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ミステリーと金田一耕助(5)(2016)

5 ミステリーのリテラシーと金田一
 金田一は人類学者的で、伝統社会の人々からも抵抗感が少ない。しかし、そうした共同体はよそ者には見えにくくても、社会構造は静的である。関係を愚直にたどるだけで事件は解決できるはずだ。

 けれども、金田一の村落は近世のままではない。その向こうには近代化が進む都市がある。村落もその都市と関わり合いを持っている。地方を舞台にした作品の場合、都市が人脈やパーソナリティを混乱させる機能を果たしている。都市は、すでに述べた通り、過去を消したり、意外な出会いを生んだりする。

 さらに、戦争も同様の機能を持っている。金田一では戦争による混乱がしばしば挟みこまれる。戦争は村から人を移動させ、新たな人間関係を生み、消息を不明にする。また、戦争に便乗して怪しい金儲けをする者も出てくる。これは、噂になって聞こえても、村人にも見えにくい。

 こうした攪乱要因があるため、事件の謎が容易に解けない。村落という場とその内部の関係者の相互作用だけなら、事件解明に探偵は要らない。その外部にある都市という場との流出入が人間関係やパーソナリティに混乱をもたらす。『悪魔の手毬唄』には青池源治郎という神戸で活躍していた元活動弁士が登場する。初の字幕作品『モロッコ』の1931年の公開により活弁が不要になったため、彼は失業している。彼は都市を体現し、地方の秩序を混乱させ、事件の原因を用意している。

 主な舞台が地方で、地縁血縁が事件を招いている。けれども、それを都市が用意したり、助長したりする。静的な村落が動的な都会によって揺り動かされる。都市に事務所を構えている探偵がやはり必要である。

 伝統村落の事件はおどろおどろしく見えても、祟りのような超常現象ではなく、人為的に行われている。近代の前提である人為性が動機とトリックとして経験科学によって明らかにされ、真相が解明される。こうして事件は解決する。

 金田一には都市が主の舞台で、地方が属の作品もある。『病院坂の首縊りの家』が好例だ。しかし、それらは魅力的ではない。金田一の捜査方法は地方において効果を発揮する。都市には向かない。また、村落は人脈・人格が静的であり、動的な都会のそれを動揺させる機能は果たせない。金田一が事件を担当する必然性がない。

 異色に思える金田一であるが、近代都市抜きに成り立っていない。ミステリーは近代都市を前提にした文学である。ミステリーは探偵が近代都市で起きる犯罪事件を経験科学の方法に則り真相解明する文学ジャンルである。金田一耕助シリーズという個性的なミステリーを検討することで、そのジャンルの本質が見えてくる。

 ミステリーは基本原理を持っている文学ジャンルである。作者と読者はそれを共通基盤としている。作品世界は読者の想像力の常識的範囲内でなければならない。主人公は真相を解明する探偵である。平凡な場合もあるが、概して天才的である。この主役を引き立て、読者を媒介する等身大の脇役がしばしば寄り添う。読者が作品世界と意識を共有するために、驚きが用意される。出だしは怪奇、結末排滓でなければならない。

 怪奇性と結末の意外性をつなぐのがトリックである。その犯罪は実行不可能であるかに思えるが、実は、トリックがある。探偵はこの謎を経験科学の方法に則って推理する。読者は謎を解く楽しみを持って読み進める。結末の意外性を鮮明にするため、真相解明は最終場面で一気に披露される。ただし、解決場面までにそれを解き明かすのに十分な情報を作者は提示しなければならない。兆戦の原則を満たしていなければ、結末の意外性があっても、ミステリーには不適格である。

 ミステリーは主知主義である。天才であろうと、凡人であろうと、探偵は知性によって事件の真相を明らかにする。作品形式は怪奇性と結末の意外性からアイロニー様式である。しかし、レトリックは主知主義でなければならない。論理性は言うまでもない。アカデミックないしペダンティックな知識の記述が必要だ。諷刺にはそうした衒学趣味や知的スノビズムが要るので、サタイヤ的ロマンスがミステリーである。

