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自選評論・随筆集

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気になる社会現象について、毎日の生活における小さな気づきから論じた記事を、多くは匿名で自身が展開する媒体(メルマガ・ブログ・SNS等)から選んでまとめています。
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2020年10月の記事一覧

忘れないこと、祈ることの意味(2020年3月11日SNS)

【 写真は2020年3月11日「午後2時46分過ぎに大きな虹 東日本大震災9年(神戸新聞NEXT)から引用しました。】  災害が多すぎて忘れてしまいそうになりますが、上皇陛下はつねに被災地に思いを馳せてほしいとおっしゃっています。  私は、東日本大震災の次の年の職員研修で、三陸鉄道の社員の方からその日のお話、復興の様子などを伺い、三陸鉄道ファンクラブに入って微々たるものながらずっとエールを送ってきています(まだ三陸鉄道には乗れてないのですが……)。  今ある当たり前の日

共鳴・共感・共同――私たちが授かった能力(2020年4月3日ブログ・2020年4月5日SNS)

【 写真は三年前2月の鳥取市内での降雪の様子です。】  定刻での出勤のなくなった私ですので、朝は外に出ることにしました。今日は昨日より遅めになりました。  「社畜」だった自分には知らなかった昼間の世界が地域社会にはあることを感じました。  ご高齢の方が多いな、保育士さんは感染リスクを負って小さな子どもたちの面倒をみているんだな、公園に出て子どもと一緒にいるお父さんお母さんは仕事休んでるのかな、マスク入荷ないと貼り紙あるのに開店前のこの店の行列はなんのためかな……などなど

学校教育では何を教えるのか?(2019年9月1日ブログ)

 この度、地方のある学校の先生方と交流を持つ機会に恵まれました。その学校では学習と部活動との文武両道を掲げており、日に焼けた生徒さんたちは、学校で用意した補習や9月始まってすぐの学園祭の準備などもあって、夏休み中いえどもたくさん登校していました。  この学校訪問の前には東京で私学展がありました。その時に感じたことがよみがえりました。  ーーどの学校も、みんな同じに見えるには私だけなのかな。ーー  地方は遅れているだけという言い方をするのは簡単だし、正しいのかもしれません

成功法則の罠――「マス」の時代の終焉と「自己責任」の本当の意味(2020年10月7日メルマガ)

 先日、実家に帰って両親とTVを見ていたのですが、はたと気づいたことがあったのでシェアしたいと思いました。  現在、指導を受けてファスティングを実施しています。その取り組みの中で知った「腸内フローラ」という用語を冠した番組が始まった時に、こと不健康な食生活をしている父に見るように言ったのですが、“まったくわからない” “結局何が言いたいんだ” とイライラしだしたのです。  ※腸内フローラ……詳しく知りたい方のためにひとつリンクを貼っておきますが、これがベストの解説というわ

情報を盗む、盗まれる――本当に「痛い」のはどっち?(2020年9月28日メルマガ)

 継続してある方のブログを読んでいたのですが、久しぶりにページを訪れたところ、ブログが有料になっていました。  なんだ、結局金儲け主義だったのか……と思いがっかりしたのですが、後日あらためてnoteで展開している記事を確認したところ、有料のものばかりでないことに気づきました。そのうちのひとつに、ブログの記事を有料にした理由が述べられていました。  なんと、記事を剽窃(ひょうせつ)していた人がいたということだったのです。その人はわざわざメルマガの読者登録までして、その情報も

私にとっての「グローバル」とは?(2020年9月12日SNS)

 ふとしたことでいつもはしまいっぱなしのパスポートを取り出す用があり、去年の9月は仕事でシアトルに2週間いたことを思い出しました。  そうそう海外出張のある仕事でもなかったし(それでも911テロ前に韓国には仕事で1回だけ行きました)、社畜だった私は海外に旅行に行くような時間的余裕も気力もなくていての初のアメリカは、行く前まで緊張し通しでした。  しかしながら、慣れない英語でも気持ちが通じ合うことができ、遠く離れた土地で普通に暮らす人たちの生活を垣間見ることで、世界の人たちと平

10代の頃に学校で勉強したことを思い出す(2020年8月9日SNS)

 私の10代の頃は、今でこそ「団塊ジュニア」という言葉もあるけれども、何事もライバルが多くて脱落しないことで必死でした。競争も当たり前。  しかし、人生も折り返し地点まで来て、個々の人生の内実と価値は本人にしかわからないと強く感じるようになりました。  一方で、私たち世代は激しい競争の中で引きこもりの一期生を生んだ世代でもあり、この歳になってやっと、そうした立場の人にも思いを致すことができるようになった我が身を口惜しくも思います。  コロナで社会が従来の価値観を否応なく否定す

私は「アフターコロナ」とか陳腐な言葉は使わない(2020年5月27日メルマガ)

 緊急事態宣言が首都圏でも解除されました。  「新しい生活様式」なんていうのも出されていますが、私たちは誰もそれを経験していません。  しかし、歴史に学ぶことはできます。  かつて私たちのように、これまでの価値観や社会の仕組みが崩壊し、新しい時代に生きることを余儀なくされた人たちは、皆その日々を必死で生きていたのだと思います。時には流され後悔したりという人もあったでしょうし、失敗も経験する中でささやかな楽しみや幸せを見つけ、それらをかみしめながら、適応していったのだと考