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学校教育では何を教えるのか?(2019年9月1日ブログ)

 この度、地方のある学校の先生方と交流を持つ機会に恵まれました。その学校では学習と部活動との文武両道を掲げており、日に焼けた生徒さんたちは、学校で用意した補習や9月始まってすぐの学園祭の準備などもあって、夏休み中いえどもたくさん登校していました。

 この学校訪問の前には東京で私学展がありました。その時に感じたことがよみがえりました。

 ーーどの学校も、みんな同じに見えるには私だけなのかな。ーー

 地方は遅れているだけという言い方をするのは簡単だし、正しいのかもしれません。ある土岐、同僚の先生が「教育だけは(100年以上)変わっていない」と言っていた言葉は、私もそう思います。

 先日、長く株式の市場分析に関わってきた方とお話することがありました。私は「今後、経済の仕組みそのものが変わることはないでしょうか?」などと不躾に質問してしまいましたが、真摯に答えてくださいました。
「わからない」と。
(「教育だけは変わっていない」という話をした先生も、以前やはり教育のこれからは「わからない」と言っていました。)

 私は、AIの教育分野における有用性を認める立場にあります(古典専攻にしては珍しいと言われます)。教科指導もAIの方が優れているだろうとすら思っています。

 では、AI社会の中で、学校や教員の役割は何かという疑問にぶち当たります。AIが同じことをできれば学校も教員も不要です。先に紹介した、長く市場分析に関わってきた方が、先日メールをくださいました(余談ですが、株式は数字を相手にしているだけのものではありません。時代の流れにとても敏感であることが必須です)。

 自分は、小中高校と、先生方にがんばったことをほめられたり、本気で怒られたりしたことを忘れていないし、それで今の自分があることを感じているという内容でした。

 ーー私は現在、学校という組織に属し切るにはあまりに特殊な経歴を持ってしまったため、微妙な立ち位置にあります。目の前の何かに没入し切れない状況にあるため、毎日「わからない」ことだらけです。

〔原題「みんな同じに見えてきて……」〕

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