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豊田泰光、あるいは野球探偵(4)(2021)

4 言葉と野球
 豊田泰光は、2006年、特別表彰によって野球殿堂入りを果たしている。競技者表彰ではない。彼は引退後の野球評論家活動が評価されて選ばれている。暗黙知がしばしば支配する野球を言葉によって明示知にしたことで野球殿堂に入ったというわけだ。

 反復練習によって体得した知識を暗黙知と呼ぶ。母語や水泳、自転車などがその例である。一方、言語によって習得した知識を明示知と言う。リテラシーが代表例である。暗黙知が「できる」知識であるとすれば、明示知は「わかる」それとも言い換えられる。

 「私の職業は、批評であるから、仕事は、どうしても分析とか判断とかに主としてかかずらう。従って、こちらの合理的意識に、言葉は常に追従するという考えから逃れる事が難かしかった。その点で、詩人や小説家に比べて、成育が、余程遅れたと自分は思っている。だが、やがては思い知る時が来た。書くとは、分析する事でも判断する事でもない、言わば、言葉という球を正確に打とうとバットを振る事だ、と」。こう小林英雄は『スランプ』で書いている。だが、「批評」を「職業」とした豊田はそれと反対の姿勢をとっている。豊田は小林英雄ではなく、批評家として安吾の方法を選ぶ。

 豊田は現役時代から野球の言語化に取り組んでいる。それは、豊田が『中西太と豊田泰光』の中で紹介する晩年の大下弘のエピソードからもわかる。大下は「できる」天才だが、それを「わかる」言葉にすることが下手だったと彼は回想している。

 豊田は、大下がレフト線にきれいな流し打ちをするので、どうすればよいのかと尋ねたことがある。青バットは「左手の人差し指に力を入れる」とコツを伝授してくれたものの、その通りにすると、つまってしまう。大下は左打者なので、右打ちの豊田と手が逆になる。しかし、ある打席のことだ。ライト線にうまく流し打ちができ、確かに右手の人差し指に力が入った気がしたことがある。その時、豊田は大下のアドバイスの謎が解け、なるほどと納得する。

 実は、流し打ちのコツは足首を回さないで打つことである。ただ、そうすると、グリップの上の手の人差し指に力が入った感じがする。大下は結果を原因として豊田に説明していたというわけだ。大下は天才であり、難なくいつの間にか流し打ちができてしまう。けれども、その暗黙知を言語化しようとすると、意識したことがないので、プロセスやメカニズムが抜け落ちる。だから、大下は豊田と知識を共有するのが難しい。

 他にも、豊田はテッド・ウイリアムズの打撃理論を見つけると、自ら訳してチームメートに配っている。こうしたエピソードから彼が言葉による知識の共有を重視していたことが分かるだろう。

 暗黙知を言語化して明示知にすれば、門外漢であっても理解を共有することができる。共通理解として広がる可能性があるのだから、それは「奥義」ではない。慣れ親しんできた野球あるいはスポーツ共同体の外にいる他者を意識せざるを得ないので、「社会の中の野球」や「社会の中のスポーツ」を認知させる。

 丸谷さんに戻れば、この方、ケモノヘンのつく横浜ファン(DeNAファンかどうかは聞くチャンスがありませんでした)。だから98年に横浜が日本一になったときは、もう大変な喜びようで「豊田君、僕をテレビに出してくれない?」と言ってきました。とにかくその喜び、うれしさを、日本中に届くように叫びたかったのでしょう。文芸雑誌のコラムじゃあ、ごくごく少数の人しか読んでくれませんからね。
 オレは当時、まだフジテレビと関係があったので、いろいろ頼んでみたのですが実現しなかった。メディアの最前線にいる人たちでも、「丸谷才一」のネームバリューが分からんのですよ。多分、丸谷さんの本なんか読んだこともないのでしょう。
 丸谷さんに出てもらえばね、「へ~え。芥川賞作家も横浜ファンなのか」と視聴者は驚くハズです。ベイスターズにとっても、これはいいことなのに。フジテレビだってそうでしょうに。
(豊田泰光『選手に責任はない!』)

 いわゆる「体育会系」にはこの「社会の中のスポーツ」という認識が希薄だ。日本のスポーツ関係者には、行動を偏重し、未経験者にはわからないと言語化を軽視・無視・拒否する者が少なくない。他者との理解の共有が困難である彼らには、社会の中のスポーツという認識はない。

 行動はその参加者に感情を共有させる。しかし、行動は特定の時空間から離れて共有されることができない。それと結びついている感情の共有には言語化は不要である。感情を分かち合っていることがメンバーシップで、言語化を要求する人はよそ者にすぎない。その共同体は言語化を求めず、感性的にわかり合えるとい共通認知に基づいて形成されている。他者による言語化の要求は構成員にとって自身の共同体を正当化し、同調性を強化するために利用する。他者を無視・攻撃することで構成員に共同体への帰属意識が感じられ、牽強付会を繰り返す。

