愛川欽也、あるいは芸能界のパイオニア(2015)
愛川欣也、あるいは芸能界のパイオニア
Saven Satow
Apr. 23, 2015
「おまっとさんでした」。
愛川欣也
今から10年ほど前の話です。批評家佐藤清文が新宿御苑に用があり、荻窪から丸ノ内線に乗っていると、目の前の座席に前期高齢者の3人娘が座っています。彼女たちは前日のテレ東の午後ロードで放映された『雨に唄えば』の話題で盛り上がっています。そのうち、キンキンが吹き替えを担当した主演男優に議論が移ります。ところが、名前がなかなか出てきません。キンキンはわかるのです。でも、誰の声を当てているのかが思い浮かびません。
佐藤清文は吊革につかまり、興味深そうに彼女たちを眺めています。彼も、前日、その映画を見ています。偶然、真ん中に座っている眼鏡の女性の目が彼と合い、こう尋ねます。「誰でしたっけ?」
「ジーン・ケリー」と彼が微笑みながら返すと、「そうよ!そうよ!」とかつての乙女たちは記憶を蘇らせてはしゃぎ始めます。地下鉄が新宿御苑に着いてしまったので、彼がそれ以上見ることができなかったのは残念です。
2015年4月15日に急逝したキンキンが最初に社会に知られるようになったのは声の俳優としてでしょう。『おはよう!こどもショー』でロバくんの着ぐるみに入り、演技と声を担当しています。また、先のジーン・ケリーを始め外国映画の吹き替えや『いなかっぺ大将』のニャンコ先生に代表されるアニメの声優も務めています。
キンキン自身にとっては声の仕事は必ずしも本意ではなかったでしょう。当時、声の役者は市民権を得ていたとは言えません。俳優としても芽がなかなか出ないので受けた仕事です。
けれども、早咲きしなかったことがキンキンを生み出したと言えます。メーンストリームで芽が出なかったので、新たな領域を開拓せざるを得ません。キンキンがすごしたのち、その領域は市民権を獲得したり、新たなモデルやキャリアコースになったりしています。キンキンは芸能界のパイオニアであり、その点で不世出です。
着ぐるみのマスコット・キャラクターはイベントやエンターテインメントには今や欠かせません。それどころか、地域振興に活用され、ゆるキャラ・ブームに発展、飽和状態でさえあります。今ではビートたけしを始め着ぐるみを嬉々とぢて着用するタレントも少なくありません。
声優に関しては、今さら言うまでもないでしょう。かつては俳優が務めていましたが、注目度が上がり、山寺宏一のように、声の演技のみの声優も活躍しています。
「キンキン」の愛称が生まれ、彼個人として社会的に認知されるようになったのはTBSラジオの『パックインミュージック』です。この深夜放送のパーソナリティで成功し、その後、テレビ番組の司会者に就き、マルチタレントとしてお茶の間でも知られる芸能人となります。こうしたキャリアはタモリや所ジョージ、ビートたけしなどいわゆる大物マルチタレントの出世コースです。
クイズや情報の番組でMCは座っているのが通常でしたが、『なるほど! ザ・ワールド』でキンキンは解答席の間を歩いて回っています。これは関口宏や明石家さんまなどに踏襲されています。また、クイズ番組の司会者は解答者を公平に扱うべきという暗黙の了解もキンキンは破っています。『なるほど』でアグネス・チャンを見え見えでひいきしています。
キンキンはさまざまな領域で活躍しましたが、一般の視聴者にとって最も印象に残っているのはMCとしての姿でしょう。何しろ、長寿番組が多いという司会者です。『出没! アド街ック天国』では20年間担当し、情報番組の世界最高齢MCとギネス記録を達成しています。
MCとして成功した理由の一つにはキンキンが主役と脇役の中間の位置づけで魅力を発揮するからです。『トラック野郎』のやもめのジョナサンや『西村京太郎トラベルミステリー』の亀さんなど俳優としての当たり役は準主役です。メーンの主役ではないけれど、脇役でもありません。横綱でも平幕でもなく、大関でしょう。群像とまではいきませんが、ある程度人数がいる中で存在感を出せるタイプです。
キンキンは決して控えめでも線が細くもありません。ダルマのような体形、きれいに撫でつけられた薄い髪、趣味のいいスーツにポケットチーフ、ハリのある柔らかな高音、リズミカルな口調、下町訛り、曲がったことが嫌い、おっちょこちょいで溢れる人情味など個性的です。ただ、清潔感があり、いつも楽しそうで、親しみやすさを感じさせます。
