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情報を盗む、盗まれる――本当に「痛い」のはどっち?(2020年9月28日メルマガ)

 継続してある方のブログを読んでいたのですが、久しぶりにページを訪れたところ、ブログが有料になっていました。

 なんだ、結局金儲け主義だったのか……と思いがっかりしたのですが、後日あらためてnoteで展開している記事を確認したところ、有料のものばかりでないことに気づきました。そのうちのひとつに、ブログの記事を有料にした理由が述べられていました。

 なんと、記事を剽窃(ひょうせつ)していた人がいたということだったのです。その人はわざわざメルマガの読者登録までして、その情報も使用していたというのです。

 ※剽窃…他人の詩歌・文章などの文句または説を盗み取って、自分のものとして発表すること。

 剽窃していた人はフォロワーも相当数いるということです。記事にはそこまで記してはありませんでしたが、何のためにそこまでしていたかは想像に難くありません。

 驚きました。

 私は今では、納得してその方の記事を有料で読ませていただいています。先のブログ以上にしっかりと文章を練って書かれているのもわかりましたので、私はますますその方のことを好きになり、誠実さに信頼を寄せています。

 ちなみに、剽窃をするような人たちは、お金を出してまで “情報” を得ようとはしないらしいです。その人たちと私とは、“読む” 行為によって何を得たいのかが異なっていることがよくわかりました。

 ずるい行為(正直、犯罪行為)だという点で、剽窃した人を許せない気持ちはもちろんですが、私としてはもうひとつ、考え込んでしまったことがあります。ーー情報を受け取る人たちへの影響です。剽窃する人たちは、自分に都合の良い情報だけを選んで、あるいは、自分ではよく理解し得てない情報を、他人に無責任に与えている可能性が高いからです。

 話は変わりますが、私が7、8年続けている古典・国語教育のブログで、同じ記事ばかり読まれていることが前々から気になっていました。それらの多くは、教科書に載っている文章の分析や解説です。そのブログは教員向けで展開していますので教員もですが、もしかしたら中・高校生が、参考にしているだけならばいいけれども、“まるパクリ” していたらどうしよう……と思うようになりました。

 自分の文章を “パクられる” のももちろん嫌なのですが、それ以上に、読んだ人自身で考えたり学んだりするきっかけにしてほしくて書いた記事が、意図しているところと違う使われ方をしていたとしたら、まったくもって不本意なことです(そちらのブログの記事をどうしようか今、思案中です)。

 情報を発信する側として剽窃行為をしないのはもちろんのこと、“防御” も考えなければいけないのですが、しかし今回のことをきっかけに、発信するよりも受信する側である時の方が、“防御” が困難であることを思い知らされました。

 現代の情報環境を考えれば、コピペのリスクは当然のものとして考えるしかないのですが、Web上で得られる情報の中には、そうして構成された記事や番組もあるということを忘れてはならないということですね。

 (今さら……って読者の方も多いと思います。すみません。私はどこか肝心なところが抜けていると、家族やごく身近にいる人たちからはよく言われます)。

 同じような内容であっても、いろいろな人の、場合によって何度も同じ人の同じ記事を読んで、どの人物が信じるに値するかと絞り込んでいったことの意味は、ここにもあったのだと思い至りました。無意識にしていたことです(研究の手法です)が、時間をかける意味があったのです。

 (最終的に絞り込んだ人たちの記事は、重要と思われる部分(書かれているテーマにおける本質的な部分)で、表現や語彙が違っても、同じようなことが書かれていたのです。)

 また、ブログ等の剽窃ということで少し調べてみたところ、何のために、どの媒体を利用して、どんな人に対して、どんな情報を提供するのか……というところを誤ると、“バズる” という状況が同時に “アンチ” や “炎上” も呼び寄せるのだとありました。

 ※バズる…YouTubeやTwitterやSNS上で、多くの人に取り上げられた状況を表す用語。短期間で爆発的に話題が広がった場合に使用されることが多い。

 怖い……(まあ、私のYouTubeやSNSがバズることはないと思いますが(笑))。

 私は何のためにブログを書いて、メルマガも書いて、YouTubeもして、SNSもしているのか? ――確かに、その目的がブレていた時は、読者(視聴者)数とかではなく、私の情報発信はダメダメでした(もちろん、今も模索を続けているのですが……)。

 媒体にそれぞれ特長があるので(自分の発信したい情報をどのような形で “魅せる” かについて、うまくできている人の方法を時には参考にして(←これは剽窃ではありません!))、それに合わせて自分なりの基準で使い分けはしていますが、縁のある人が見つけてほしいという気持ちでいます。

 私の発信している情報は文字数も多いですし、重いし、ややマニアックなので、それらをすべて読んで(視聴して)刺さるものがあるか、そうでなくても、そのよくわからない重さに対して、真剣に自分の問題に向き合ってくれそうだとピンときてくれる方が来てくださればいいと思っています。

 YouTubeでも、再生回数を上げるには “これ” といった話題やキーワードがあるらしいです。楽をしたい人が多いから、そういうのに食らいついているなあという印象がある……とおっしゃった方がいました。

 不要で不当な困難や障害に耐える必要はないと思いますが、努力のない人生などないと思います。Web上で(多くはタダで)得られる情報ひとつを例にとっても、自分にとって必要で信用に足るものなのかを見極めたり、受け取ったものをそのまま自分の意見としていいのか考えたりするといったところから、すでに努力は必要だという事実でおわかりいただけたと思います。

〔原題「なんで有料になっちゃったの? ああ、そういう理由だったんだ。」〕


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