 ミステリーはこのように形式が明確な文学ジャンルである。こうした共通理解をミステリーのリテラシーと呼ぶこともできよう。

 このリテラシーを踏まえながら、金田一耕助シリーズは異色と言っていいほどの個性を示している。殺人事件が起きるのは濃密な地縁血縁の支配する伝統的共同体である。近代都市とはまったく違う音や色、匂いの風景の中で人々は古くからの慣習や掟、人間関係に縛られて生きている。それは前近代の暗黙の前提まで作品が体現しているからだ。けれども、事件には近代都市が絡んでいる。その真相を解明するのは人類学者の素養を持つ近代人の探偵金田一耕助だ。金田一耕助シリーズは人類学的文学の傑作である。

 けれども、こうした作品が日本で今後も生まれることは困難だろう。

 昭和20年代に人気を博した金田一耕助シリーズだったが、高度経済成長に入ると、巷から忘れられていく。村落から都会へ人口が移動する。また、地方にも開発の波が押し寄せ、風景が変わる。ダム建設に伴い、湖底に沈んだ村もある。ラジオやテレビが浸透し、方言だけで生まれ育つ人も珍しい。地縁血縁が濃密で、閉鎖的な伝統的共同体の存続は環境が許さない。

 東京オリンピックを契機に、日本全土が均質化されていく。近代化が隅々まで行き亘り、伝統的な村落は姿を消す。1970年代、公害や石油危機など戦後の日本が追い続けた近代化への懐疑が社会に生まれえる。超常現象やオカルトへの関心も高まる。こうした空気の中、日本の伝統を再発見しようというディスカバー・ジャパンの風潮が盛り上がる。

 こうした時代的・社会的背景の下、横溝正史が再発見される。それには角川映画の果たした役割が大きい。その映像は市川崑監督の斬新な手法もあり、センセーショナルな人気を博す。ただ、観客はオカルト・ブームと結びつけ、そのおどろおどろしさを堪能している。舞台である地縁血縁が濃密で、閉鎖的な前近代的村落はかつて国内の至るところにあったが、もはや存在しない。小説が発表された頃の読者にとってこの伝統社会は現実もしくは想像上の現実だったろう。70年代の人々には想像力の常識的な範囲を超えており、オカルトとして認知されている。

 人類学は近代を相対化する認識を提供する。人類学的ミステリーの金田一は、近代文明への会議の時代において、その相対化として機能したとも考えられる。ミステリーは近代という政治・経済社会と密接に結びついている。近代都市が浸透した現代ではミステリーがそれを暗黙の前提としていることも忘れられている。

 しかし、金田一を読む時、ミステリーのアイデンティティを改めて認知せざるを得ない。ジャンルのアイデンティティの暗黙の前提を反省的に明示化しつつ、自らも属していることを示す。最大の個性はジャンルの自己再帰的作品ということだ。それが金田一耕助である。
〈了〉
参照文献
横溝正史、『金田一耕助ファイル』全22冊、角川文庫、2014年
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金田一秀穂、『金田一家、日本語百年のひみつ』、朝日新書、2014年
五味文彦他、『日本の中世』、放送大学教育振興会、2007年
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佐藤友之、『金田一耕助さんあなたの推理は間違いだらけ 粒よりの事件総集版』、青年書館、1984年
杉森哲也、『日本の近世』、放送大学教育振興会、2007年
谷譲次、『谷譲次 テキサス無宿』、みすず書房、2003年
日本疫学会監、『はじめて学ぶやさしい疫学-疫学への招待』、南江堂、2002年
福井憲彦、『近代ヨーロッパ史』、放送大学教育振興会、2005年
別冊宝島編集部編、『僕たちの好きな金田一耕助』、宝島社、2006年
武良布枝、『ゲゲゲの女房』、実業之日本社文庫、2011年
森岡清志、『都市社会の社会学』、放送大学教育振興会、2012年
山岡龍一、『西洋政治理論の伝統』、放送大学教育振興会、2009年
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エドガー・アラン・ポオ、『ポオ小説全集4』、阿部知二訳、創元推理文庫、1974年
ボワロ他、『探偵小説』、篠田勝英訳、クセジュ文庫、1977年

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