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私にとっての「グローバル」とは?(2020年9月12日SNS)


 ふとしたことでいつもはしまいっぱなしのパスポートを取り出す用があり、去年の9月は仕事でシアトルに2週間いたことを思い出しました。
 そうそう海外出張のある仕事でもなかったし(それでも911テロ前に韓国には仕事で1回だけ行きました)、社畜だった私は海外に旅行に行くような時間的余裕も気力もなくていての初のアメリカは、行く前まで緊張し通しでした。
 しかしながら、慣れない英語でも気持ちが通じ合うことができ、遠く離れた土地で普通に暮らす人たちの生活を垣間見ることで、世界の人たちと平和を望むことの意義が実感として湧き起こる経験となりました。
 COVID-19で世界はその頃とはまったく様相を変えてしましました。親切にしてくれたシアトルの人たちはどうしているのかと思います。極東の島国のひとりの人間が、遠く離れた国の人たちを思うことを、私は意味のない行為とは思いません。
 最近また古典文学をじっくり読む機会に恵まれ、祈ることの重要性、誰かが誰かを思う気持ちの強さを信じています。

〔原題「去年の今頃はアメリカにいた……」〕

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