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私は「アフターコロナ」とか陳腐な言葉は使わない(2020年5月27日メルマガ)

 緊急事態宣言が首都圏でも解除されました。

 「新しい生活様式」なんていうのも出されていますが、私たちは誰もそれを経験していません。

 しかし、歴史に学ぶことはできます。

 かつて私たちのように、これまでの価値観や社会の仕組みが崩壊し、新しい時代に生きることを余儀なくされた人たちは、皆その日々を必死で生きていたのだと思います。時には流され後悔したりという人もあったでしょうし、失敗も経験する中でささやかな楽しみや幸せを見つけ、それらをかみしめながら、適応していったのだと考えています。

 私たちが真摯に日々に向き合い、それを積み重ねる以外に、それがどんな生活様式なのかという答えはないのです。

 「アフターコロナ」という言葉で片づける気もしません。私は14歳の時に古典文法に興味を覚えてから、ずっと言葉について学んできました。40歳を前にして、興味はありながらも専門的には取り組めなかった思想(倫理学)も学ぶことができ、安易な言葉やスタイルにのっかって流されるものかという思いを今、新たにしています。

 (そういう意味では、プレゼン重視の安直な学校現場における新しい教育には危機感を覚えています。スポーツや芸術も基礎と練習が重要で、すべての学びもそうであるはずなのに、軽視されすぎです。どうかお子さんのある方は、主体性を持ってご家庭での教育に当たってほしいと思っています。)

 だから、メルマガもブログもYouTubeもSNSも、縁のある人にメッセージが伝わればいいと腹をくくりました。もし私のしていることが間違えでなければ、「時機」と言いますが、その時がくればそのようになると信じています。

 今日なぜか突然に、教員になって最初の最初に授業で受け持った生徒たちのことを思い出しました。正直、勉強の苦手な子、やんちゃな子も多い学校でしたが、生徒たちの見る目は確かだったと思います。

 "生徒の顔色伺わずに先生のしたい授業をしたほうがいい。"

 授業アンケートにそう書いていた生徒がいたのを、はっと、思い出したのです。

 世の中は、YouTubeでチャンネル登録者を増やせ、SNSでフォロワーを増やせ、それがコロナでやばいことになったところで儲ける方法だ!……みたいにあおっているような風潮があります。だから、こういうタイトルを付けて、こういう内容で……ちょっとそこのアナタ、古典なんかやったって誰も見てくれないですよ、こうしたら年収ン千万は軽いですよ、勝ち組だね……って。

 でも、違うんです。私はそんな生き方の家系ではなさそうです。メジャーで華やかな、胡散臭くもある世界に憧れて、そこに進んでしまおうと思うと、DNAが違和感でうずうずします(最初の学校を離れて以来ずっと、自分はその類の脅しや甘言に惑わされてきましたよ。馬鹿ですね)。

 他にもいろいろ、緊急事態宣言明けを前にして気づいたことがありました。それについては、私の過激で毒舌な一面も出てしまうかもしれませんが、順番につづっていこうかなと思っています。

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