の御家人とし、足利一門の中でも格の高い家として厚遇したのです。」
つまり、孫二郎と義季のご先祖様は同じ母親の兄弟同士だったこと、そしてその母親とは北条の女性だったということです。
足利氏は代々、正室を北条氏から迎えていたということですが、足利尊氏と直義の兄弟の母は上杉氏の出身です。そして、上杉憲顕は尊氏・直義の従兄弟にあたります。
孫二郎と義季とが主従や仲間の絆を大事にする熱い思いを抱いている点で似ているに対して、直義と憲顕がそうしたものに対して冷ややかな感じが似ているのは、松井先生がわざとそう描き分けているのかもしれません(う~ん、流石です)。
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さて、上杉憲顕が「好素材」と言って喜んでいる長尾景忠ですが、「長尾」という名前には聞き覚えがあります。このシリーズの第77回で、祢津〝小〟次郎のエピソードを紹介したのですが、その彼と一緒に足利尊氏を狙ったのが「上杉民部大輔憲顕が兵の長尾弾正忠(弾正)」でした。彼が景忠なのかが私にはわからなかったのですが、「長尾」なのは確かです。
長尾氏(ながおうじ)
南北朝時代から戦国時代にかけ、上杉氏の家宰・守護代などとして関東を中心に活躍した豪族。家系は高望王 (たかもちおう) の子良文 (よしぶみ) の系統で桓武平氏 (かんむへいし) 。鎌倉権五郎景正 (かまくらごんごろうかげまさ) の孫にあたる景行 (かげゆき) が長尾氏を称したといい、相模国 (さがみのくに) 鎌倉郡長尾郷(横浜市栄 (さかえ) 区長尾台付近)を本拠としている。鎌倉時代における長尾氏は、初め三浦氏の被官で、三浦氏の失脚後に上杉氏の被官となったとみられる。長尾氏の活動が顕著になるのは、南北朝時代初期に長尾景忠 (かげただ) が上杉憲顕 (のりあき) に仕え、越後 (えちご) ・上野 (こうずけ) 両国の守護代となってからで、その一族は関東・越後に分布した。〔日本大百科全書(ニッポニカ)〕
孫二郎が「鎌倉幕府で勢力争いに負け」と言っているのは、1247年の宝治合戦のことで、上記の引用中の「三浦氏の失脚」のことを指すようです。
※宝治合戦(ほうじかっせん)…宝治元年三浦泰村が執権北条時頼と鎌倉で行った合戦。三浦氏が敗北して北条氏の独裁体制が成立。
松井先生の手にかかると、こんな奇想天外な形で二人は出会うんですね。
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さて、最後は小手指ヶ原で待ち受ける今川範満です。
小手指ヶ原を「なっつ」と回想している泰家ですが、「二年前」の戦いについては本シリーズの第67回で紹介しています。
また、範満の出陣が直義の危機感をよく表しているというので、前回はその詳しい内容には触れないでいたのですが、「足利一門・今川範満は 馬の鞍に足をしばりつけて出陣したという」「「病」を患っていたというのが理由だそうだが」という説明がそれに相当します。
この部分、鈴木由美氏の『中先代の乱』にはこのように記されています。
範満としては、死に場所を求めて、自らの武名を挙げるためでもあっただろう。しかし別の見方をすれば、自分で馬に乗っていられないほどの重病人の出陣を止める余裕もないほど、直義方は追い詰められていたのである。
確かに、「ふらふら」と「ヨロ…」けて「ハアハア」している範満は「病」のようでもあります。しかし、第72話では馬肉を山盛りで食べてますし、馬と同化して「馬頭鬼」となっている範満はヤバイ感満載です(確かにある意味では「病」なのかも…)。
松井先生による庇番衆の解釈は本当に大胆で、これぞ少年漫画な南北朝時代!!と大興奮の私です。
ちなみに、範満の着物の柄は馬のひづめ、鎧に描かれた図は馬の象形文字だと思います。ーー本当に一体何者なんでしょう、この男は。馬の被り物の下の素顔は見られるのかも気になるところです。
〔阿部猛・佐藤和彦編集『日本中世史事典』(朝倉書店)、鈴木由美『中先代の乱』(中公新書)、日本古典文学全集『太平記』(小学館)、ビギナーズ・クラシックス日本の古典『太平記』(角川ソフィア文庫)を参照しています。〕
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