80年代からキンキンはテレビの風景に欠かせない存在となりますが、これは驚くべきことです。芸能界に定年はありません。でも、一世を風靡した芸能人であっても、時代とずれてくるものですから、いつの間にか画面から消えていきます。しかし、キンキンは80歳で亡くなる直前までMCとして番組を持っています。テレビにはいつもキンキンがいたというわけです。遅咲きでしたが、息の長さは驚異的です。
キンキンのMCのキャリアの中で最も興味深いのは討論番組『相川欣也パックイン・ジャーナル』です。娯楽性を持った社会派芸能人という特徴が現われています。政治家やジャーナリスト、文化人、専門家を招き、この一週間に話題になった政治的・経済的・社会的トピックを選び、議論する番組です。ここでキンキンは自らの戦争・戦後体験位基づき、反戦平和護憲の立場を明確に示しています。日本国憲法の本を常時持ちお歩いていると誇らしげに語っています。
放映していた朝日ニュースターの経営権の変更から同局での継続を断念、有料インターネットTVを開局して番組を続けています。率直に言って、CS時代の同番組内でメディアとしてのネットには懐疑的な意見を述べていましたから、この事業は本意ではなかったでしょう。
現在、デモクラTVという有料インターネットTV局が放送しています。これはキンキンの『パックイン・ジャーナル』の精神を引き継いだ局と言えます。実際、ここの出演者は、田岡俊次記者を始めかつて同番組に出ていた人たちが多く含まれています。
本人は千田是也からの影響と語っていますが、娯楽性のある社会派の側面は監督作品からもうかがい知れます。視点がいいのです。『黒駒勝蔵』は山本辰夫監督の『天狗党』や岡本喜八監督の『赤毛』など娯楽性と社会性を兼ね備えた幕末作品品と相通じます。なお、最初の監督作品『さよならモロッコ』はポスト植民地主義の観点からの評価が待たれていますし、今ではすっかり様変わりしたマラケシュのかつての風景を記録した史料としても貴重です。
芸能人の中には情報番組のコメンテーターとして感想や意見を口にするものももいます。けれども、政治的信条や立場を明らかにする人は稀です。大半の芸能人は、事務所の方針でもありますが、商業主義的理湯から不偏不党の態度をとり、政治的発言・行動を控えます。ただ、3・11や右傾化によって態度を改める芸能人も現われています。この点でも魁です。
有名人の夫婦像でもキンキンは開拓者です。従来、有名人同士が結婚すると、どちらかが一歩引いたり、生活についても積極的には語ったりしないものです。ところが、キンキン=ケロンパ夫妻は相思相愛であることを言葉や態度で大っぴらに示しています。これは戦後を感じさせ、渡辺徹=榊原郁恵夫妻やヒロミ=松本伊代夫妻などなどその後はこうした姿も見られるようになっています。二人が実際におしどり夫婦であることは、キンキンの人脈からわかります。そこにはケロンパを通じたものも少なくないのです。
夫婦仲もあり、キンキンは入院せず、人生の最期を住み慣れた自宅で迎えています。近年、QOLの尊重から在宅死の選択が注目されています。生のみならず、死の迎え方にもさまざまなありようがあるというわけです。本意であったかどうかはともかく、芸能人でこの迎え方が巷で話題になったほぼ初めてのケースです。キンキンによって在宅死の選択も今後さらに社会的に考えられていくでしょう。
いつも電波媒体に出ていたのですから、キンキンがいなくなるなど想像もできないことです。風景を構成していたと言えるでしょう。いるべきところにいるべき人がいないと知った時、その死を感じるものです。けれども、風景の変化は受け入れていくほかありません。
キンキンの死後、彼の功績が再発見されています。その開拓した領域の広さに驚かされます。パイオニアとして切り開いたものの中にはすでに定着したものもありますが、途上の課題もあります。遺産を引き継ぐのは後の世代です。
墨田区は、東京大空襲の日である3月10日に合わせて、1992年から平和メッセージ展を開催しています。キンキンは15通を寄せ、そのうち13通に「平和」が記されています。今年にもその語が見られます。肺がんとの闘病の中でキンキンが後世に託したメッセージだと受けとめるべきでしょう。「反戦は憲法を守ることです」。
〈了〉
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