 これが体育会系の認知・行動である。体育会系はこうした感情の共同体で、そのため、反知性主義的な人物・組織・勢力・運動にシンパシーを示す。

 一方、豊田は交友関係が非常に広い。作家もリベラルと言われる井上ひさしや丸谷才一を始め多くと交流している。それをコラムで言及したり、放送で語ったり、彼らと対談したりしている。その際、野球やスポーツだけでなく、時事的問題や芸術、文学、音楽、芸能、日常生活に関する話題にも触れることがある。その意見は、概して、社会性が疑われるような時代離れしたところはない。「日本のプロスポーツは成熟社会じゃないんです」(豊田泰光)。豊田は、これまで論じてきたことから明らかなように、現役時代も含めて知性主義的人物である。そこでもその傾向は変わらない。「五輪を通してしか価値を見いだしていないのはスポーツ文化の貧しさです」(豊田泰光)。

 暗黙知を減価することには、他者と理解を共有することの前に、自身にそれをより知りたいという好奇心がある。もっと野球をわかりたいと思うから、その探偵になる。知ることは学ぶことである。そのため、探偵は自分に囚われず、さまざまな他者と関係を結ぶ必要があり、社会に向かわざるを得ない。野球探偵は社会の中にいる。それが豊田泰光の姿である。

 今週は、野球とは直接関係ありませんが(実は大アリです)、あの大阪の市立桜宮高のバスケット部顧問の教諭(47歳)の暴力事件に触れざるを得ません。いや、マジにまだこんなとんでもない奴がいたんだと、信じられん気持ちですよ。戦前の軍隊の兵営の話じゃないですか、まるで。
 30発も殴るというんだから、これはもう論外と言うべきでしょう。自殺した2年生の部員(17歳)は本当にかわいそうです。プレー中のミスに文句をつけて殴るというのだからたまりません。オレなんか殴られっ放しになるよ、高校時代は未熟だもの。でも、オレはミスをしても監督や部長に1度も殴られたことはありませんでした。
 先生という方々は、こういうふうに考えたことはないんでしょうか。「生徒を殴るというのは、その親を殴ることになるのだ」と。自分の子どもが理不尽に殴られるというのは、育てた親の名誉が踏みにじられることになるのですよ!
 水戸商の部長や監督はそのことをわきまえていたのです。オレの高校時代から60年もたっているのに、いまの教師の頭の中は、むしろ戦前の70年前に戻っちゃっている。恐ろしいことですよ。
 抵抗することのできない(階級が下の)兵隊をいたぶる下士官根性ほど醜いものはありません。
 どうしてこんな下士官根性がよみがえっちゃったのかねえ。いまだに、桜宮高の教師の氏名は報道されてませんが(1月18日現在)、このオッサン、どうするつもりなんでしょう。ダンマリで通すのは卑怯です。
 元巨人の桑田真澄君が新聞のインタビューで「体罰を受けなかった高校時代(PL学園高)に一番成長しました」と語っていましたが、世の暴力先生たちよ、彼の声を何と聞く?
 彼は「『服従』で師弟が結びつく時代は終わりました」とも。何の権利、根拠があって子どもに服従を強いるんでしょうねえ、暴力先生たちよ。
 先に「子を殴るのは親を殴ることだ」と書きましたが、生徒に問題があると思ったら、その教師はどうしてすぐ親に連絡しないのでしょう。親に事情を話して、どうすれば生徒がよくなるか、教師と親で考えればいいじゃないですか。殴る前に教師にはやらなくちゃいけないことがいっぱいあるんですよ。そこを省いて殴っちゃうというのは、教師として最悪の怠慢でしょう。オレはいつもここで、面倒くさがることが野球(プレーも運営も)では一番の大敵と書いてますが、人生も同じですよ。暴力先生たちよ、分かったか!
(豊田泰光『教師に生徒を殴る権利なんてない!』)
〈了〉
参照文献
青田昇、『サムライ達のプロ野球』、文春文庫、1996年
小林秀雄、『考えるヒント』、文春文庫、2004年
坂口安吾、『坂口安吾全集』15・16・18、ちくま文庫、1991年
ゼーレン・キルゲゴール、『死にいたる病』升田啓三郎訳、ちくま学芸文庫、1996年
スポーツグラフィック「ナンバー」編、『豪打列伝』、文春文庫ビジュアル版、1986年
豊田泰光、「『豊田泰光オレが許さん!』 選手に責任はない!」、『週刊ベースボール ON LINE』、2012年10月30日 11:42更新
https://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=011-20121105-01&from=amp_column
同、「『豊田泰光オレが許さん!』教師に生徒を殴る権利なんてない!」、『週刊ベースボール ON LINE』、2013年2月4日 0:00更新
https://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=011-20130204-01&from=amp_column
「豊田泰光」、『野球博物館』
https://baseball-museum.or.jp/hall-of-famers/hof-159/


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