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デフレとインフレ目標(2012)

デフレとインフレ目標
Saven Satow
Feb. 15, 2012

「経験はよい薬であるが、病気が治った後でしか手に入らない」。
ジャン・パウル『花・果実・家』

 2012年2月14日、デフレ克服を目的に、日銀がインフレ目標を設定する。案の定といったところだ。FRBが採用した時に、この路線を予想した人は少なくなかっただろう。

 愚かな松下政経塾内閣が日銀に圧力をかけ続ける。まさかインフレ目標でデフレ脱却ができると本気で信じていたら、相当おめでたいが、そうでなくても言い訳がいくらでも思い浮かぶ。FRBがインフレ目標を設定しているのだから、今まで通りだと円高も進んでしまうし、日銀が始めてもそう文句は出まい。逆に、もしとらずにデフレが進行したら、何を言われるかわからない。今回の日銀の決定にはそんな責任逃れの印象がある。

 インフレ・ターゲットは、本来、景気循環の対策である。確かに、採用している国はあるが、それはインフレ抑制が目的である。インフレ目標が景気対策やデフレ脱却に効果があることは実証されていない。エビデンスもないままで実施して、もし失敗したら、日銀への信頼は失墜する。バブル経済とその崩壊では、日銀は判断ミスを犯し、その権威を大いに落としている。その二の舞にもなりかねない。そうなれば、野田佳彦首相が政界を引退してすむ話ではない。

 日本が陥っているデフレの原因は資金不足ではない。確かに、企業に設備投資意欲が旺盛ながら、資金供給が追いついていない状況によってデフレが生じているのなら、金融緩和政策によって脱却は可能である。しかし、日銀が量的緩和を長年に亘って続けながらも、デフレが継続している。明らかに、国内の資金需要が飽和状態に達している。貨幣供給量を増やしても、デフレの克服はできない。むしろ、海外投資に流れる危険性が高い。金融政策だけではデフレから抜け出せない。

 デフレの他に、平成不況下で顕著だったのは、製造業の多くの分野で国際競争力が低落したことである。これは19世紀後半のイギリスの状況によく似ている。19世紀前半、「世界の向上」としてイギリスは、アメリカや大陸ヨーロッパに対して工業力の圧倒的な比較優位を持っている。だが、後半には追いつかれ、また電気や石油といった新たな産業への移行もうまくできず、苦境に陥る。投資家も国内よりも利益率の高い植民地や国外に目を向ける。全世界の海外投資の総額の半分をイギリス一国で占めているほどだ。

 他方、安い輸入品が英国市場に流れこんだため、物価が下がり、労働者の生活水準は他国よりも恵まれている。イギリスは、工業の国際競争力の回復をできずに、シティに経済成長を託すことになる。しかし、第一次世界大戦後にポンドも弱体化、以降、イギリスは国力低下の道をたどっていく。

 現在、日本も貿易立国と言うより、投資立国の方が現状をよく言い表している。けれども、脱産業化を進めていくことは、イギリスの例を見るまでもなく、危うい。

 日本のデフレ脱却の処方箋は、誰が書いてもほとんど同じであろう。莫大な赤字を抱え、財政出動は無理、金融政策も限界にきている以上、打てる手は産業政策しかない。日銀がインフレ目標を設定するよりも、政府が発送分離を決断し、スマート・エネルギー産業発展の後押しをした方がはるかに雇用創出・デフレ克服につながる。イノベーションが復活のカギだ。
〈了〉


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