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何でもない人がnoteはじめました。

はじめまして。

何無人(カブト)と申します。

noteを始めてみようと思ったのは、熱しやすく冷めやすくぶり返しやすい私の瞬間的な熱量を、記録しようと思ったからです。

この自己紹介を書く前に上げている記事に「イケメン役者育成ゲーム A3!」に関する考察があります。その記事を自己紹介より先に上げてしまうということ自体が私という人間を表す最たるもので、一時的に興味の対象にガッと一点集中してしまう癖があります。その興味の対象は、アニメ・マンガ、お笑い、YouTube、スキンケア、コスメ、料理、猫、芸術、仕事、人、人生、歴史、政治、宗教など一貫性がありません。これらが変わりばんこに思考対象としてめまぐるしく入れ替わるのです。

私のようなタイプの人間は、一芸を極めるような生き方はできません。何かのスペシャリストにはなれないタイプです。私自身のプロフィールはまさにそんな感じで、中途半端さに我ながら呆れます。

  • 属性は「オタク」だが対応ジャンルが狭く、本編にしか興味がない

  • シングルマザー家庭育ちだが父親ともそこそこ会う

  • 美大出身だが今は事務職

  • うつ病・軽度の摂食障害経験はあるがなんとなく治った

  • 猫好きだが20年来の飼い猫が死んでしまってから未だに飼えない

  • メイクは好きだが今はほとんど在宅で毎日すっぴん

圧倒的中途半端…
圧倒的「But」な人生…
「○○のスペシャリストです!」と名乗って書けることが何もない…

中学生の頃から「○○主義」とか「○○派」とか、そういうものに憧れがありました。これと決めた信念に基づいて意見を主張できたり、信じた「正しさ」を生き方に反映できる人に比べて、自分はなんて根無し草なんだろう。そういうものを人生で見つけられれば、迷うことも少なく、悩みも減るのではないか。そんなふうに思っていました。

けれど、今になって思うことは、たった一つの原理原則に従っていられるほど世界も感情も単純ではなかったし、「正しさ」を求めることに意味はないということでした。何かを「正しい」とすることは何かを「間違い」だと断定することでもあり、それはそのものの持つ多面性を見落とします。そんな理屈っぽいことを考えなくても、「好き」は「正しい」も「間違い」も凌駕します。(懐かしのBLゲーム「好きなものは好きだからしょうがない!!」は、プレイしたことないですが秀逸なタイトルだと思います)

前述の考察のように、ジャンルを絞ることも考えましたが見事に1年近くほったらかしました。(その間もずっとA3!は好きなのですが、寝ても覚めてもそのことを考えている時期には周期があるのです)
現状Twitterのアカウントはnoteに連携させていないですが、私のアクティブアカウントはYoutubeを楽しむ用のアカウントとA3!を楽しむ用のアカウントがあります。Twitterはジャンルを絞って情報収集をしやすくするツールとして使っていますが、やはり浮気性の私は時期によって低浮上になりがちです。その点、noteは文字数制限がないので話題があっちこっちに行っても許されそうだし、アカウントと話題が紐づいていなくても「厚み」「深み」と捉えてもらえそうだなという気がしました。

広く浅くでも「好き」のカケラの集合体が自分であり、それらについてあれこれ考える時間が私の趣味なんだな、と思ったとき私の「好き」に何か形を与えたいと思いました。何かのスペシャリストでなくても、公益性はなくても、その思考を残しておくことは自分にとって何かの意味を持つかもしれない。極めて個人的な動機ではありますが、「好き」をテーマにnoteをちゃんと始めてみようと思い至ったのです。

そんなわけで、「なんでもない人」という意味でありながら中二病バリバリな字面の名前を自分自身に冠していろんなことを自分勝手に書いていければと考えております。よろしくお願いいたします。


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